農業情報研究所意見・論評2011年5月19日

若松丈太郎著 ・『福島 原発難民 南相馬市・一詩人の警告 1971〜2011年

 過日紹介した「神隠しされた街」を含む若松丈太郎氏の書・『福島 原発難民 南相馬市・一詩人の警告 1971〜2011年』(コールサック社 2011年5月10日)を入手することができた。

 チェルノブイリ訪問後に書かれた「原子力発電所と想像力」(1994年9月10日)は、過酷事故が起きたときに東電福島原発から半径30キロ圏内(チェルノブイリ事故における避難区域)の双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、浪江町、広野町、川内村、都路村、葛尾村、小高町、原町市、いわき市北部に住む15万の人びとが直面する「最悪の事態」を次のように「想像」する。

 「父祖たちが何代にもわたって暮らしつづけ、自分もまた生まれてこのかたなじんできた風土、習俗、共同体、家、所有する土地、所有するあらゆるものを、村ぐるみ、町ぐるみ置き去りにすることを強制され、そのために失職し、たとえば十年間、あるいは二十年間、あるいは特定できないそれ以上の長時間にわたって、自分のものでありながらそこで生活することはもとより、立ち入ることさえ許されず、強制移住させられた他郷で、収入のみちがない不如意 をかこち、場合によっては一家離散のうきめを味わうはめになる。たぶん、その間に、ふとどき者たちが警備の隙をついて空き家に侵入して家財を略奪しつくすだろう。このような事態が一〇万人、あるいは二〇万人の身にふりかかってその生活が破壊される。このことを私は最悪の事態と考えたいのである。これは、チェルノブイリ事故の現実に即して言うことであって、決して感傷的な空想ではない。」

 そして、「こうした謂わば生活上の”革命”的事態を想定したうえで、それを自分の身と自分の現在の家族と将来の子孫とに引き受けることができるというのであれば、[当時持ち上がっていた原発二基の]増設に賛成するのもいいだろう」と言う。

 さらに、チェルノブイリでは、30キロ圏内のみならず、200キロ離れた「ホットスポット]と言われる30キロ圏に匹敵する高汚染地帯が出現し、住民の立ち退きがおこなわれており、首都圏が福島原発からちょうど200キロの距離にあることからすると、東京都民も30キロ圏住民と同じような「最悪の事態」に直面することもあり得る。(57−60頁)

 このような事態を、われわれのなかの誰が、またわれわれの子孫が、どうして甘受できるようか。チェルノブイリでは、溶けた核燃料が、いまなお線量計が振り切れるほどの放射能を、コンクリートと鉄でできた「石棺」の外にまで吐き出している。 <核の溶岩>が目を覚ますと再度の汚染事故につながる恐れもある。(64頁))原発は、事故がなくてさえ、「膨大な高レベル放射性廃棄物を生産し、蓄積して、半永久的に<保管管理>しなければならない負の遺産を子孫に託そうという」ものである。(121頁)

 本書を見て、なお原発は必要と叫ぶ人がいるだろうか。事故を受け、脱原発を叫ぶ人がにわかに増えてきた。しかし、原子力エネルギーをいまさら「自然エネルギー」に取りかえたところで、既に生じてしまった「負の遺産」は、恐らくは何万年もの間、消し去ることはできないのである。著者は、「予測が敵中することは、一般的にはうれしいという感情につながることが多い。しかし、危惧したことが現実になったいま、わたしの腸は煮えくりかえって、収まることがないのだ」と言う。(132頁)私も同じである。われわれは、”脱原発”だけではない何かを求め、 長い彷徨に出なければならない。なぜこれほど扱い難い危険物の管理を後世に委ねたのか、子孫たちへの説明責任を果たすまで。 また、できることなら、首尾よくリスクを回避する方法を発見し、これを後世に伝えるまでは。