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鬼姫(仮) 〜第二話〜
「久しぶりだね、お兄ちゃんとこうやって歩くのも……」
「まぁ、そうだな……」

 家を出てからというもの、ろくに家族と会っていなかった愁由だ。
 当然の如く、肩を並べて登校などすることもなかった。

「ねぇねぇ」
「ん? どうした?」
「灘清ってどんなところ? やっぱりみんなメガネを掛けてたりとか、休憩中も教科書開いてたりだとか、語尾には”ザマス”なんてつけたりする人が、いっぱいいるのかな?」
「……いや、最後のは勉強できる奴とは関係ないだろう」
「そんなことないよっ!! ”私は100点ザーマスっ!!”なんて言うに違いないってばっ!!」
「そ、そうか? 俺はそんな奴見たことないけどな……」

 笑みを浮かべながら妹との会話に、愁由は懐かしさともどかしさを感じていた。
 思えば、家を出て行くことに決めたのは家族と距離と取るためだった。
 両親も愁由の意思が固いということを確認すると、特に止めようともしなかった。
 表には出さない、というか、本人たちも自覚はしていないのかも知れないが、心のどこかでは愁由と距離を取っていた証ともいえる。
 そんな両親に気付いた愁由は、わざわざ家を出たのに、妹は愁由と同じ学校に通うと言う。
 あの優しい人たちは一体どんな気持ちだろうか?
 反対……、はしなかっただろう。
 が、よくは思っていないかも知れない。
 また、尚子と離せることが嬉しい反面、距離が近づいていくことに愁由は恐怖を覚えていた。

「でも、どうしてお前はウチの高校に来たんだ?」
「え? どうしてって?」
「別に勉強好きでもなかっただろうし、俺が家にいた頃はどこか適当な高校に進むって言ってたじゃないか」
「そっ、そうだっけ?」
「適当にやってて、県内トップの学校にいける人間か、お前は?」
「いやその……、なんて言うかな、あは、あはははははは……あっ、もうこんな時間。私、急ぐから、じゃぁっ!!」

 それだけ言い残して慌てて駆けていく妹の背を見ながら、笑みがこぼれそうになる愁由だが、実際に笑みがこぼれることはなかった。
 やっぱり、距離は保っておかないとな……
 どこか冷たい目で妹を見つめ、そう決めた愁由の肩を誰かがポンポンと叩いた。

「……朝からいいご身分ですな……」
「いたのか、来栖」
「よもや、土岐がそんなタイプの人間だとは……、思ってもみませんでしたよ……」
「……何が言いたいんだ?」

朝からにやけた笑みを浮かべる来栖直樹は愁由と同じクラスの人間だ。
一年のときも同じクラスで、あまりクラスに馴染もうとしない愁由にとって、数少ない友達と呼べる存在の一人だった。

「いや、別に〜。ただ〜、あの可愛い少女とはどういう関係で? どうやって知り合って? どこまで進んでて? 俺には紹介してくれないのか? と思ったり、せめて合コンを組んでくれないか? なんて、全然全くこれっぽちも思ってないけど〜〜〜」
「…………別に来栖が思ってるような関係じゃない」
「それじゃ、あの娘は何なのさ?」
「……妹だよ……」
「妹?」
「そう、妹だ」
「土岐に妹なんていたの?」
「いるんだよ」
「……何であんな可愛い妹さんがいるって教えてくれなかったのさ?」
「だって……」
「それで、名前は? 歳は? スリーサイズは? 俺にはいつ紹介してくれるの?」

 呆れ顔で愁由は来栖の顔を見た。
 そして、深い溜息をあからさまに吐く。

「だから教えたくなかったんだ……」
「いいじゃん、いいじゃん、友達同士仲良くしようよ。そうだ、今度妹さんを連れて遊びに行きませんか、お兄さん?」
「黙れ」
「恥ずかしがるなよ」
「うるさい、先に行くぞ」
「あっ、ちょっと待てって」

 足早に学校に向かう愁由に置いて行かれないように、治樹は小走りで先を行く愁由に追いつく。

「おい、冗談だってば、冗談」
「へぇ、冗談なんだ?」
「勿論であります。我が親友の土岐愁由君の妹君に対してやましい気持ちなど全く……」
「…………で、本心は?」
「マジ可愛い。もろタイプ。紹介してくれなくても頑張って知り合いになってみせますっ!!」
「…………ま、頑張れば」
「あれ? 何その反応? 俺的にはもっと嫌がってくれると思ってたのにな〜」
「……お前、性格悪いね」
「そんな事ないぞ。俺って昔からいい性格してるってもっぱらの評判だし」
「……ホントいい性格してるよ、来栖は……」

 そんなあからさまな皮肉に気付いていないわけはないだろうが、来栖は屈託のない笑みを浮かべている。
 その人懐っこい笑みと、どこか幼さを感じさせる顔つきをしている所為か、少し歪んだ性格をしている気もするが憎めないのが来栖治樹という少年だった。

「そんな、呆れ口調で言わないでくれよ。俺だって少しは傷つくんだぞ」
「だったら、少しは大人しくなれよ。今日から新学期なんだぞ」
「あれ? 土岐ってそういうの気にするタイプ?」
「別に……、ただもう少し落ち着いたらどうだって話をしてるだけだ」
「そういわれても……、一日二日で変わるモンでもないだろ」
「まぁ、そうなんだけど。二年にあがったんだし、もうちょっと……」
「う〜ん、二年か……。そういやクラスってどうなってるんだろう? 知ってる?」
「知らない。行って確かめればいいだろ?」
「そうだよな。それが新学期の楽しみだよなっ!!」

 愁由と来栖は、そんな話になった頃には、すぐそこに見えるほどに学校に近づき、周りには同じ制服を着た生徒たちが歩いていた。
 同じ学校で学ぶ関係ではあるが、半数以上は無関係な人間である。
 そんな関係の人間が回りにどれだけいようとも、ほとんどの人間は反応はしないだろう。
 ただ、すれ違い、追い抜き、追い抜かれ、共に同じ目的に向かい、同じ校舎で勉強をする。
 だから、一風変わった感じの生徒でない限り、視線を集めるようなことはない。
 愁由自身も誰かを見つめることなどなかった。

 そのときまでは……

 愁由と来栖、二人の前を一人の少女が通りかかった。
 別に周りの視線を集めるような少女ではなかった。
 女子の制服、規定の鞄、リボンが赤色であることから一年生だとわかる。
 ただ、それだけだった。
 それだけだというのに、愁由の視線はその少女に釘付けになった。
 それは学校に向かう歩みすら止めてしまうほどだった。

「……おい、土岐? どうした? あの娘、知り合いか?」

 来栖が不思議そうな顔をして来栖の顔を覗き込む。

「結構可愛い子じゃん。紹介してくれよ、なぁってば」
「……い、いや……全然知らない子なんだ。知らない子、なんだけど……」

 惹かれてしまう。
 目で追わずにはいられない。
 愁由は来栖の存在も忘れて、その女の子の姿が見えなくなるまで、その場から動けずにいた。

「おーい、もしもし?」
「っぅえ? あっ、な、何だ?」
「……何なの? もしかして、一目惚れ? 運命の出会い!?」
「べ、別に、そういうことじゃ……」

 そういうことではないと思う。
 異性としてタイプだ、とか、目を奪われるほどの美人、とかそういう次元じゃない。
 ただ、惹かれるのだ。
 その存在自体に……
 来栖の言うように、これが一目惚れなのかもしれない。
 今まで一目惚れだと思っていたものは、偽物でしかなかったのかもしれない。
 いわば魂が惹かれる、愁由は先ほどの女の子にそういった類の感覚を覚えていた。
 だが、それを素直に受け止め、周囲に対しても受け入れるほど、愁由は大人ではなかった。

「そっかー、土岐も一目惚れをする年頃かーーー」
「だから違うって言ってるだろっ!!」
「照れるな、照れるな、恋は誰だってするものさ。周囲から一歩下がった友達づきあいしかしない朴念仁でも、いつかは恋の一つや二つを覚えるのさ」
「……それ、誰のことだ?」
「ただの一例さ。しかし、土岐が恋か……」
「しつこいな。いい加減にしとけよ、来栖……」
「これはめでたいことだ。とてもとても、おめでたいことなんだよ。となると、やっぱり皆で祝福しないとっ!!」
「なっ、おいっ、何をするつもりだ?」
「何って勿論、このことを皆に教えて、土岐愁由君をお祝いしてあげるのさーーーー!!」
「ちょっ、ちょっと待てっ!!」

 と、愁由が叫んだときには、すでに来栖は学校に向けて走り出していた。

「おっ、おいこらっ!!」

 愁由もすぐさま来栖の後を追う。
 が、初動の分の差は大きく、なかなか追いつくことができない。

「待て、お前一体どうするつもりだ?」

 愁由は自分の前を行く来栖の背中に叫んだ。

「こういうことは皆で祝わないと。てなわけで、新学期早々、春が訪れた土岐愁由君の話を広めてきてやるよ」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないっ!! とにかく止まれ!!」
「はっはっは、そんな事言われて止まる奴がいるかよっ!!」

 振り返らずに、叫ぶ来栖はすでに学校の敷地内に入ろうとしていた。
 まずいっ!!
 来栖はこういうことには労を惜しまない男だ。
 本当に広げるつもりだ。
 愁由は本格的な危機感を覚え、必死で走った。
 それでも、初動の差は大きく、来栖は校門をくぐって敷地内へと突入する。
 愁由も次いで突入すると、にやけた笑顔の来栖が立っていた。

「くくく、ここまで土岐が必死になるとはね……。もしかして本気なわけ?」
「……別に、本気とかそういうことじゃない……」
「なら、どうしてそこまで必死なわけ?」
「……変な噂を流されたくないからだ……」
「ふ〜〜〜ん……。まぁ、いいけどさ。それよりもあの子だろ?」

 来栖が愁由の肩に腕を回し、一方を指差す。
 そこにはクラス分けが掲示されている紙の前にごったがえす人ごみがあった。
 そして、その中には先ほどの少女もいる。

「…………」
「まぁ、可愛い子じゃん。リボンの色からして、一年生みたいだし……。頑張れよ、優しい先輩」
「……だから、そんなんじゃないって……」
「ふぅ〜、頑固だねぇ〜」

 仏頂面で答える愁由に、渋い顔をする来栖。

「おっはよ〜」

 軽快な声と共に誰かが、愁由の肩を叩いた。

「あ、先輩。おはようございます。」

 愁由が振り返った先にいたのは、一学年先輩に当たる朱原美紗希だった。
 長い艶やかな髪に、大人の女性を感じさせる、落ち着いた物腰。
 柔和な笑顔に、そのメガネもよく似合っている。
 来栖の情報ではかなり、男子から人気のある先輩らしい。

「おっ、美紗希先輩おはよう」
「二人とも朝から仲がいいねぇ〜、どうかしたの?」
「いや、それが聞いてくださいよ」
「うるさいっ! 黙れっ!」
「おぉ、怖っ! 助けて〜〜〜、美紗希せんぱ〜〜〜〜い」

 つい、感情的になった俺を逆撫でするに、甘えた声で美紗希の背中に隠れる。

「いい加減にしとけよ、来栖」
「ちょ、ちょっと落ち着いて。一体どうしたっていうの?」
「それですよ、それ。実は愁由がとある少女に一目惚れしたんですよ」
「あっ、来栖っ! お前っ!!」
「へぇ〜、いいじゃない。どの子? 今もいる?」
「あの子ですよ、あの子」

 来栖は楽しそうに、未だクラス分けの紙を見ている少女を指差す。
 その指を視線で追うと、その綺麗な笑顔が一転して曇った。

「あの子……」
「結構可愛いでしょ? まぁ、先輩には適わないとは思いますけど」
「だから、そういうことじゃなくて……。あの先輩、来栖が勝手に言ってるだけですから……」
「……あの子はやめておきなさい……」

厳しい目の美紗希に、愁由と来栖が呆気に取られる。

「……え? あ、あの先輩?」
「……美紗希先輩……?」
「……あの子には関わらない方が身のためです……」

 二人がキョトンとする中、美紗希は鋭い視線で少女を捉えたまま、静かに呟いた。

「………」
「あっ、あの……」
「えっ、あっ、な、何?」

 来栖が声をかけると、目をパチパチとさせて、不思議そうな顔をする

「あの子に関わるな、ってどういう意味ですか? 美紗希先輩はあの子、知ってるんですか?」
「え? あ、あぁ、私、そんなこと言った?」
「だって、さっき……」
「ご、ごめんなさい。よく見たら、人違いだったわ。あは、あははっはは……」
「で、でも……」
「あっ、ごめんなさい。私少し早めに教室に行かないといけないから、それじゃ……」

 ………
 手を振りながら去っていく美紗希。
 二人は唖然と美紗希の背中を眺めるしかなかった……

「……で、一体なんだったわけ?」
「さぁ? って、あの女の子もいないし……。あ〜ぁ、名前も聞けなかった」
「………」
「あれ? もう反応しないの?」
「うるさい。先に行くぞ」
「おっと……、そんなに怒るなよ、土岐く〜〜ん」

 そんな来栖に少しイラつきながら、愁由はクラス分けが張られている掲示板へと歩いて行った。