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鬼姫(仮) 〜第三話〜
「また一緒のクラスだな」

 にこやかな笑顔で来栖は話しかけてきた。

「………」
「なぁ〜に〜、土岐ってばまだ怒ってるわけ? 何度も謝ってるじゃん。ごめんなさい、って」

 新たなる教室で愁由は席から空を眺めていた。
 その反対側では、軽く謝る来栖がいる。

「そこまで怒ることないじゃんよ。誰にも言ってないんだし……」
「……先輩に言っただろ……」
「あ、あれはその……、その場の流れというか……」
「その流れを作ったのはお前だっ!」
「そっ、そんな恐い目で睨むなよ……」
「………」

 何気ない来栖の言葉。
 しかし、そんな言葉が、愁由の心を深く抉る。

「……恐いか?」
「……え?」
「俺……、そんなに恐い目をしてたか?」
「い、いや……、それは言葉の絢というか、なんというか……」

 突如、豹変したように真剣に語る愁由の姿に、さしもの来栖もたじろんでしまう。

「そ、そんなに本気にするなよ。別にそういうつもりじゃ……」
「そっか……」

 そして再び空を見る愁由。
 先ほどまでの怒りは感じなくなったが、話しづらい雰囲気は増したような気がする。
 来栖は逡巡し、やっとのことで新たなる話題を探し当てた。

「そういや、来てないな……」
「……誰が?」
「土岐、お前ちゃんとクラス分け見たの? いたでしょ、このクラスに」
「だから、誰が?」
「……葛乃葉……、葛乃葉香澄」
「葛乃葉? あいつ、進級できたの?」

 葛乃葉香澄は来栖と同じく、愁由が友達と呼べる、数少ない友人の一人だ。
 来栖とは高校からの付き合いだが、香澄は小学校のから同じだった。
 けれど、愁由の記憶では香澄は体が弱く、学校も休みがちで、出席日数の点から言って、留年しても全く不思議はない。

「みたいだよ。クラス分けに名前載ってたし……」
「出席日数足りてたっけ?」
「さぁ? でも、聞いた話じゃ、春休み中はずっと補習を受けてたらしいよ」
「そうなのか?」
「まぁ、聞いた話だから詳しくは知らないけど……、それに葛乃葉って成績いいじゃん? 俺らと違ってさ」
「ふ〜ん、でもまだ来てないって事は……」
「また、体調を崩したかな?」
「……かもな……」

 二人はなんとなく教室の扉を眺めるが、葛乃葉が現れそうな気配はない。
 そうしているうちに、チャイムがなり響いた。

キーンコーンカーンコーン……

「おっ、もうこんな時間か……。それじゃ始業式でも受けに行きますか」
「………」

 来栖の言葉に、無言で席を立つ愁由。
 揃って教室を出たところで、二人の進む方向が真逆になった。

「おーい、お兄さん、始業式は体育館だぞ。そっちじゃないぞ」
「……面倒くさい……、パスだ」
「パスってあんたね……」
「後は任せた」
「任せたって……お、おい、土岐!」

 後ろで何か喚く来栖を無視して、愁由は階段を上っていく。
 始業式に向かう生徒と何度もすれ違うが、不思議そうな目で見はするが誰も注意などはしてこない。

 好奇の視線を浴びながら、まっすぐに愁由は屋上へ向かった。

 重く、錆付いたドアを開くと、そこは気持ちいいぐらいの青空が広がっていた。

「………」

 愁由は張り巡らされたフェンスに背を預けると、どこまでも広がる空を仰いだ。

「……恐い……か……」

 その言葉に一番恐れを抱いているのは自分自身だということに、愁由は気付いている。

「父さん……、母さん……、尚……」

 今、家族の中で愁由に恐れを抱いていないのは尚子だけだろう。
 愁由の父と母は愁由に恐れを抱いている。
 別に愁由が家庭内暴力を振るうわけでもないし、警察のお世話になるようなこともしていない。
 しかし、愁由が中学生になるか、ならないか、その頃だった。

 愁由自身も、どうして喧嘩になったのか覚えていない。
 ただ、愁由は父親と喧嘩をしたのだ。
 互いに感情的になりながらも、手を出すことなく言い合いをしていただけだった。
 今、考えれば親の意見の方が正しかったのだろう。
 そして、それは愁由も頭のどこかで理解していた。
 しかし、父の意見が正しいと思いつつも、納得ができないのが子供である。
 仕舞いには愁由が駄々をこねるだけで終わるはずだった。
 普通の家庭ならばそれで終わるはずだった。
 けれど、土岐家……、愁由は違っていた。
 そのときのことを愁由は鮮明に覚えている。
 喧嘩が始まった理由や、どんなわがままを言ったのかを覚えていなくてもそれだけは忘れることがなかった。
 父親の理論に負かされた愁由は一言

『うるさいっ!!』

 と、叫んだのだ。
 そのとき、父親と、近くにいた母親の顔が恐怖で凍りついた。
 そして、愁由を見つめる畏怖の視線。
 その場に鏡がなかったので何ともいえないが、自分はどういう表情をしていたのだろう?
 まるで人ではないモノを見るかのような両親の目は、一生忘れることができない……

 それからも、両親は変わらない態度で愁由と接した。
 ……接しているつもりだったのだろう。
 実際、尚子は気付いていなかったが、愁由は自分がココにいるだけで、両親に恐怖を与えているのだと肌で感じていた。
 理屈ではない、生物的本能とでもいうべき恐怖なのだろう……
 両親は愁由を傷つけぬように暮らそうと努力をし、それがさらに愁由の肩に重くのしかかった。
 だから家を出た。
 その話をしたとき、父親は

『どうしてもか……?』

 とだけ尋ね、深く頷いた愁由にそれ以上のことは何も言わず、ただ一人暮らしのための準備を始めた。
 それが一年前のことだった……

「あれから一年か……」

 家を出る代わりといっては何だが、なるべく負担を減らすために公立に行く努力をし、今の学校に入学した。
 それから、あまり家に帰ることはほとんどなかった……

 また、両親に拒絶されるのが恐い
 そして、尚にもあんな目で見られるのはとても恐い……

ガチャ

 そんな郷愁の念に駆られていた愁由の耳に、錆付いたドアの開く音がする。

「君もココにいたんだ……」

 ドアの前に立っていたのは、セミロングの黒髪を結い上げた少女だった。

「なんだ、来てたのか……」
「なんだはないでしょ、なんだは」

 苦笑いを浮かべる少女、葛乃葉香澄は後ろ手でドアを閉めると、愁由の隣に並んで立った。

「元気してた?」
「……香澄には言われたくない言葉だな」
「あはは、そうだね。わたしが言える立場じゃないんだよね……」

 どこか楽しそうに答える香澄は、一応は元気そうに見える。

「……大丈夫なのか?」
「何が?」

 本当に不思議そうな顔で、愁由の顔を見上げる。

「身体だよ。調子、悪いんじゃないのか?」
「どうして?」
「始業式に出ないでこんなところにいるから」
「うーーん、それはね……別に体の調子が悪いわけじゃないの……」
「へぇ、じゃ、サボリか?」
「そう、君と同じ」
「お前と一緒にするなよ」
「……失敬だな。それじゃ君はどうしてこんなところにいるのさ?」

 ムスっとした表情で、香澄は愁由に突っかかる。

「……何でかな……、……本当になんでなんだろうな……?」
「………………」
「……どうかしたの……?」

 自分の思っていたリアクションとは大きく違い、肩透かしを食らったような香澄が、静かに、真剣に問い掛けた。

「別に、何もない……」
「……ホントに?」
「あぁ、ちょっと考えたいことがあっただけだ」
「考えたいこと?」
「………………」

 特に何があったわけではない。
 ただ、来栖の『恐い』という一言で昔を思い出し、自分で確認していたに過ぎない。

”一定の距離を保つ……。自分の中にも入らせず、相手の中にも入らない。”

 それが一人暮らしを始める前から行っていた、愁由の処世術だ。
 良いか、悪いか、はわからない。
 ただ、誰かに拒絶され、恐怖の視線で見られたくない。
 それだけの思いで、今まで実行してきた。
 そしてこれからも実行していくだろう……

「……君こそ……、大丈夫?」

 香澄は心配そうな瞳で、愁由の顔を覗き込む。

「………………」

 どう返答したものかと悩む愁由の前で、突然香澄が身体を折った。

「ごほっ、ごほっごほっ!!」
「おっ、おい……」

 思わず心配そうに手を伸ばした愁由を、香澄は右手を上げて押し留める。

「ごっごほごほ……、はぁ……」
「やっぱり、大丈夫じゃないんだろ?」
「そんなことはないけど……」
「無理するな。折角学校にこれるぐらいになったのに、また病院に逆戻りだぞ」
「人をいつも入院してるみたいに言うな」
「違うのか?」

思わず不思議そうな声をあげた愁由に、香澄は完全否定をする。

「ち・が・う! 家で療養してる方が多い」
「……そこに何の差があるんだよ?」
「大きな差!」

香澄はそれだけ答えると、フェンスから背を離した。

「……始業式に出るのか?」
「今更出ると思う?」
「もしかしたら、と思って……」
「保健室に行くの。始業式に出られなかった言い訳作りにね」
「あっそ……」

ゆっくりとドアに向かう香澄の背中を、愁由は無言で眺め続けた。
その香澄の背中が消える寸前で、思い出したように、香澄がドアの隙間から顔を出した。

「そうだ、同じクラスだったよね? 今年一年、よろしくね」
「……あぁ、よろしく」

愁由の言葉に満足したのか、ドアの向こうに消える香澄の表情は、笑顔だった。
そして閉じられるドア……

バタン……

その重みのある音に、周りの空気すら揺れ動いたかのように空間が揺らめいた。

「…………な、なんだ?」

空気が水であるかのように波紋が広がり、愁由の目の前に同心円上の波が起こる。
まるで蜃気楼か、陽炎のように見えが、目を何度擦ってもその波が消えることがない。

「い、一体何なんだ?」

パキッ!

そして、その波の中心に亀裂が入る。
青空とフェンスより手前、自分の目の前にあり、何もないはずの空間に黒い線がいくつも刻まれた。

「な、何なんだよ、これは……」

全く持って、不可思議な現象だ。
本当ならばすぐにでも逃げ出したいが、亀裂がドアの正面にある。
その所為で、愁由は屋上から動けなくなってしまっていた。

「ど、どうすりゃいいんだ、おい……」

パキパキ!

その間にも亀裂はどんどん大きくなり、その隙間からはまるで黒い霧とでもいうべき、ナニカが漏れ出している。
愁由はとにかく屋上から出ようと、ドアに寄って行く。

「……意外と普通にあけられるかも知れないし……」

まだ、何の危険性もなさそうな亀裂に近寄り、ドアノブに手を伸ばす。

パリンッ!

突如、ガラスの割れたような音が響き、亀裂が完全な黒い穴と化す。

その瞬間、愁由の首に大きな衝撃が走る。

「げふっ!! がぁっ!!」

気管がしまり、呼吸が難しくなる中で愁由の目に飛び込んできたのは、自分の首を鷲づかみにしている、穴から伸びた真っ黒な腕だった。