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鬼姫(仮) 〜第七話〜
 七瀬と別れたあと、愁由は落ち着いて街に戻った。
 いつもと変わりない喧騒。
 行き交う人々は忙しそうであり、止まることなく歩いている。
 所々に座り込んだり、人と待ち合わせをしているのか、立ち止まっている人々もいるが、それでも何かをしていた。
 友人とのお喋り、待ち合わせの相手を探す、もしくは時計をちらちらと何度も見る。
 そんな中で自分がひどく浮いた存在に感じられてしまう。
 それほどに、今の愁由は落ち着いていた。

「そうだ……、何を焦ってたんだろう……」

 一人呟く愁由は息を一度大きく息を吸い込み、目を閉じた。
 そして、ゆっくりと視界を広げる。
 いつもの見慣れた風景、何一つ違和感など感じない。

 愁由はその場を離れ、近くのコンビニに入った。
 若い男の「いらっしゃいませ」という、機械的な挨拶を聞きながら、愁由は店の奥にある冷蔵庫を覗き込む。

 何か、冷たい物でも飲もう……
 走ったりした所為もあるのか、なんだか喉が渇いてしまった。

 スポーツドリンクを手に取り、レジに向かう。
 やはり機械的な作業で値段を言う店員に、愁由は五百円を渡して、お釣りを受け取る。
 店員の小さな声で「ありがとうございました」という言葉を背に店を出た。

 いつの間にか、空は暮れようとしていた。

「もう、こんな時間か……」

 赤く変化した太陽を見上げる愁由は、すでに日が落ちようとしている時間だということに驚いた。

 ……今日はもう帰って寝よう……

 溜息と共に頭をよぎった考えに、そのまま従うことに決め、まっすぐに家に帰る。
 長く伸びた自分の影を見て、愁由は気がついた。

「あっ、鞄……」

 影は自分の身体だけで、他には何もない。
 つまり愁由は鞄を忘れてしまったのだ。

「しまった……、どうするかな……」

 振り返って、学校のある方を見る。
 ここからでは校舎が見えない。
 別にそれほど離れているわけでもないが、今更戻るのも億劫だ。

「まぁ、一日ぐらいどうとでもなるか……」

 鞄を諦めた愁由は、体の向きを元に戻す。
 深く息を吐いて、再び歩き始めようとした愁由の前に誰かが立っている。
 夕日に照らされたその人物は、目を凝らすまでもく、誰だかわかった。
 知り合いではない、名前も、それが誰なのかもわからない。
 ただ、愁由はその男を知っていた。
 つい、さっきに命を奪おうとした男だ。

「……見つけたぞ、土岐愁由」

 別に笑みを浮かべるわけでも、怒りを浮かべるわけでもない。
 先ほどのコンビニの店員のように、機械的な声でそう告げた男は、右手に短刀を提げている。

「ど、どうして……」

 その先は言葉にすることができなかった。

 どうしてまた、現れたのか?
 どうして愁由を殺そうとするのか?
 どうして、どうして……

 口にしたい言葉は山ほどあったが、実際に口にすることはなかった。
 ただ、”どうして”と呟き続けることしかできなかった……

「……貴様が、それを知る必要はない」

 愁由の呟きが聞こえたのだろう。
 その言葉を聴いて、全てを聞かずとも理解したであろう男は冷たくそう、言い放った。

「なっ……、い、いやだ……」
「諦めろ……、それが運命だ」
「なんだ、それ……、ふざけるなっ!」

 運命ってなんだ?
 どうして殺されることが運命なんだ?
 何だよそれっ!

「苦しまずに殺してやろう」

 それが必然だといわんばかりに、男は愁由に理不尽を押し付けた。

 殺されることが運命だと言う。
 殺される理由を知る必要はないと言う。

 まるでタバコでも取り出すかの様な自然な振る舞いで、手にした短刀を抜き去る。
 西日を反射させる刃は赤く、すでに血に染められているかのようだった。

「いっ、いやだ……」

 不意に漏れた言葉に体が反応する。

 殺される……

 押し付けられる理不尽な現実から逃げようとした愁由だったが、今度は身体が動かない。
 まるで何かに縛り付けられているかのように、身体全体が動かなかった。

「また、逃げられると厄介だからな……、自由を奪わせてもらったぞ……」

 男はそう言い放った。
 けれど、男が何かをした様子はない。
 ゆっくりと愁由に近づいていくだけだ。
 しかし、愁由の体は実際に動かないのだ。

「な、何をした……」

 幸いというべきか、愁由の意識ははっきりとしており、喋ることにもできた。
 しかし、いくら力を込めようとも、その体は言うことを聞いてくれそうにない。

「縫わせてもらった」

 男は無造作に、ポケットから針を取りだして、愁由に見せる。
 愁由はその針を見たが、どう見ても普通の針にしか見えなかった。

「縫う?」
「影を縫いつけた。この針を抜くまで、貴様に自由はない」

 言われて愁由は視線を自分の影に落とした。
 よくよく目を凝らしてみると、影に数本の針が刺さってみるように見える。
 距離もあり、はっきりとは見えないが、ちらちらと何かが光っている。

「……くそ……くそっ!」

 何とか動こうと体を揺らしてみるが、それも徒労に終わる。
 一歩ずつ着実に歩いてきた男は、すでに愁由の目の前だ。

「なにか、言い残すことはあるか?」
「……ほ、本気……なのか?」
「あぁ。俺は貴様を殺す。恨んでくれてかまわない」

 男は変わらぬ口調で宣言する。
 愁由は直感的に感じていた。

 この男は意気込むことも、緊張するそぶりも見せないが、本気だ。
 本当に殺されてしまう……

「……なんで、俺は殺されなきゃならない……」
「さっきも言っただろう。知る必要はない」
「納得できるか!」
「貴様が納得する必要もない。そんなに理由が知りたいのなら、運が悪かったとでも思うんだな」

 男はそういって短刀を振りかざした。
 頭上で煌めく刃に、愁由の緊張が一気に高まる。

「よっ、よせ! 止めろっ!!」
「………………」

 愁由の叫びを無視して、男は躊躇うことなく短刀を振り下ろした。

 ずしゃ……

 そんな音が聞こえた気がした……
 その一瞬後に、焼けるような……、それでいて鋭い痛みが襲い掛かってくる。
 自由のきかない体はそれでも、倒れることすらできず、愁由は立ち尽くしたままで、絶叫した。