「レナス殿。初会であります。私は〈特務部〉所属使徒、聖識号〈ゲルダ\〉です。お見知りおきを」
「聞いています。お務めご苦労様です」
驚く風もなく、レナスは受け答えた。
「レナス殿が、ここにおいでになるとのことでしたので、数週間前より潜伏しておりました」
言葉の通りだった。
今まで、そしておそらくこれからも、レナスのたどる道のりは、誰も知り得ず、誰も決め得ぬはずであった。
しかし、今回に限っては、〈穏健派〉大司教直属諜報部隊〈特務部〉から、行き先の指示があったのだ。
ここ……〈魔導連合〉主要都市のうち、一つ。
学術都市ニーベルンゲンに向かえと。
通達を受け取ったのは、とある集落の民家の納屋で、藁と貸し与えられた毛布にくるまっていた、夜半だった。
黒く薄く、しかし強い戦闘用聖装束に身を包んだ二人の使徒から、
これからの行き先と、
レナスは〈特務部〉所属の高使徒の任を拝命されたこと、
そして他勢力に進入するにあたって〈特務部〉は影から援助をおこない、向かう先の街でも使徒が待機していること…
その際の合い言葉は、『キャサリンとお姉様』だということ。
それを伝えられていた。
味方は多い方が良い。
レナスは判断し、それを受け入れた。
……その三秒後には、再び静かな寝息を立てていたことは、瞬時にして闇に消えた伝令の使徒には知るよしもなかったのだが。
「しかし、何故あのようなところから?」
「街への門には番兵が居ました」
「街の外で合図をいただければ、お迎えに参上したのですが…」
「…申し訳ありません。忘れていました」
「……そ、そうですか」
使徒は、口が半開きになりそうなのを自制し、残った伝令事項を舌に乗せた。
「それと……大司教様より、お手紙を賜っております」
差し出されたのは、紐でくるまれ、丸められた手紙だった。
受け取り、開いてみると、しわ一つ無い羊皮紙の上に、懐かしい筆跡が踊っていた。

聖務は順調か……。
息災か……。
旅の行程で問題はないか……。

行間の端々に、レナスを思い煩う気持ちが見え隠れしていた。
記したかったのは、本当ならばこんな内容ではなかっただろう。
しかしレナスは、文面だけを追い終えると、
「大司教様には、問題ないとお伝えください。〈聖剣〉収集に滞りはありません」
「は。承りました。それと、もう一つ、お言付けと申しますか……レナス殿に、ご伝言が」
「はい。お聞きします」
答えにうなずくと、使徒は、テーブルの下に潜むように置かれていた箱を引きずり出し、持ち上げて机の上に置いた。
ふたを開けると……そこには。
「これは……?」
のぞき込んだレナスの瞳に、赤く小さなリボンを胸元に止めた、紺色のワンピースに似た衣類が映った。他にも、黒い革製のバッグや、題名が一瞥しただけでは不明な書物が何冊か…その他、生活に必要な衣服、下着、布や石鹸、柑橘類の香りを模した香水までが詰められていた。
「一式を揃えさせました。〈王立魔導学院〉の、生徒の持ち物でございます」
「これを……わたしはどうすれば」
「この地にて学徒に身をやつし、〈教会〉領外を学べ、とのお言葉でございます」
「…学ぶ」
「はい。レナス殿には、この町にあります〈王立魔導学院〉に、短期ではありますがご入学頂きます。書類等は偽造してすでに送付しており、手続きは完了しています」
「…入学」
学ぶ。自分は、その、難しい名前の学舎で、学ぶのか。
確かに、ここはレナスにとって初めての土地であった。
何をするにも、知識は多い方が良い。
単純な判断で、レナスはうなずき…かけて、ふと、口を開いた。
「それは…聖務でしょうか」
「大司教様直々のお言葉でございます」
「了解しました。謹んで、聖務を果たします」
「はい。それと……これは、隠密聖務でございます。現在までの聖務と平行して遂行し、決してご自身の正体を悟られてはならない…と。これは教会〈情報課〉から〈特務部〉への正式な要請でもあります。砂漠の王国での一件に関しても、〈急進派〉へのある程度の情報の漏洩は必至です。そもそも〈聖剣〉を所持しているという事実すら、本来なら固く隠蔽せねばなりません…レナス殿には、教会使徒として、まずお考え頂かなければならないことが……」
その言葉が、わずかにレナスから視線をそらしたまま紡がれたことを、その使徒は言い終えずに後悔した。
「……」
無言のまま。
いつの間にやら聖装束を脱ぎ捨て、先ほどの紺色のワンピースを身につけた、レナスがいた。
やや体のラインをなぞるように密着するアンダーウェアも、その上に羽織る立派なワッペンと胸ポケットつきのジャケットも、ちょうど手首を隠すほどの長袖。やや大きめの花弁を下に向けたようにわずかに広がるスカートから伸びる脚の先は、ご丁寧にワンピースと同じ色に揃えられた膝下までの靴下と、汚れひとつない新品の革靴に覆われていた。
身を左右に揺らし、両の爪先を交互に傾けながら、レナスは自分の格好を隅々まで見返していた。
「いつの間に…お着替えを…?」
答えはなかった。
胸元のリボンの角度がいまいち気に入らないのか、いじっては直し、いじっては直している。
「と…とにかく……今回は隠密聖務でございます。一挙手一投足にまでご配慮頂けますよう、お願い申し上げます」
「……」
「…レナス殿?」
「……はい」
名を呼ばれたことに、今になって気づいたのは、リボンの角度がようやく気に入ったからであった。
女性使徒は…額に軽く手を当てると、深くため息をついた。


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