影山正治先生

影山正治先生略年譜
明治四三年 六月十二日、愛知県豊橋市に生る。
昭和 四年 十九歳、四月、國學院大學予科入学。
昭和 六年 二十一歳、二月九日、國學院大學内に「日本主義芸術研究会」を設立。四月三十日、國大弁論部を中核とする青年組織「全国大日本主義同盟」を結成。
昭和 七年 二十二歳、六月十二日、大日本生産党に入党。中央委員並びにその前衛組織たる大日本青年同盟中央委員に任命さる。
昭和 八年 二十三歳、七月十一日、神兵隊事件、下獄。
昭和 十年 二十五歳、九月、神兵隊事件予審終結。十一月、仮出獄。
昭和十一年 二十六歳、 二月十一日、 淀橋区戸塚町に「維新寮」を開設。同人代表となる。
昭和十二年 二十七歳、 九月、「日本主義文化同盟」結成、機関紙『怒濤』創刊。
昭和十四年 二十九歳、四月三日、渋谷区代々木西原町に「大東塾」を創設。塾長となる。五月、機関紙『大東報』創刊。
昭和十五年 三十歳、七月五日、七・五事件起る。下獄。
昭和十六年 三十一歳、十一月五日、短歌維新の会(後の新国学協会)より『ひむがし』創刊。十二月八日、対米英宣戦布告の大詔渙発。同月十五日、「対米英宣戦布告の大詔を拝して挙国の同憂同志に愬ふ」なる東条批判の檄文を発送。同月十九日、右文書を以て反戦、反軍と為し、長谷川幸男と共に投獄さる。
昭和十七年 三十二歳、一月二十三日、出獄。
昭和十九年 三十四歳、十一月十五日、北支唐山地区古冶駐屯高射砲第十五連隊に入隊。
昭和二十年 三十五歳、八月十五日、終戦の玉音放送を拝聴。十月二日、現地復員し、軍糧城精穀工場に入る。
昭和二一年 三十六歳、五月四日、佐世保郊外南風崎に上陸。同月『不二』創刊。
昭和二二年 三十七歳、 四月二十六日より三日間、第一回宮中勤労奉仕実施。同月二十九日「千里行脚」の徒歩巡拝旅行に出発。十二月一日、帰京。
昭和二三年 三十八歳、四月二十九日「大正天皇御集刊行会」を設立。八月、月刊紙『道の友』創刊。
昭和二四年 三十九歳、 三月五日、 不二出版社を「不二歌道会」と改称。七月七日『大正天皇御集』特製版完成、宮中に献上。八月十五日、「伊勢神宮御造営奉賛友の会」を結成。
昭和二九年 四十四歳、 四月三日、 創立十五周年祭を期して「大東塾再建宣言」を発す。
昭和三一年 四十六歳、東京都青梅市今井中央農場(大東農場)内に入植、移住。
昭和三九年 五十四歳、八月二十五日、大東農場内十四烈士中央合同墓碑建碑祭。
昭和四十年 五十五歳、九月、財団法人大東会館理事長就任。
昭和四三年 五十八歳、四月七日より五月六日まで三十日間、豊橋市御嶽神社にて「火もの絶ちによる国難打開祈願」
昭和四四年 五十九歳、十二月、監修の大東塾関係物故同志遺詠集『つるぎと歌』刊行。
昭和四六年 六十一歳、二月、還暦記念歌集『日本と共に』刊行。八月十二日〜二十四日、沖縄諸島並に奄美諸島視察旅行。
昭和四七年 六十二歳、九月二十日〜三十日、台湾視察旅行。一月、『大東塾三十年史』刊行。
昭和四八年 六十三歳、八月十日〜十七日、韓国視察旅行。
昭和五一年 六十六歳、一月二十四日、東京九段会館に於ける「林房雄大人追悼集会」に呼びかけ発起人として記念講演を行ふ。七月、影山正治監修『大東塾十四烈士遺稿集上巻』刊行(昭和五十二年八月『中巻』五十三年八月『下巻』刊行)
昭和五二年 六十七歳、七月二十三日、東京原宿東郷記念館に於ける内田良平大人四十年祭に呼びかけ発起人として記念講演を行ふ。
昭和五四年 六十九歳、二月二十四日〜二十八日、豊橋市大孝道場にて絶食祈願。四月一日、大東神社御鎮座大祭並に大東塾創立四十周年記念祭、第三十三回全国物故同志合
同慰霊祭を祭主として司祭。四月十六日、伊勢神宮に最後の参拝。
五月二十五日早暁、自決。

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