++50 title「ねむりひめ」++

47・ねむりひめ








 さらり、と指先で前髪をすくう。綺麗なストレートなのに、感触は猫毛のように柔らかい。
 もう一度前髪を撫でて起きないことを確かめると、ラクスはそっとキラの体をベッドへ下ろした。ふわりと僅かに浮きあがる手応えに、 部屋の重力を少しかけようとコントロールパネルへ体ごと腕を伸ばす。戦闘が終わったからだろう、重力制御はブリッジ一括から各区域や 部屋ごとに戻っており、パネルは素直に操作を受け入れた。
 指先が操作を終わらせると、ふわりとつま先が床に触れた。振り返った先には、キラの寝顔。ほっと息をつく。
 寝苦しくないように制服の襟や袖を緩め、照明はそのままで部屋を出た。眠るには暗いほうがいいだろうが、目覚めた時の暗さは不安を 呼び起こしてしまう。
「あら」
 出てきたところを待ち構えるように、人影が立っていた。予想外の人物というわけでもないが、彼の傍らにいたはずの姫君の姿はない。
「カガリさんは?」
「すぐに話をするのは無理だろうから、と説得しました。彼女が長くクサナギを離れるのは、よくないだろうと思うので」
「そうですわね。…カガリさんも不安でしょうし、色々と…思うところはおありだとは思うのですが…」
 僅かに瞳を伏せるラクス。
 カガリにとっても、自らの出生に関わる、すなわち己の存在の根幹に関わる重要な事柄だ。同じ写真を持ち帰ったキラが何か知ったという のなら、聞かせてほしいと切望するのは当然のことだろう。
 だが、今は無理だ。それは彼女も悟っただろうし、無理を押してでも口を割らせようというような険悪な関係ではない。むしろその逆で、 キラと良好な関係を築いた友人であるからこそ、彼女自身もどこまで尋ねていいものか、どう尋ねたらいいのか、そもそもはっきり口にして いいのかどうか、戸惑っている様子だった。
「………キラの様子はどうですか」
「泣き疲れて眠ったところですわ」
 微笑んで答えると、ほっとしたような悔しいような苦しいような、なんとも言えない複雑な表情。口許が一瞬ひくりと動いたのは、笑おう として失敗したのだろう。
「…」
 また口許が動く。何かを言おうとして、きゅっと唇を噛んで俯いた。
 ああ、こちらも重症のようですわね。ラクスは困ったように微笑んで、顔を覗き込むように小さく首を傾げる。
 それが言葉を促す仕草と理解して、彼は俯いたまま口を開いた。
「……………あんなに、泣き虫だったくせに」
 ぎゅっと手が握られる。何かに耐えるように。
「もう、あなたの前でしか泣かなくなったんですね」
「それは違います」
 きっぱりとしたラクスの声に、えっ、と顔が上げられる。
「キラが泣かない強さを得たのは、あなたのためですわ。アスラン」
「………」
 思いもしない事を言われたように、彼の瞳が見開かれた。綺麗なエメラルドの眼が、照明の光を反射させ、輝く。
「けれど、人は時に、泣かなければ押し潰されてしまいそうになります。泣いてもどうにもならない、何も変わらないと分かっていても、 泣いてしまわなければ心が耐えられない時がある。…キラにとって、それが今だったということですわ」
「…それでも、……俺には」
 俺には涙を見せてはくれなかった。
 こんな時こそ、支えてやりたいのに。
 悔しげに寄せられた眉。寄った皺をほぐすように、ラクスの指先がそこをぐいと押した。
「いけませんわアスラン。眉間の皺は癖になりますわよ」
「っ、ラクス、こんな時に…!」
「あなたがそんなお顔をしていては、キラの心遣いが無駄になってしまいます」
「え?」
 指先を振り払う仕草にも、失礼のないようにという気遣いが見える。こちらが女性だからか、元婚約者だからか。恐らく両方だろうと 思いながら、ラクスは微笑む。
「もう泣かないと決めた。キラはそう言っていました。クライン家で匿われ続けることをよしとせず、自ら戦場へ舞い戻ろうと決意した時の 涙を、最後にするつもりだったのでしょう。…心が軋んで悲鳴を上げ、泣いてしまいそうになっても、それでもあなたの前で決意を貫く ことができたのは、あなたのためですわ」
「…俺の…?」
 はい、と答える代わりにこくんと頷く。
「強い決意と共に歩み出したはずの自分が、泣き崩れる弱い姿を見せてしまえば、あなたを迷わせてしまう。自分と共に歩む道を選んだ ことが本当に良かったのかと、疑念を抱かせてしまう」
「そんな事…!」
「ええ。勿論、あなたが生半可な思いでここにいるわけではないと分かっています。組織から離れることが簡単なことではないと、キラも 知っていますから。ましてや、あなたはお父様と決裂なさってまで、今ここにいる。…けれど…人の心は理屈だけではありませんから。 自分が巻き込んだせいで、あなたにこの道を選ばせてしまったのではないかと…そんな僅かな棘が、どこかに刺さったままになっているの でしょう」
 そんな、とアスランは途方に暮れるような気持ちになってしまう。
 キラに巻き込まれたとか、彼に引き摺られたとか、そんなふうに思ったことなど一度もない。確かに「一緒に探そう」と声を掛けてきた のはキラのほうかもしれない。彼の決意に一切影響されていないとは言えない。だが、それは馴れ合いや言い訳とは一線を隔す前向きな ものであったはずだし、あくまでも決断したのはアスラン自身だ。なのにまさか、こんなふうにキラの負担になっていたなんて。
「だから、あなたの前では、泣かないという決意を貫くことができたのです。……責めないであげて下さいませ。そしてあなたも、ご自分を 責めることのないように」
 アスランの内心を読んだかのように、ラクスが笑みを深める。
「強さも、弱さも、あなたのためにこそ。…妬けてしまいますわ」
「…ラクス…」
 その微笑みの中にキラへの深い愛情を垣間見た気がして、一瞬気圧されてしまう。
 だが彼女はすぐに表情を切り換えた。
「わたくしは一度ブリッジに顔を出してまいります。少しの間、キラをお願いできますか」
 クライン派の旗印であるトップの顔となった彼女に、アスランも表情を引き締める。
「わかりました」
「すぐに戻ります」
 では、と軽やかに床を蹴ったラクスは、ブリッジへ向かう通路の手すりを掴んだ。無重力下での安全な移動を補助する動く手すりが、 彼女の背中を遠ざけてゆく。
 姿が見えなくなるまで見送って、部屋の扉を開く。中へ入ると、地上よりも緩めに設定された重力に導かれて、自然に足が床へと降りた。
 部屋が明るいままなのは彼女の気遣いだろう。自動的に扉が閉じる音と気配を背中に感じながら、ベッドサイドへ歩み寄るアスラン。
 猫のように背中を丸めて眠るキラ。よっぽど眠りが深いのだろう、ベッドの隅にアスランが腰掛けても、まったく起きる気配がない。
 さらりと髪を撫でて、涙の痕に気付いた。
 ベッドを降りて、洗面台へ。中身が飛び出さないよう固定されている戸棚を開けて、清潔なタオルを取り出し、僅かな水で湿してから戻る。 拭き易いようにキラの顔の角度を変えて、目じりから頬を拭う。それだけ動かしても、やはり規則正しい寝息が乱れることはない。
「………キラ………」
 彼と共に行動するようになってから知ったことだが、キラの眠りは酷く浅い。昔は目覚ましだけでは起きられないくらいだったのに、 警報どころか僅かな物音にさえ機敏に反応して体を起こす。
 そのキラが、これだけ深い眠りに落ちるとは。
「一体、何があったんだ…」
 涙が乾いた痕は、頬や鼻筋、顎を通って喉にまで達している。丁寧に拭いてやりながら、アスランは先の戦いを、そして戻って来た時の キラの様子を反芻していた。
 喉の奥から絞り出すような、苦しげなキラの声が耳の奥で蘇り、胸を打つ。

 確かに、今の彼には休息が必要なのだろう。
 オーブからこちら、彼の存在が、彼の静かだけれど力強い言葉が、皆を纏め、そして道標となっていた。ラクスが合流するまでは、 彼こそが旗印だったと言ってもいいだろう。少なくともアスランの眼にはそのように映っていた。
 恐らくキラ自身もそれは自覚していただろう。だからこそ毅然と振る舞っていた。自分の些細な仕草や振舞いが、クルー達にどれだけ 影響を与えてしまうのかを理解していたからだ。クルー達だけではなく―――――そう、自分にも。
 無理もしていたに違いない。
 その中で押し隠していたものが、堰を切ったように溢れた。それが、号泣という形になったのだと思う。

「………キラ」
 もう一度名を呼ぶ。起こすつもりもないが、やはり起きる気配はない。
 恐らく彼が目覚めた時に傍にいるのは自分ではないほうがいいのだろう。ラクスもそれが分かっていたから、後を頼みますとは言わなかった。 すぐに戻ると。あくまでそれまでの間様子を見ていてもいいですよ、という意味で。
 ラクスは妬けると言ったが、それはこちらも同じだ。
 一体何に苦しんでいるというのだろう。アスランだって知りたい。そして支えてやりたいのに。

 …いや。
 すぐにではなくてもいい。
「………今は、眠ってていいから…」
 そっと唇を重ねる。
 いつかは打ち明けて欲しいと、願いを込めながら。




―END―

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UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
 な…懐かしい…!!
 無印の本編設定で話書くなんてどんぐらいぶりでしょう(って断言するのもどうなのよ、って感じですが)。
 このお話を仕上げるにあたって、確認のためにこの前後の回を大急ぎで観返したんですが、うっかり観入ってしまいそうになりました…。 やっぱり一度大ハマりした作品はヤバイですね、ちょっとのつもりが通用しない。ちょっとで終わらなくなっちゃう。
 …が、同時に思うこともあって。
 種ってやつぁ本気で回想が多いな!!(何を今更・笑)
 途中から観る人にも親切設計とフォローしようにも、そもそも途中から観てる人に中途半端な回想挟んだって何のこっちゃか分からんっ ちゅうねん。
 回想が悪いわけじゃないですけど、それにしても多いなと思いましたって話。

 ってか、小説と全然関係ないツブヤキになっちゃいました。