推定三歳児の発想
「あっ! アッシュー!」
ぶんぶんと手を振って駆けて来るルークに、アッシュは眉間のシワをより深く刻んで振り返った。
「てめぇ…でかい声出して人を呼ぶんじゃねぇ!!」
「だって、折角姿見かけたんだし」
「見かけたからって声を掛ける必要がどこにある」
「俺、お前と話がしたいんだよ」
「ハッ! どこまでもお気楽なお坊ちゃんだな」
とか言いながらも、ルークの腕を掴んで往来の邪魔にならないよう街道の隅へと寄るのだから、追い払う気はないはずだ。そう思い直して、
アッシュの隣に立つ。
「なあ、アッシュ今何してんの?」
「てめぇには関係ねぇ。第一てめぇこそ何してやがる。そろそろほとぼりも冷めただろう。いい加減、新帝国(ニーズホッグ)に帰って
即位の準備をしろ」
「…アッシュは? お前は帰って来ないのか?」
「帰るさ。帝都に用事がある時にはな。今更皇位など継ぐ気はねぇ。仮に万が一俺が戻ったとしても、執行部は皇位を継がせるためにお前を
作ったんだ。一度出奔した俺の継承権を、認めやしねぇだろうよ。分かったら腹を括って皇帝になれ。いつまでも帝位を空席のままにするな」
「………」
だが、アッシュのその言葉にルークは余計落ち込んで、頭をうな垂れてしまう。
「…何だ! 辛気臭ぇ!」
「執行部は…お前の帰りを待ってるんだと思う。俺は多分、その間の繋ぎじゃないかな…。それに帰れって言われたって、俺、執行部の
許可が降りないと宮殿に入れねぇし」
「何だと?」
「言っただろ。『大いなる実り』を持って帰った後、皇位継承のための勉強をちゃんとしたいって言ったら、バカなこというな頭冷やして
こいっつって放り出されたって」
それが対外的には諸国漫遊ということになっているのだと、それは確かにアッシュも知っている。他ならぬルーク自身からも以前聞かされ
たし、方々でそんな噂が耳に入ってくるからだ。『大いなる実り』を手に入れた国は、帝位が空席のまま皇太子がフラフラ遊びに出られる
ほど余裕があるらしい、と嫉妬と皮肉混じりに。
しかし、ルークが相棒(パートナー)であるティアと引き離され、事実上帝都を追い出されてから、そろそろ三ヶ月も経とうとしている。
いくら何でも長い。
(いくらこいつがお飾りの皇太子だといっても、こんなに長期間国外に出していては国民の間に不安が根付いちまう。国が荒れる元だっ
てのに…執行部の連中は何考えてやがる)
眉間のシワが一筋増えたところに、ルークの不意打ちが炸裂した。
「だからさ…俺、目的もなくフラフラするより、アッシュの傍にいたくって」
「っ、あぁ!?」
顔が真っ赤に爆発するのを止められず、思わず声を荒げてしまうアッシュ。
「この…っ、屑が!! いきなり突拍子もない事をぬかすな!!」
「だって、アッシュなら帝国の政治を立て直せるって言われてたんだろ? 俺、お前みたいになりたいんだ」
「チッ、どこまでも屑だなてめぇは! その模造品根性が直らねぇからいつまで経っても」
「違う!! …そりゃ、きっかけは…やっぱり、お前が俺のオリジナルだからかもしれない。だけど俺、アッシュが好きだから、アッシュ
みたいになりたいんだ…!!」
「なっ」
かああっ、とまたもや顔面から火を吹いてしまうアッシュ。
(いきなり臆面もなく何を言い出しやがる、こいつはっっ!!!)
しかし、その火を頭から吹いたようにすりかえて、眉間のシワを増やして睨みつける。
「ふざけるな!! 言うに事欠いて、レプリカがオリジナルを好きだとぬかしやがるのか! ナルシズムの極致だな、気色悪ぃ!! いいか、
てめぇは弟って隠れ蓑を被った、俺の出来損ないの代用品でしかねぇんだよ! 身のほどってもんを弁えろ!!」
「ア…アッシュ…」
「分かったら二度と」
「おんやぁ〜? 顔を真っ赤にして酷いことばかり怒鳴ってる若い人がいるので誰かと思って来てみれば、アッシュじゃないですかぁ〜♪」
「っっ…」
わざとらしい能天気さで割り込まれ、思わず言葉に詰まってしまうアッシュ。ぎろりと振り返れば、そこにはジェイドとその片腕アニスの姿。
「でもぉ〜、大佐ぁ〜。な〜んか傍から聞いてると、アッシュってばさっき言ったことと今言ったことが噛み合ってないですよぉ〜?」
「模造品根性云々と言っておいて、代用品呼ばわりですからねぇ〜。いやぁ〜、これは聞いているこちらが生温い笑いを浮かべてしまう
ほどの照れ隠しですねぇ」
「ジェイド…てめぇ、どこから立ち聞きしていやがった…!?」
「まぁ〜、大人びていると言っても青春真っ盛りのギリギリ未成年、まだまだ絶賛思春期真っ只中の十九歳ですからねぇ〜♪ しかも相手は
推定実年齢三歳前後の、憎い憎いと思ってきたはずのレプリカ。これは戸惑ったり八つ当たりしたりしてしまうのも、青過ぎる青春のせい
ってやつですかね。いやぁ〜、まったく年寄りにはむず痒いですねぇ〜♪♪」
「で〜もぉ〜、お子様のルーク様にはぁ、このままじゃ全然通じないと思いまぁす!」
「いけませんねぇアニス、それこそが恋の醍醐味ってやつじゃありませんか〜。あっさりくっつかれた日には、全ダイランティアが泣いて
しまいますぅ〜。いわゆる、全俺が泣いた! ってやつですね〜☆」
「やっだ〜大佐〜年寄りぶったり若いモンぶったり、統一性なくってキ〜モ〜イ〜♪」
「アニスぅ〜、そんな事言う子には、減俸のお仕置きですよ〜?」
「はぅあっ!! それだけは許してくださぁい!!」
「…てめぇら…斬り殺されに来たらしいな…」
ふるふるとアッシュの右手が剣の柄を握る。
「………ジェイド………アニス………」
が、ルークは不穏なアッシュの動きを止めもせず、どこか呆然と二人を見つめていた。
「…お久しぶりです。ルーク」
「ルーク様〜、ティアもちゃ〜んと元気ですよ☆ 私は私のやるべきことをしているから、心配しないで。怪我したりくじけたりしたら
承知しないわよ。って、伝言預かりましたぁ」
やっぱりティアってば素直じゃないよね〜、とにこっと笑うアニスに、うるっと目を潤ませてしまうルーク。これには隣にいたアッシュが
ぎょっとしてしまう。
「おい…大袈裟だろう」
「ちが…っ…だっ、て、二人と会うの…帝都出て以来、だから…!」
「何…?」
ティアと引き離されたとは聞いていたが、まさかジェイドやアニスまで遠ざけられていたというのか。では、この三ヶ月の間、ルークは
本当に一人っきりで?
「…おいジェイド、監視についてたんじゃねぇのか」
「監視はついていましたよ。但し、我々はその任から外されていました」
それだけ言えば後は察しがつくでしょう、とでも言いたげな赤い眼。アッシュは眉を寄せ、視線を逸らした。ジェイドは小さく苦笑して
肩を竦めたようだったが、それ以上説明しようとはせず、ルークへと向き直る。
「ルーク…残念ながら、我々はあなたを迎えに来たのではないのです」
「……………、……そっ………か………………」
「でも、今帝都では、なんとかルーク様を連れ戻せるようにって、ピオニー次席内政大臣やガイラルディア次官達が頑張ってくれてますから。
もう少しの辛抱ですよぅ。ねっ!」
「……みんな……」
潤んでいた目から涙が溢れそうになり、ぎゅっと目を瞑って、がしがしと袖で目元を乱暴に拭った。
「おい。そこにヴァンの名前は出ねぇのか」
「うっわぁ、今そこ突っ込むんだぁ、意地悪〜。ヴァン元帥は、言ってみればアッシュ派! アッシュを連れ戻して即位させるべきだって、
ルーク様に関しては完全中立なの。アッシュのほうがよく知ってるんじゃないのぉ〜? 今でもちょくちょく戻ってこいって言いに来てる
んでしょお?」
「…チッ、帝都でもそんな事言ってやがるのか…」
眉を寄せるアッシュに微笑して、ジェイドは話をさらりと変える。
「しかしまあ、随分熱烈な告白をしたものですね。ルーク」
「へっ?」
「そーそー。ルーク様ってば、いつの間にそんなにアッシュのことラブラブになっちゃってたんですかぁ〜? いやぁん、アニスちゃん
妬けちゃう〜!」
「…だって俺、アッシュがいなかったら…生まれて来られなかったからさ」
漫才モードにスイッチを戻そうとした二人に、しかしルークは穏やかに答える。
「だから、どうしたってアッシュのこと、気になっちまうんだ。そうやって、ずっと見てたら、いつの間にかすげぇ特別で、大切な存在に
なってて…。…なんでだろうな、最初はムカつく奴って…違うな、多分本能的にオリジナルだって分かったんだ。自分がレプリカだなんて
知らなかったけど、でも…あの時、なんていうか…レプリカがわらわら出てきて、でもお前だけは違う、本物が帰ってきたから偽物の俺は
もういらないんだって、…いのちの根源…みたいなとこが、察したんだと思う。だからお前のこと、すげぇ怖かった」
「………」
「怖くて、混乱して、しかもお前、俺のこと殺そうとするし…ああやっぱり俺っていらないんだって。あの頃は兄貴が失踪したって聞いてた
からさ、どっかで国を捨ててでも遠ざかりたいくらい俺のこと嫌いだったのかなって、消えた記憶が思い出せれば誤解が解けるかもしんねー
のにって、思ってたこともあった。まぁ、結局記憶ってのは、元々ないもんだったんだってこと、すぐにわかったけどな」
思わぬところで語られたルークの思いに、アッシュは目を伏せる。記憶と役割をあてがわれたレプリカが何を思って生きてきたかなど、
知りたくもない。これ以上、レプリカのことなど知りたくない。何を考え、何を思い、―――誰をどれだけ想っているかなど。
「妬けますね。ルーク」
珍しく柔和な微笑みを浮かべたジェイドが、ぽんぽんとルークの頭を撫でる。
「それを言うなら、私がいなくてもあなたは生まれなかったんですよ。なんでしたら、お父さんと呼んで下さっても結構ですが」
一瞬ぽかんとしてしまったルーク(背後ではアニスが顔を真っ青にして「怖っ! 逆に怖いっつーの!」と呟き震えていた)だが、次の
瞬間、ぷっと愉快そうに吹き出した。
「お、俺一応十七ってことになってんだけど? ジェイドの息子にしちゃデカすぎるって」
「いえいえ。ギリギリセーフというところでしょう。あなたの実年齢を考えれば余裕ですね。いっそお父さんと一緒に亡命してしまい
ましょうか、可愛い坊や」
「うわっ、寒っ!! それにいい加減ガキ扱いすんなっつーの!」
「フン。それを言うなら、貴様がいなければレプリカ技術が確立することもなかった。あの模造品どもがぞろぞろと湧き出してくることも
なかっただろうな」
「ちょ、アッシュ…!」
「いいんですよ。実際私がいなければ、レプリカ技術の確立にはまだ数十年はかかったでしょうから。ところでルーク、話を戻しますよ」
「戻すのかよ! そもそもジェイド、親父ってガラじゃ」
「ルーク」
不意に、今までと違う真剣な声。誰もがぎくりと真顔に戻り、はっとジェイドを振り返る。それだけの引力を持つ声だった。
「私は本気です。ですから、あなたも覚悟を決めて下さい」
「…ジェイド…? どうしたんだよ…」
「最悪の場合、私はあなたを連れて一旦新帝国(ニーズホッグ)を出ます。アッシュに国へ戻る意志がない以上、我々に残された『直系の
皇族』は、あなた一人しかいないのです」
「…な、何言ってんだよ、俺は…」
「レプリカであることはこの際問題ではありません。ルーク・フォン・ファブレは、新帝国(ニーズホッグ)の総意で認証された前帝の息子。
第一皇子アッシュ・フォン・ファブレの弟であり、皇位継承権を認められた存在である。それが重要なんです」
「…どういうことだ」
唖然としているルークに代わって、アッシュが先を促す。
「今の執行部は腐り切っています。アッシュはよくご存知でしょう、派閥争いに勝利しただけでは飽き足らず、前帝を暗殺して国の支配権を
我が物としている、執行部を事実上牛耳っている人物のことを。本来帝位が空席のまま何年も放置されるなど有り得ないことです。例え
まだ幼かろうと、速やかに第一皇位継承者が即位してしかるべきだ。しかし、その人物はそれを阻止した。なぜならアッシュは、幼くして
ヴァン元帥に師事する剣豪であり、積極的に学問に取り組む生真面目な性格であり、第一皇子である自らが負う責任についての自負もある、
聡明な少年だったからです。これでは傀儡として使うことなどできそうにありませんから」
「………」
思い当たる人物がいるのだろう。アッシュは今までで最高に険悪な顔になり、ぎりっと拳を握り締める。
「ルーク。覚悟を決めて下さい。我々はあなたを旗印として、執行部の粛清を行ないます。新帝国(ニーズホッグ)を侵食している膿みを、
根こそぎ引っ張り出して排除する。そのための準備が必要なのです。今あなたを失うわけにはいかない」
「ハッ。随分焦ってるじゃねぇか。とうとう執行委員会で試作品(プロトタイプ)の廃棄でも提案されたのか」
「……………」
半ば冗談だったアッシュの言葉に、アニスの表情が曇り、ジェイドは俯いて眼鏡のブリッジを押した。顔色を伺えないその角度に、赤毛
二人がぎくりと揃って肩を震わせる。
「…おい。…何とか言え! ジェイド!!」
「…まだ、正式に案が提出されたわけではありません。…が」
「あるんだな。そういう話が」
「…ルーク様…」
「馬鹿な! 何を考えてやがる!! こいつがいなくなれば今度こそ皇位継承権を持つ者はいなくなるぞ! 連中が腐っていようが使い道が
傀儡だろうが、俺の代わりを務めさせるために作ったんじゃなかったのか!! 第一ルークは、執行部の望み通り『大いなる実り』を
新帝国(ニーズホッグ)にもたらして見せただろう! それを…」
「アッシュ、やめてくれ。それはジェイドに言っても仕方ない事だろ」
「てめぇは…! 自分のことだろうが!! 何を暢気なことを…!」
はっ、とジェイドがルークの腕を掴んだ。右腕の、肘の辺りを。
「ジェイド?」
「失礼、ちょっと見せて下さい」
じっ、と掴んだ辺りを見つめ、軽く握ったり押さえたりして確かめる。
「…アザ? ですかぁ? …なんか、輪っかみたいにぐるっと一周してますねぇ」
アニスの言葉にも答えず、しばらく触診を続けるジェイド。
やがて珍しく唇を引き結ぶような仕草を見せ、口許を隠すように眼鏡のブリッジを人差し指と中指を揃えて押した。
「…もう一つ、覚悟して頂かなくてはいけないようです」
「えっ?」
「隻腕になる覚悟を」
ぎくりと体を震わせるルーク。心当たりがあるという様子に、苛ついたアッシュがまだルークの腕を掴んだままだったジェイドの腕を払う。
「どういう事だ!!」
「ユグドラシルバトルが終わった時、本人には言ったのですが…ルークの右腕は一度切り落とされています。まだ彼がシリアルナンバーで
呼ばれていた頃、耐用実験の一貫でね」
「…!!」
さらりと言われた内容に、眉間にシワを寄せたまま眼を見開くという、彼以外にはできそうにない表情。アニスはぞっと背中を震わせ、
反射的に両手を口許に当てた。
「接着再生の実験は成功しました。しかし、その後他のレプリカで同じ実験を行なっても、再び成功することはなかった。彼だけの奇跡と
思われていましたが、種明かしをすれば、私が仕込んだある物のお陰なんですよ」
「ある物、だと…」
「六年前にヴァン元帥とリグレット大佐が持ち返った『大いなる実り』の欠片です」
「馬鹿な! そんなものが残っている筈が…、まさか」
「ええ。民に与えるはずのそれを密かに着服していたある貴族から失敬したものです」
「うわ…。無いことになってるのをいいことに横からガメたんだ、大佐…」
ぞぞっとアニスが寒気を押さえるように自分の両腕をさすった。
「ですが、その欠片の力も、そろそろ限界のようです。予想より随分早いですが…。私は、いずれあなたの右腕が失われることを分かって
いました。だからあなたを左利きにしたんです。盾を持たないアルバート流の指南をヴァン元帥に依頼したのも、隻腕になっても戦える
ようにと」
「…そっか。そこまで考えてくれてたんだ」
「でもぉ、前回はダメだったけど、今回の『大いなる実り』も新帝国(ニーズホッグ)にもたらされたんですから、おんなじ方法でくっつけ
直せるんじゃないんですかぁ?」
「だめだ!」
アニスの提案を即座に却下したのは、他ならぬルーク。
「だめだ。あれは国民に、ダイランティアで生きる総てのものにもたらされるべき恵みだ。俺の腕一本のために使うわけにいかない」
迷いの無いその言葉に、ジェイドとアニスは顔を見合わせ、アッシュは「馬鹿が」と小さく呟いた。
「今のあなたなら、いずれいい皇帝になるでしょうね」
「俺なんかより、アッシュのほうが」
「くどい。俺を当てにするなと何度言ったら分かるんだてめぇは」
「でも…俺、相変わらず頭悪ぃし…国の統治なんて…」
「それもシリアルナンバー時代の後遺症のようなものです。あなたの知識レベルや学力が一定以上にならないよう制御する、マイクロマシン
が脳に埋め込まれているんです。あなたは元がアッシュなのですから、やる気になればできますよ。騎士国家(フレスヴェルグ)の
ハロルド博士に密かに協力依頼をお願いしてありますから、できるだけ早く除去手術を行ないましょう。それに、右腕の処置もね。
このまま放置していたら、ある時いきなりぼとっと落ちてしまいますから」
「ひえっ、怖いこと言うなよ! 想像しちまったじゃねーか…」
右腕をさすりながら、どこか名残惜しそうに見るルーク。
「…ハロルド博士にあたまいじらせるほうが怖いと思いますけどぉ」
「帝国の科学者に依頼するよりは遥かに安全ですよ。博士ならルークを実験台にこそすれ、さりげなく殺してしまおうとはしないはずです」
「………どっちもどっちだ」
げっそりとアッシュが溜息をついた、そこへ。
「ジェイドさ―――――ん!! アッシュさ―――――ん!!」
名を呼んだ、たったそれだけで空気を百八十度変えてしまった明るい声。その主は、街道の奥のほうから駆けて来る。いや、あの勢いは
突進してきたというほうが近い。
「おや? あれは確か」
「騎士国家(フレスヴェルグ)の、…えーっとぉ〜…」
「たあああっ!!」
「ひょえぇぇぇぇ!?」
名前を思い出そうと、人差し指を顎にくっつけて上目遣いプラス首傾げをしていたアニスに向かって、いきなり抜刀する少年。
咄嗟にトクナガを巨大化させるも、少年が剣を振り下ろした相手はアッシュ、の前に立ちはだかったルークだった。
「お前、誰だっ!」
「お前こそ誰だよ! なんでいきなりアッシュに斬りかかってくるんだ!! …って、あれ!? カイルじゃんか」
「あ、そっか、ルークさんか! ごめんごめん、髪切って雰囲気変わったから、一瞬分からなかったよ」
「ルーク!! この馬鹿野郎!!」
いきなり和む二人に、守られた立場のはずのアッシュの怒号が響く。
「人が抜刀したところに飛び込んで来るんじゃねえ!! もう少しでお前を斬るところだっただろうが!!」
「え!? う、嘘…マジ?」
「誰かを守ろうってんなら、敵ばかりじゃなく相手のこともちゃんと見ろ! 大体俺はてめぇなんぞに守られなくても、自分の身は自分で
守れるんだよ! 余計なことをするな!!」
「ご、ごめん…」
意気消沈するルークの前で、カイルはにぱっと笑顔になり、剣を鞘に収めた。
「ケンカさせちゃってごめんなさい。でも、どうやら本物みたいだね!」
拍子抜けするルークの後ろで、アッシュが深い溜息。それから二人共、剣を収める。
「カイル。ユグドラシルバトルはとっくに終幕宣言が出されている。往来でいきなり剣を抜くな。警護兵に連行されても知らんぞ。保護者
はどうした、保護者は」
「それはスタンのことを言っているんだろうな。アッシュ」
カイルの走ってきた足跡をたどるように、落ち着いた黒髪の青年が現れる。その胸に留まっているのは、騎士国家(フレスヴェルグ)の
する二大騎士団の片翼を担う団長であることを示すエンブレム。
「間違っても、僕のことだなどと言ってくれるなよ」
「お前以外に誰がいる。リオン、お前ルークを俺と間違えたそうだな。子守りにかまけてる間に目が曇ったんじゃねぇか」
「何!? …フン、過去の自分は棚に上げてというわけか。三年前のお前は丁度、髪を切る前のルークにそっくりだったぞ。ユグドラシル
バトルに関わるものは誰彼構わず敵のような顔をして、その実一番勝利に執着していたのはお前だった。よっぽどヴァン元帥と婚約者に、
いいところを見せたかったようだな。ティアの前で格好をつけたがるルークと、何も違わない」
「なんだと…? 人の話は正しく聞けよ、騎士団長サマ。どこをどう見たらこの屑の劣化した色を俺の色と間違えるんだって言ったんだよ!」
「なっ…アッシュさん! そんな言い方酷いよ!! そりゃ、確かにルークさんは口は悪いし、上から目線で偉そうだし、人のことバカに
したような言い方して、すっごく腹が立つけど!!」
「カイル。フォローどころかその間逆だぞ」
「う…。でも、しょうがねぇよな。俺…ひどかったから」
しゅんとするルークに、ふっと小さく微笑するリオン。
「…だが、髪を切ってからは大分マシになったようだな」
「………そう、かな。…そうだったらいいな。ありがとう、リオン」
「だけど!! 屑とか劣化なんて、人に向かって言っていい言葉じゃないです! ましてや自分の弟になんて!!」
カイルの勢いに思わずうひゃっと肩を竦めてしまうアニス。どうやら彼の話はまだ終わっていなかったらしい。
「お前には関係ない話だ。第一こいつは俺の弟なんかじゃねぇ」
「そんな!!」
「成すべき夢、目的があると言っていたお前と、同一人物とは思えんな。自分は国を飛び出して弟に責務を全て押しつけておきながら
その言い草とは、見損なったぞ」
「チッ! 何も知らねぇ癖に勝手なことばかり言いやがって。知らねぇ間に随分あっちこっちで味方を作ったもんだな、屑」
「だから!! その屑っていうの、やめて下さい!!」
「あー、カイル? 俺は別に…」
「駄目です!! こんなの間違ってるよ! 絶対駄目だ!!」
「今回ばかりは僕もカイルと同意見だ。お前達の間に何があったか知らないが、聞かされるこちらが不愉快だ」
「うるせえっ!! だったら関わらなけりゃいいだろうが! 勝手に首突っ込んで不愉快になったからって、俺が知るか!」
「アッシュさん!」
「だーもう、だから!! ちょっと待った!!!」
ヒートアップする口喧嘩に待ったをかけるルーク。しかし止めたはいいものの、アッシュの視線もリオンとカイルの視線もじっとこちらへ
降り注がれるものだから、あー、とかうー、とか言いながら後ろ頭を掻いて。
「えーっと、…それで、結局、二人は何しに来たんだ?」
「あっ!!」
そういえばという感じで原点に戻ったら、途端にカイルがぽんと手を打った。
「そうだ、あの! オレ達を見ませんでしたか!?」
身も蓋もないカイルの聞き方に思わず額を押さえるリオン。その前で、あはははーと胡散臭い笑いを浮かべるジェイド。
「面白いことを仰いますねぇ。ええ、見ましたよ」
「ジェイドさん、ほんとっ!? どこで!?」
「はい。今ここで、あなた方を」
途端、がくーっと肩を落としてしまう。
「なんだよぉ…」
「まともに受けるなカイル。つまり、この道は通っていないという事だ」
「あのぉ〜大佐? もしかして…」
「ええ。あなた方はもしや、ご自身のレプリカを追っておられるのでは?」
「そうなんです! レプリカっていうんですよね、あのドッペルゲンガー! どこかで見ませんでしたか!?」
「ええ、レプリカなら」
「ほんとっ!? どこで!?」
「はい。こちらに」
にっこり笑ってすちゃっと手で示したのは、ずばりルーク。
「ちょ…大佐ぁ、相手は騎士国家(フレスヴェルグ)の要人ですよぉ!? そんなぶっちゃけちゃっていいんですかぁ!?」
「今更ですよ、アニス。世界各地にレプリカが大勢出没するようになってからこちら、表立って疑われるようになりましたからね。
…世継ぎ争いが起こることを案じて里子に出されていた弟が、長子アッシュが行方不明になった途端、記憶喪失で現れる。今時三流小説
でも有り得ない設定です。そこに、オリジナルとうりふたつのレプリカがわらわら現れる。さて、三流小説なら当然、ではあれもレプリカ
か、という流れだと思いませんか?」
「俺の存在って三流小説かよ…」
がっくりとうな垂れるルークと、苦虫を三十匹くらい一度に噛み潰したような顔をしているアッシュを、交互に見つめるリオンとカイル。
「…まさか…本当にそうなのか」
「ルークさんが、アッシュさんの…レプリカ!?」
「ええ。彼が正真正銘、世界で最初のレプリカ成功体です。成功体といっても、同時に試作品(プロトタイプ)でもあるのですが」
「はわわわわ〜…帝国の超トップシークレットが…アニスちゃん知ぃ〜らな〜いっ」
アニスは人形サイズに戻したトクナガの手で耳を塞ぎ、しゃがみ込む。
「いけませんねぇアニス。最初にこの事をばらしてしまったのはアッシュですよ? 私はそれを補完したに過ぎません」
「あぁ!? 俺がいつそんな事を言った!!」
「さっき仰ったじゃないですか。ルークは弟ではないと」
だからってレプリカという単語までは出してない、とゲンナリするルークとアッシュ。
「そんなとこ補完しなくていーだろ…」
「薄々気にはなっていたが、ジェイドお前、実は相当キレてやがるだろう」
「さすがにあなたは騙し通せませんね。ええ、実際相当頭に来ていますよ。腐れきった執行部の連中が、周辺各国からの突き上げを喰らえば
いいと思っているくらいには」
キラーンと眼鏡を光らせるジェイドに、アッシュはやれやれと溜息。その前ではリオンとカイルが顔を合わせて何やら考え込んでいる。
「だが、…だとしたら…あれは一体…」
「…何だ。まだ何かあるってのか」
「オレ達のレプリカ、ルークさんのレプリカと一緒だったんです」
「ええっ!? 俺!?」
「だけど、ルークさんがレプリカだったら、あのレプリカってアッシュさんの…?」
「いや。アッシュの姿をしたレプリカも別にいる。そっちは神聖王国(ヘイズル)の神子候補のレプリカと一緒だった。お前も見ただろう、
忘れたのか」
「あ…そういえば…。で、でもアッシュさんのレプリカってルークさんになるんだよね。レプリカって鏡で写したみたいにそっくりで、
でもアッシュさんのレプリカとルークさんのレプリカはそれぞれ別々に………あああ、頭こんがらがってきちゃったよ!!」
頭を抱えて髪をぐしゃぐしゃにしてしまうカイル。確かに混乱するだろうなぁ、となんだか申し訳なくなってきてしまうルークであった。
「ちょっと待って下さい。そのレプリカは、間違いなくこのルークの姿だったのですか?」
「ああ。間違いない。髪を切る前の姿だった」
「そうですか。………となると………」
軍人スイッチに切り換わるジェイド。今世界中を飛び回っているレプリカ達は基本的にジェイドのあずかり知らぬところで製造されて
いるものだが、髪が長い頃のルークと同じ姿のレプリカがその中に含まれているとなると、彼らは想像主のみならず帝国執行部に利用される
可能性もあるのだ。
試作品(プロトタイプ)であるルークは、生まれてからすぐにありとあらゆる耐用・運用・実用実験に晒され続けてきたために、髪と
虹彩の色が薄まってしまったが、結果の目覚ましさ故に多くのコピーが取られたのである。アッシュのレプリカでありながらルークの
レプリカでもある彼らは、ユグドラシルバトルの間に表舞台に立っている現ルークと入れ替わろうとした結果、アッシュによって斬り倒された。
また、当時の遺伝子情報はジェイド自身の手によってとっくに破棄されている。
(とすると、レプリカが出現し始めた時期のことも考えれば、遺伝子情報が採取されたのは比較的最近である可能性が高い…。内通者か…? だが、
やはり分からない。レプリカを使って一体何をしようとしているのか、その目的が)
ユグドラシルバトルの裏でも色々と動いていたようだし、以前ジェイドのレプリカと『ルークタイプ』のレプリカがディムロスを強奪
しようとしていた前科もある。何がしたいのか今一つ意味不明だが、しかし彼らの統率は取れている様子。フォミクリー施設を密かに
乗っ取っていたダオスという男はルークとティアが倒したというが、それにしては未だに大量生産型レプリカ達が動いているのが解せない。
…となると。
(倒されたと装って健在、そしてレプリカ達も操っている…その可能性が最も高い。…ダオス…一体何者だ)
思案を巡らせるジェイドの前で、チッとアッシュが舌打ち。
「ついにお前らのレプリカまで現れやがったか」
「そいつら、オレ達のフリしてハロルドさんの研究所からハロロニウムを大量に盗んで行ったんです!」
「で、そのレプリカの尻拭いをオリジナルである僕達がさせられているというわけだ。まったく…! いつの間に、どこのどいつが僕達の
遺伝子情報を盗んで行ったのか」
「なんかもぉ、どこもかしこもレプリカだらけですねぇ」
「……………あのさ」
ふ、とルークがやけに真面目な顔を上げた。
「ジェイド、レプリカってそんなに簡単に作れるものなのか?」
「ええ。あなたが生まれた時には奇跡と呼ばれた技術ですが、確立した今では、きちんとした規模の施設さえあれば簡単に量産は可能です。
但し、勿論原料ともいうべきマナは一定量必要ですし、短時間で大量に生産すれば当然精度は落ちます。特に精神面が脆く、暗示や記憶の
植え付けが容易な上に複雑な思考をすることはありませんので、まさに使い潰しの兵隊にはうってつけというわけです。まあ、現在大発生
しているレプリカ達については、多少様子が違うようではありますが」
「レプリカってさ、人間だけしか作れねぇの?」
「いいえ。詳しくは省きますが、現在の技術なら大抵のものなら作ることが…ルーク、あなた一体何を考えているんです?」
きゅっ、と唇を引き結ぶルーク。全員の視線が集まる中、ちらりと一度アッシュのほうを伺う。
「こんなこと言ったら、アッシュはもの凄く怒ると思うけど…」
「…言ってみろ。怒るかどうかはそれから決める」
やっぱそうだよな、とごくりと唾を飲んで。
「あのさ…。こんなにわらわらレプリカ作れるんだったらさ、世界樹のレプリカも作れるんじゃねぇの? そんでさ、それ各国の首都に
でもどんと根付かせたら、三年に一度『大いなる実り』が必ずどの国にももたらされるんじゃね? ユグドラシルバトルも、する必要
ねーじゃん」
推定三歳児の思いつきというのは恐ろしいもので。
新帝国(ニーズホッグ)の第二皇子ルークによる提案は瞬く間に各国トップが飛びついた。四国の総力をもってしてダオスから増幅型
魔導器(ブラスティア)とレンズを奪還し、フォミクリー施設を占拠すると、早速それぞれの首都に順次、レプリカ世界樹が植えられ
ましたとさ。
「つーか、ありえねー…」
「…言い出したてめぇが言うんじゃねぇ、この屑が」
「私は説明的な長台詞ばかりで疲れたのですが。今までの長々しい前振りは何だったんでしょうねぇ」
「た〜いさっ、それは言わないお約束v」
END
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
最後の最後がこんなオチですみません………。