4 披露山公園
披露山公園からの眺めはすばらしい。東に逗子市街、南には逗子湾と葉山マリーナが一望出来、
山下には徳富蘆花の小説「不如帰」の石碑と浪子不動があり.西には逗子マリーナ、鎌倉、江ノ島
方面が望めます。
春になると公園の大島桜が花を咲かせ、葉は逗子名産の桜葉ワインに使うために夏になると地元
の婦人たちが葉を摘みます。
披露山公園へは鎌倉行きバスで披露山口に下車して徒歩、または逗子海岸から浪子不動を通り山道 を登る、さらに新宿神社の脇から登る三つのルートがあります。いずれも三十分ほど登ると山頂の 公園に着き、頂上にある展望台からは江ノ島はもとより、晴れていれば富士山、大島も眺められま す。
戦争中は披露山に高射砲陣地があって一般の人が登ることはできませんでしたが昔は逗子から小坪 に行く道があり、住民の往来に使われたそうです。
高射砲陣地の名残が猿の山や展望台となって残っていますが披露山から大崎公園に至る山は開発さ れ高級住宅地となって、山の姿は大きく変わりました。
帰りは近くの大崎公園へ寄り、小坪港へ下るか、逗子海岸へ出るルートがあります。
日頃、おろそかになっている運動がてらお弁当を持って、家族一緒に行ってみてはいかがでしょう か。きっと楽しい一日になるでしょう。
披露山より
5 JR逗子駅
明治21年大船-横須賀間の鉄道工事が始まり、翌22年に逗子駅が現在の場所に建てられました。
駅周辺は一面茶畑だったそうですが今ではとても信じられません。
同年、町村制施行により、七カ村が廃合して逗子は田越村と呼ばれていたので「田越駅」も候補に 上がったそうです。6月に横須賀線は開通し、初日の新橋-逗子間の乗降客は16人で、大船・横須
賀間を45分で1日4往復運行しました。
明治27年に葉山御用邸が出来ると横須賀線の運行本数も上下20本と増えて、多くの別荘が建てら
れ、また海水浴場が開かれたため大勢の避暑客でにぎわうようになりました。
関東大震災後に建て替えられた駅はその後長く使われ、夏場には1日数万人が逗子を訪れた時期も
ありましたが今は見る影もありません。駅前のロータリーは人々の憩いの場で、テレビ放送が始ま
ると駅前にテレビが設置され力道山のプロレスを大勢の人達が観戦していましたが、バス、タクシ
ーの発着場と変わりうるおいのない場所になってしまいました。現在の駅は昭和44年に建て替え
られたもので、駅舎の建設工事の際砂地で貝殻がたくさん出土したので昔はこの辺りまで海が入り
込み、裏駅の山裾に波が打ちう寄せていたことが分かりました。
もう少し東逗子よりに駅を作るという案もあったようで、もしかしたら「桜山駅」になっていたか
もしれません。
JR逗子駅前
6 逗子海岸
逗子海岸は全国で一番早い海開きを6月に始める。2006年は海の家100年祭で逗子海岸営業協同
組合は様々なイベントをを企画しました。ビーチにはステージを作り、ハワイアン音楽を披露
したり、逗子のお土産を作りZushi Beachを広める企画も進められてポストカード、Tシャツ、
逗子の焼き菓
子、パッケージ、ロゴデザイン、海の家で使うコースターなど逗子海岸でしか手に
入らないオリジ
ナル商品の販売や演出しましたが残念ながら不発に終わりました。
しかし、海岸にライブハウスが 作られ、メジャーになった人が出て若者が集まり、海水浴のお客
さんも多くなって、2005年には38万人と海水浴客が増え、海の家が42軒も建ちました。
パラソルやヤシの木をならべて通路と浜を分け、より楽しめる海水浴場にと工夫をこらして楽しい
海水浴場にしたいと努力しています。
毎年夏のビッグイベントは花火大会で湘南では最大のものです。
また、逗子はマリンスポーツが盛んでサーフィン、ウィンドサーフィン、アウトリガー、カヤッ
ク、ヨットなど多彩です。
逗子海岸
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