慶応2年(1866)10月に起きた大火を機に居留地に住む外国人たちから都市改造の要求があり、日本人街と居留地の
間に防火を兼ねた日本大通りが出来ました。
また、東西波止場の海面を埋め立てて新しい運上所が建ち、その先の海岸に湾曲した波止場「象の鼻」が造られました。
象の鼻は沖合の船から積み荷を小舟に積み分けて波止場へ運び入れる従来方法と同じでしたが、波風の影響を受けずに積み荷が出来る波止場として、また、居留地の人たちには散策コースとしても絶好の場所と好まれました。
築造は英国人土木技師ウィットフィールドとトソンが設計し、造ったと言われおり、大型船が直接接岸出来るように
なったのは30年後に鉄桟橋が出来てからでした。
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