ひとりごと
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チーピィなソング - April 29, 2005 -
学生時代,研究室にオーストラリアからの留学生 NS がいました。
日本語もぺらぺらになるほど日本に馴染んでいた,なかなかのナイス・ガイです。
しかし,日本の歌について聞いてみると,すべて "cheapy" だと彼は言います。
当時は宇多田ヒカルが出始めで話題になっていた頃,そこで彼女はどうだと聞いてみると,「可愛いけど歌はダメ」とのこと。
私自身は洋楽にはまったく疎く,比較もできないので言われるままでしたが,日本人としてあまりよい気はしませんでした。
アメリカに住んでみて,せっかくなので洋楽 を聞くことに。
オンライン・ストアで曲を購入すると,売れ筋 Top100 ランキングなどがあって,その中から見繕えば,洋楽音痴のわれわれでもそれなりの曲を見つけることができます。
だいたい半年ごとに,リサーチ&購入していました。
そして帰国後。
音楽にはあまり詳しくないので的確に評価できるボキャブラリーはありませんが・・・
帰国が年末だったこともあって,流行りの曲を耳にする機会も多かったのですが,"American Idol" で素人に度胆を抜かれたわれわれの耳には,上手い! と思える人はいません。
曲の作りも,ウケや流行を狙ってるだけ,今だけ売れればそれでいいという印象。
確かに cheapy という表現に納得。
NS の言っていた意味がよく分かった気がします。
テレビを見ていても同様。
ドラマなど,やはり全然違います。
予算の違いなどもあるのでしょうけど,日本のドラマは有名人で視聴率を稼ごうとしているようにしか見えませんね。
日本に帰ってきてみると,"24" がかなり話題になっていました。
"24" のドラマ仕立ての CM が作られたりもしています。
われわれも帰国後にシーズン1・2とレンタルなどして見ました。
アメリカではシーズン4が佳境に入ってる頃とか。
日本でも見れる日が楽しみです。
今さら大統領選 - February 2, 2005 -
昨年末に,2004 年アメリカの一大イベント,大統領選がありました。
われわれは引っ越し等のため慌ただしく,ホームページでは触れないままでしたが,就任式もあったことですし,ひと言書いてみます。
今回は選挙前から反ブッシュの雰囲気も強く,ケリーさんで間違いないだろうと思ってました。
特にわれわれの周囲ではブッシュ支持の声などまるで聞きませんでしたし。
しかし終わってみればブッシュ再選。
ケリーさんがあまりにもしょぼ過ぎたというのも間違いないところですが,その結果は驚きですらありました。
ところがさらに驚いたのは,選挙後に聞いた話。
今回の選挙の争点がイラク戦争や経済問題ではなく,モラルの問題であったというところ。
われわれの帰国直前のアメリカでは,同性結婚が1つの大きな話題でした。
地方の知事や裁判所が憲法に照らして容認すれば,大統領をはじめとする保守派は条例改正で応酬したり,憲法改正まで話が及び,なかなかに物議を醸したのです。
それから,ブッシュの側近のチェイニーさんだったかの娘が同性愛者であることが報道され,選挙戦が不利になるのではと言われました。
しかしチェイニーさんが娘を守ると演説すると,家族愛の美談へとすり替えられ,結局,プラスにしてしまったのでした。
このように最近のアメリカでは,キリスト教的モラル,家族愛,そういった,クラシカルな価値観が見直されているのです。
そういった今回の選挙の争点,そして東西海岸と内陸部でくっきりと分かれた今回の選挙結果を並べて見てみると,今回の大統領選の本質が見えてくるように思います。
要するに,イラクがどーなろーと自国の兵士が死のーと経済が崩壊しよーと知ったこっちゃない,自分の家族とご近所づきあいが安泰ならそれでいーという,田舎者が勝ってしまったということです。
そんな田舎者大国は今でも,主に東西海岸を通して世界と関わり,あらゆる面で絶大な影響力を持っていて,しかも実際にそれを行使しているわけです。
その現実を考えると恐ろしさすら感じます。
そして実はこれはブッシュ支持派だけに限ったことではないようなのです。
アメリカ人はあまり海外旅行に出かけないのだとか。
周りのアメリカ人学生や研究者の中でも,2年のうちに海外の学会に出かけた人は見たことがありませんし,日本や海外への旅行に興味はありそうでも海外で働くことは発想すらないようです。
なまじ国内にすべてがそろってしまっているだけに,海外に出かける必要性を感じることすらないのでしょう。
その結果,限られた国の内側だけに閉じこもってしまい,価値観や考え方が偏ってしまう傾向があるように思えます。
ある意味,アメリカ人全般が田舎者化していると言えそうです。
ちなみに,日本に帰国後テレビなど見ていると,政治家や文化人に「ブッシュの方が日本にはよかった」といったことを言う人が意外に多く,ちょっと悲しくなりました。
歴史の裏表 - March 27, 2004 -
先日,ホロコースト記念博物館に出かけてきました。
展示物の中にはかなりエグイものもあると聞いてはいましたが,この地球の歴史の一員として,こうして近所に住んでいるからには,一度は目に焼き付けておかねば,などと思わなかったわけでもなかったような気もします。
決して愉快なものではありませんが,なかなか人気の博物館です。
実は以前にも一度出かけたのですが,昼過ぎに着いたときには,常設展への当日の入場券がすでになくなっていました。
今回はそれを学習して少し早めに出かけ,無事に入れたのでした。
博物館内へは無料で入れます。
入ってみると,内部はモダンできれい,そのコマーシャルな雰囲気は Smithsonian 博物館群よりはスパイ博物館に近い感じです。
2〜4階の常設展への入場は無料ですが,上記のように入場券が必要です。
常設展ではまずエレベータで4階に上がり,展示物を見ながら2階まで下りてきます。
内容は基本的に学校で習ったことや戦争映画などで見た内容と同じですが,私がもともと世界史に強くないこともあって,改めてけっこうな勉強になりました。
で,その後も調子に乗って,ホロコーストについてインターネットで検索して調べたりしました。
すると,実はホロコーストで言われている定説には嘘があるという説を発見。
その内容は,ナチスに虐殺されたユダヤ人は言われているほど多くない (博物館の展示や定説によると 600 万人) だとか,なんとガス室はなかったという説もあるそうで。
しかもその根拠を読んでみるとけっこう納得できてしまったりします。
確かに言われてみれば,実物や記録映像が目白押しの展示物の中でもガス室に関わる部分はすごく貧弱で,写真も1枚もないのです。
ガス室はナチスの悪の象徴のようなものですから,それが捏造なのだとすると印象は多少変わってきてしまいます。
ただ,だからといって,決してホロコーストの事実まで否定するわけではありません。
ナチスがユダヤ人を迫害したことも事実なら,それによって多くのユダヤ人の命が失われたこともまた事実なのですから。
ま,われわれには直接証拠を確かめる術はないわけで,どちらとはっきり結論付けることもできません。
歴史って難しいと改めて考えてしまいます。
ところで,この博物館には謎があります。
ここは一見スミソニアン系列のような顔をしてますが ,実は違います。
これだけの立派な博物館が,どうして無料で営業できているのでしょう?
Smithsonian や National Gallery のように土産物屋やカフェなどが充実しているわけでもなく (土産物屋は入り口付近にありますがおまけ程度の貧弱なものです),利益を生み出せる要素が見当たりません。
どうやって維持・運営しているのでしょう?
これはあくまで私の想像ですが,この博物館は,何らかのユダヤ人組織によって運営されているのではないでしょうか。
ホロコーストに限らず,それ以前から迫害され続けてきた (その歴史を紹介する映像も博物館内で流されています) 彼らにとっては,自分たちの被害者的立場をアピールすることには大きな意義があるでしょう。
つまり,この博物館が彼らのプロパガンダ基地になっているのではないかと思うわけです。
ユダヤ人の一部は莫大な財産を持っているといいますし,その気になればこれぐらいの博物館を運営するコストは問題にもならないでしょう。
ま,これは単なる推測ですが,仮にそれが当たっていたとしても悪いことだと言うつもりはありません。
自分たちの地位向上のために投資をして宣伝活動をするというのは,悪いことでも何でもありませんし,むしろ当然といえるでしょう。
ところで,Dulles 空港の近くにオープンされた航空宇宙博物館の別館に,去年の 12 月に行ってきました。
格納庫のようなだだっ広いスペースにひたすら飛行機等が並べられた,飾りも素っ気もないようなところですが,その分たくさんの飛行機を見ることができます。
スペースシャトルやコンコルド等も見ることができます。
ここの目玉の1つが,広島に原爆を投下した爆撃機,エノラ・ゲイです。
この別館がオープンするときには,原爆の遺族の方 (だったかな?) が抗議したというのがニュースになっていましたね。
しかし結局それらの抗議は受け入れられることなく,そのままオープンに踏み切られてしまったわけです。
われわれも展示を見ましたが,パネルでは原爆投下に使われたことが簡単に紹介されていました。
ま,そんなものかなと思います。
あくまでアメリカが作った博物館なわけで,アメリカが好きなように作るのが当然のことですから。
そこで考えたことですが,ユダヤ人のように,自分たちの主張したいものは自分たちで作るのが一番手っ取り早いのではないでしょうか。
日本企業にはたらきかけて寄付なり出資なりを募り,D. C. の一角にまるでスミソニアンのような顔をして原爆記念博物館をつくる,というのはどうでしょう?
ただ,アメリカがホロコーストに関して単なる第三者なのに対して,原爆に対しては当事者なわけで,いい顔はしないと思われます。
それに,ユダヤ人は世界の政治・経済を陰から操っていてアメリカの権力中枢にも大きな影響力がある
のに対して,日本人にそんな力があるとも思えません。
それらを考えると,D. C. 原爆博物館の実現は難しいでしょうか。
自由と独立の国,アメリカ - January 31, 2004 -
昨年の秋に Pennsylvania 州を旅行してきました。
こちらにも詳しく書いていますが,Philadelphia や Gettysburg など,Pennsylvania 州にはアメリカ建国当時に重要な役割を果たしたところが多く,アメリカの歴史に触れる旅,という趣がありました。
いろいろな展示物等も見たわけですが,そこで目についたのが "liberty" と "independence" という単語。
アメリカ人 (というよりアメリカが?) って好きですよね。
言葉自体はとても立派なわけですが,私はどうも違和感を覚えずにはいられません。
アメリカは自由の国なんて言われますし,"liberty" や "freedom" という単語が大好きですね。
しかし,本当に「自由」があるのか,疑わしくなるときもあります。
先日のイラク戦争のときに感じたことですが,テレビ等のニュースで戦争に反対する内容の報道はほとんどされてなかったように思います 。
コメディアンのトークショーなどでも,ふつう政府のやることは真っ先にネタにされるものだと思いますが,戦争を茶化すような内容は自粛されていたとか。
"French fries" を "freedom fries" なんて言ってたのは,今となっては笑い話ですが。
もっとも,これらのことは身近に接する人たちから感じられたわけではありません。
しかし報道を見る限りでは,「愛国心」を盾にした言論統制とも感じられる状況でした。
第二次大戦の反動の戦後教育を受けた私としては「表現の自由は絶対」という意識がありますが,今のアメリカの,直接手を下すわけではないけれど世論を操作して暗に言論弾圧してるような状況を見てると,「これって民主的ファシズム?」と思ったりします。
共和的,という方が近いでしょうか・・・。
そして「独立」も好きですよね。
個人レベルでも独立心旺盛な人が多いように思いますし,各州も日本の都道府県とは比べ物にならないくらい自治権があり独立していると聞きます。
それをふまえて,一度アメリカ人に (というかアメリカに) 聞いてみたい質問があります。
それは・・・
そんなに独立が好きなのに,なぜ unite されてるの?
各州が国家として独立すれば?
というもの。
50 分割とは言いませんが,5〜10 ぐらいに分割しても十分国家としてやっていけるぐらいの規模はありますよね。
これもイラク戦争のときの話ですが,各州知事レベルでは戦争に反対していた州もいくつもありました。
にも関わらず無理矢理戦争を始めた連邦政府に甘んじて従わなければならないという状態には,反感や不満もあるはずだと思うのですけどね。
ま,そんなことを言ってみても独立なんてしないだろうというのは分かっています。
そんなことをすると一番の座 を保てませんもんね。
なんだかんだ言っても結局,アメリカという国は,一番になりたいがために群れている人たちの集まりだということです。
はっきり言って,今のアメリカは世界中から嫌われているといってよいでしょう。
それは弱者の立場を理解せず,強者の論理を押し通すところに原因があるように思えます。
かつて AT&T がされたように,Microsoft もされかけたように,強大なパワーをもつアメリカを分割することが,世界平和にもつながると思うのですが・・・ま,無理でしょうか。
ユニオン駅で思う - January 3, 2004 -
今までに2度,D. C. の Union Station に出かけました。
用もないのに出かけるようなところではないのかもしれませんが,建物はなかなか立派で見応えがあり,おしゃれなショップもいろいろあり,地下のフードコートも充実しています。
一見の価値はあるかもしれません。
その地上階に土産物屋があります。
いかにもアメリカンな土産物を売っている小さいお店です。
1度目に出かけた時,そこで1枚のTシャツが目につきました。
ブッシュ大統領の似顔絵がでかでかと描いてあり,「この大統領のリーダーシップはすごいぞ!」というようなメッセージが書かれていたのです。
それを見て,そんなにリーダーシップに自信がないのか,よほどコンプレックスなのかな,と思いましたが (^^
そういえば,現ブッシュ大統領の当選時は,相手候補とめちゃめちゃ接戦だった上,開票時のトラブルをうやむやにしたまま当選したのでしたよね。
その頃はまだイラク戦争も始まっていなかったはずですが,やたらと戦争したがる姿勢も,やはりリーダーシップを誇示したいのだろうと感じられました。
Capitol から目と鼻の先の Union Station のことですから,大統領の息がかかって「ブッシュ万歳」な商売をしているのだなぁと思ったものです。
2度目に出かけた時も同じ土産物屋を覗いてみました。
同じTシャツをもう1度見てみたかったのですが同じ物はなく,代わりに見つけたのは,ムンクの「叫び」のような顔が描かれた脇に "Bush Again?" と書かれた物でした。
これ明らかに,今年の大統領選挙でブッシュに再選して欲しくない,という意味ですよね?
1年も経たないうちにまったく正反対の内容の物を売るというのは,節操がないというか,世論になびいているのでしょうか。
いずれにしても,Capitol や White House のすぐ近所の,しかもメジャーな場所でこういう商売ができているというのは,アメリカの「自由」のよい意味での現れといえるでしょうか。
モラルのないアメリカ人? - October 10, 2003 -
アメリカでの車の運転は命がけです。
アメリカ人のドライバーたちは概して,運転がうまいとはとてもいえない上に,運転の雑さが目立ちます。
たとえば,指示器を出さない車をよく見かけます。
日本でも車線変更のときぐらいは出さない人も多いですが,こちらでは交差点で曲がるときでも出さない車が多いのです。
そして,車線変更の強引さ。
隣の車線に車1台分のスペースがあれば平気で入ってきます。
しかも指示器も出さず,ハイウェイで 100km/h 超のスピードでも当たり前のようにそれをするのです。
映画のカー・アクションのように,車の間をすいすいと縫うように追い抜いていく車もときどき見かけます。
・・・こんなことを書くと,アメリカ人はモラルのない,自分勝手な人たちであるように聞こえるかもしれません。
しかし実際のところ,その逆に感じることも多くあります。
アメリカ人は日本人以上に「譲る」そして「待つ」人たちだなと,最近,感じています。
たとえば歩行者として道路を横切ろうとするとき,近づいてきた車はたいてい停車し,「渡っていいよ」という身ぶりをしてくれます。
車同士で交差点で鉢合わせたとき (特に駐車場内など) なども同様です。
「そんなこと日本人だってするよ」と思われるかもしれませんが,体感として明らかにアメリカに来てからの方が多いのです。
車以外でも,誰かがドアを通ったとき,他の人が続いていればドアを支えて待ってあげるのがこちらでは普通です (こちらのドアは重いものが多いですし)。
特に,男性の後に女性が続く場合はほぼ 100% でしょう。
これも,日本人もしないわけではないでしょうが,体感として明らかな違いを感じます。
日本に旅行した外国人などからは,「日本人は親切だ」という言葉をよく聞きます。
アメリカ人もそれに劣らず親切な気がします。
ただ,親切の種類が少し違うようにも思います。
日本の場合,人間関係や状況にあわせて ,時には深入りしすぎるほど世話を焼くように思います。
「ウェットな親切」と言えるのではないでしょうか。
対してアメリカでは,誰でも分け隔てなく,しかしあまり深入りはしない,「ドライな親切」と言えるように思います。
それから,「待つ」ことに関してもアメリカ人は寛容です。
こちらでは,事務手続きにしろ,スーパーのレジにしろ,とにかく順番待ちをしないといけないことがよくあります
。
レストランでも,注文してから料理が運ばれてくるまでけっこう待たされます。
しかし,アメリカ人は怒る様子もなく,大人しく黙って待っています。
列に横入りしようとするような人も見かけません。
アメリカで暮らし始める前には,アメリカ人は自己主張が強い=自分勝手=モラルが低い,というような想像がありました。
しかし,その認識は改まってきています。
アメリカ人ってけっこうモラルが高いのではないか?
一説によると,アメリカ人 (というか,キリスト教をベースとする欧米圏) のモラルは神との関係から生じているとか。
善悪の基準は自分の中にあり,それにもとる行為は全知全能の神に知られ,罰せられる,というのが基本。
それがつまり,万人に対する分け隔てない親切につながるのかと考えると,納得できるように思います。
対して,日本人のモラルの基本は他人との人間関係。
自分が悪いことをした場合,それを他人に知られること,恥ずかしい思いをすることがもっとも耐え難いことで,それが抑制力となってモラルを形成しているのだそうです。
かつてムラ社会であった頃と比べて,人間関係が格段に希薄になってしまった現代,日本人のモラルは維持されているでしょうか?
現代の日本人は,犯罪は犯さないまでも,法に触れない程度の「プチ・インモラル」な行動をとることに対して非常に抵抗が少ないように,私には思えます。
むしろ,多少のルール違反には目をつぶってちょこっと楽したりちょこっと得したりする「こずるい」行動をよしとする風潮すらあるように思えます。
「交通」編でも紹介しましたが,「赤信号の右折」や "all-way stop" は合理的な,よくできたシステムだと思います。
しかし,ドライバーのモラルと良識に任されたシステムでもあります。
アメリカでは立派に機能しているこれらのシステム,はたして,日本では成立できるでしょうか?
テレビの仕組み - June 24, 2003 -
こちらのテレビ番組は,日本と比べて面白いものが少ないように感じます。
ドラマには,日本よりもお金も手間もかかったよいものが多いように思いますが,平気で何度も再放送しています。
日本でいうバラエティ番組のようなものは少なく,クイズ番組でも特に盛り上がりもなく淡々と進行されたりします。
そんな中でも,気になってチェックする番組というのが現れます。
その中の2つをご紹介。
どちらも高視聴率を取った人気番組です。
まず,"Joe Milionaire"。
最近のアメリカでは,素人の男女が出演して実際にカップリングをする「お見合い番組」が "reality" 番組と呼ばれ人気らしく,いろいろなバリエーションが放送されています。
"Joe Milionaire" もそんな reality 番組の1つ。
資産家であり,最近莫大な遺産を相続したという Evan という男 (Joe ではありません) が,交際相手として素人女性 20 人の中から1人を選ぶという設定。
(ただ番組冒頭で,それが大嘘であることが視聴者には知らされます。
Evan は実際は,年収 $20,000 に満たない肉体労働者なのです。
参加している女性にだけは,最後に知らされます。
)
Evan は毎週女性たちとデートをし,番組の最後に,勝ち残る女性1人ずつにネックレスを贈ります。
最初の数週で大幅にふるい落とされた後,5〜6人になったあたりから,毎週1人ずつ脱落するようになりました。
残り3人になったあたりで,結果を予想してみました。
その時残っていた1人が,金髪のキュートな雰囲気の女性。
日本人の感覚でも (と言ってもわれわれ2人だけの意見ですが) 素直に美人と思える雰囲気です。
しかし数週続けて,最後の結果発表で彼女が「一抜け」しました。
これでは彼女が最有力候補であると言っているようなもの。
波乱なく彼女がこのまま勝ち残ることは,テレビ的にあり得ない,というのがわれわれの「読み」でした。
案の定,彼女は最終週まで残ったものの,最後の1人に選ばれることはありませんでした。
もう一つが "American Idol"。
素人がオーディションを勝ち抜き,優勝者 (と準優勝者もらしい) が歌手デビューできるという,オーディション番組です。
最初の数週で地方予選をおこなった後,本戦に進むと毎週 finalist たちが歌を披露し,視聴者の電話投票によって脱落者が決められます。
本戦が進むにつれ,勝ち残った finalist たちはすでにアイドルになったようなすごい人気を得ます。
実はこの "American Idol" は2回目のシリーズで,本戦の中盤あたりで,1回目のシリーズの結果を知りました。
前回は,最後にキャラのいい黒人男性と歌唱力に抜きん出た白人女性が残り,結局,白人女性が優勝したらしいです。
それを踏まえるて,今回の結果を予想してみました。
この番組は非常に人気があるようですが,今後も続けようと思えば,審査の公平性をアピールしたいはず。
女の子の優勝が続いたり,人種的に偏ったりして,「差別」的な批判を受けることは避けたいはずです。
これらを考えると,今回の優勝は美形ではないがキャラのある黒人男性,ということになります。
該当する人が finalist の中に・・・いました。
縦も横もサイズの大きい,黒人男性がいたのです。
いつもニコニコとしたとても愛嬌のあるキャラで,サイズの合う服がないのか,最初の頃はいつもユニフォーム (アイスホッケーの?) を着ていてそれがトレードマークにもなっていました。
ただ,そのでかい黒人より私が気になっていたのは,ひょろっとした白人男性。
歌も当然上手いですし (finalist はみんな上手いですが,彼は抜きん出ていたように思います),インタビューを受ける時などの仕草にも愛嬌があり,とても「アイドル向き」なキャラだと思ったのです。
私なら彼を選んでいたところ。
会場の客の反応を見ても,一番人気がありそうでした。
結局,このでかい黒人とひょろっとした白人が最後に優勝を争い,優勝はでかい黒人でした。
予想通りです。
以上の2つから分かること。
アメリカのテレビは,けっこうあざとい演出をするのだなということ。
確かに最終週でどんでん返しを起こした方がよりドラマチックになるわけですが,その演出が分かり易すぎて,はっきり言って数週間前から結果が分かってしまいます。
アメリカ人は,そんな番組に満足しているのでしょうか・・・?
そんなことを考えていて,よくマジシャンの方たちから聞く言葉を思い出しました。
「日本人はマジックを見るとき,トリックを見破ろうとするからやりにくい。
欧米人はエンターテイメントとして,あえて騙されて楽しんでくれるからやりやすい」
というようなことです。
アメリカ人は,番組制作者の意図とか,あざとい演出などは見て見ぬふりをして番組を楽しんでいるのでしょうか。
それがアメリカのテレビ番組を楽しむ見方なのかもしれません。
英語の不可解 - April 17, 2003 -
tax return という名前はすごく意味不明に思えますが,どうでしょう?
日本の「確定申告」は,まぁまぁ納得できるように思います。
年末に収入が「確定」したところで,その内容を「申告」する手続きなわけですから。
しかし,tax return という場合,「誰が」「誰に」「何を」返すというのでしょうか?
「何を」に関しては tax であるようにも思いますが,これから初めて納める税金を "return" というのもおかしい気がします。
では,源泉徴収などによって払いすぎた税金の払い戻しのことを言っているのでしょうか?
しかし払い戻しには "refund" という別の単語が使われます。
謎ですね・・・。
と思って辞書を調べてみると ,"return" には「申告」という意味 (というか,使われ方) もあるようです。
もともとは「申告しなさいよ」という催促に対して返答するものだったのでしょうか。
最近,こういったところが英語の一番難しい (やっかいな) ところだと感じています。
つまり,一つの単語が,状況によってまったく異なる意味に用いられる,というところ。
日常的に使われる単語が,特定の分野にそのまま持ち込まれ,専門用語として別の意味を与えられます。
今回の tax return でも,"interest" や "credit" といった単語が出てきましたが,これらを「興味」や「信用」という意味から類推しようとしても,まず理解できるものではありません。
この傾向は,基本的な単語ほど顕著です。
当然ですが。
したがって,新聞の見出しなどを見た場合,知っている単語ばかりのはずなのに意味がまったく分からない,という事態に遭遇します。
この壁を乗り越えるには,英単語の使い分けをすべて覚える必要があるわけで,英語文化のすべてを把握する必要があります (大げさに言ってます)。
もちろん,同様の問題は日本語にもあるわけですが。
法律用語の「善意の第三者」は最初に聞いたときには「おや?」と思いますし,最近は経済用語の「緊縮財政」という言葉の解釈に齟齬が生じていたりするようですね。
ただ英語の場合,高度な専門用語に限らず日常生活の範囲内でもかなり気になるのに比べると,日本語の場合はそうでもないように思います。
日本語は漢字の組み合わせで新語をつくるのが比較的容易な言語なので,ケースバイケースで単語を作り分けることによって解決しているように思えます。
たとえば「利子」や「控除」という単語を聞いて意味を取り違えるということは,まずないでしょう。
そのために単語数が増えてしまうという弊害が生じるわけですが。
この場合,英語方式 (少数の単語を使い分ける) と日本語方式 (多数の単語を作り分ける) とでは,どちらが方式として優れているでしょうか?
私は日本語方式の方が優れていると思っています。
一度覚えてしまえば,明らかに誤解するおそれが少ないからです。
新たな単語 (使われ方) に遭遇したときには,どのみち調べるなりする必要があるわけで,そのときもストレートに正解に辿り着きやすいでしょう。
ま,英語でも好きで使い分けている訳ではなく,分かりやすい新語をつくるのが難しいだけなのだと思うのですが。
英語で複数単語で新しい言葉をつくったときには,頭文字を並べて省略形をつくったりしますが,これも方式として破綻しているとしか思えません。
たとえばアルファベット3文字を聞いても,それだけでその意味を推測することは非常に難しいですし,重複したものがいったいいくつあることでしょうか。
それでも使われ続けているところを見ると,他に代替手段もないのでしょう。
この辺が英語の構造的欠陥でしょうね,というより,漢字系言語の優位性と言うべきかもしれませんが。
・・・で,結局,何が言いたいかというと,英語は勉強せないかんなぁ,ということなんですが・・・ (^^;
最後に,以前から抱いている素朴な疑問です。
寝ている間に見る「夢」と将来に抱く「夢」。これらは概念的にはまったく別のものでありながら,日本語でも英語でも同じ単語があてられています。
これは偶然でしょうか? 必然でしょうか?
注)
このサイトの記述はわれわれの体験・経験に基づいて書かれています。
内容の正確性は保証いたしません。
あくまで参考程度に,自己責任でご利用ください。
最終的にはご自分で適当な機関に問い合わせる等,情報を確認することをお勧めします。
あしからず。
