少年兵


現在、紛争が起こっている多くの地域で子供が前線の兵士として紛争に関わっている。
最も兵士に使われやすいのは、社会の片隅に追いやられた貧しい子供や家族から引き離された子供で、
豊かな家の子供はたとえ兵士にされても、親がお金を払えば軍隊から開放される。
子供はさまざまな形で兵士になる。徴兵、強制、誘拐、又は家族を守るためにあるいは保護を求めて
武装グループに加わったりする。多くの場合、徴用は街頭で手当たり次第行われるが、
学校や孤児院で徴用が行われることもあり、飢餓や貧困のために親が子供をお金と引き換えに軍に
引き渡すこともある。少女達は性的奉仕を強いられることも多い。


(1)兵士にするための教育
子供は徴募されると色々な思想を吹き込まれる。カンボジアやモザンビークの一部の反乱グループは、
子供を短期間、恐怖に陥れ、身体的にも虐待して、暴力になれさせ、凶暴な兵士へと教育した。
シエラレオネでは、1995年に革命統一戦線が村を攻撃し、子供を捕らえて部隊に加え、
子供の親戚の拷問や処刑を見せたり、処刑を行わせたりした。
また、麻薬や覚せい剤も使われている。ガンパウダーには幻覚作用があり、子供の殺人への恐怖を
なくすことができるという。


(2)子供の用途
子供は兵士以外に、料理人や運搬人として使われることもあるが、小さく目立たないので
メッセンジャーやスパイとしても役立つ。
ウガンダでは、1986年に国民抵抗軍が子供を首都に送って政府の防衛施設を探させ、
攻撃が始まると、子供は逃げる群衆にまじって政府軍兵士の乗った車両に手投げ弾を投げ込んだ。
イラン・イラク戦争では、多くの少年兵が消耗品とみなされ、地雷原に送り込まれた。


(3)子供が兵士として使われる理由
近年、35カ国で16歳未満の子供が兵士となり、その数は30万人にも達している。

・軽火器の普及
以前は兵器が子供に重過ぎて、子供は前線では役に立たなかった。しかし、旧ソ連軍の
AK-47やアメリカ製M-16などの攻撃用の銃が普及した。
これらはとても使いやすく、AK-47は10歳の子供でも分解し、組み立てることができるという。
また、値段も安く、1947年に開発されて以来5500万丁が売られている。

・子供の性格
子供は脅しに弱く従順であり、そこに大人がつけこんでくる。少年兵は大人より逃亡することが
少なく、給料を求めたりしないという。
子供自身が戦うことを望んでいる場合も多い。中米やアフリカでは、子供は大人と同様に
自分が社会主義や宗教的信念のために戦っていると考えていた。
また、自分の親や兄弟、姉妹の死に対して報復しようという個人的理由から志願する子もいる。
スリランカでは、タミル・イーラム開放のトラ(LTTE)が学校で積極的に宣伝し、
子供は容易に志願してしまった。

・紛争の長期化
紛争が長引くと大人の兵力が減ってくる。また、長期にわたる紛争の中で家族をなくした子供
にとって、兵士以外に暮らしていく方法がない。
ウガンダでは、1986年に国民抵抗軍が推定3000人の少年兵を持っていたが、大多数が孤児で、
軍隊を親の代わりだと考えていたそうだ。軍隊では食事も与えられる。
ミャンマーでは、親が進んで自分の子供をカレン族の部隊に入隊させたが、これはゲリラ部隊が
衣料や1日2回の食事を与えてくれるからだったという。


「戦場ではたくさん敵を殺した。だけど民間人を殺したことはない。
 敵を殺すのはいいことだと思ってた。
 だが僕はいま神様に許してくださいと祈っている・・・」

「あの頃は毎日麻薬漬けだった。最近やっと麻薬がなくてもやっていけるようになったけど。
  僕は毎晩夢をみるんだ。僕が襲った村の夢をね。
 とても怖い。怖くてたまらないよ。」



(4)紛争終結後
少年兵の場合、戦争終結後も新しい生活に入るのは難しい。
大人にとっては昔の平和が戻っても、昔を知らない子供は精神的に戻る場所がない。
現在、リベリアやモザンビーク、ルワンダなど多くの国が、少年兵の動因解除に努力し、
中継キャンプで平和に順応してから自分達の地域に戻る子供もいる。
少年兵の多くが恐ろしい体験に苦しんでいて、心理的に立ち直るための手助けが必要となっている。
以前は、西側のカウンセラーを高給で雇っていたが、時間がかかり、地域の文化について
ほとんど知らないという欠点があったので、現在は地域の人々を訓練している。
子供には心の傷を過小評価する傾向があるが、芸術や演劇、会話を使って最も楽な方法で
苦痛を表現させる方針がとられている。
自分の体験を自分の言葉で表現させたり、描かせたりすることによって心の傷を
乗り越えさせようとしている。
また、学校に行くことが、子供が回復し和解する上で役立つ。学校で、子供は通常の授業の他に
生きるための技術、地雷の危険、紛争の解決方法などを学ぶことができる。
多くに国で平和教育もおこなわれており、リベリアでは1992年から「子ども平和劇場」が
国内を巡回して団結と和解を推進していた。モザンビークでは、「平和サーカス」が
芸術や踊り、演劇を通して意見の対立を解決するために銃は必要でないことをアピールした。


(5)解決に向けて

・国際人道法の向上
現在「児童の権利条約」では15歳以上となっている徴兵や戦争への参加の最低年齢を
18歳に引き上げるなどして、子どもを保護する必要があるのではないか。

・現地の努力
紛争下のおいて、子供は保護されなければならないという観念も失われていたが、
倫理観、道徳観を復活させる必要があるのではないか。

・緊急援助と開発援助の連携
弱い人たちへの緊急援助と社会の開発援助を連携して行っていく必要があると思う。

・子供のニーズ
国家再建に子供を参加させ、重要な役割を与えることによって、子供のニーズを取り入れ、
国の安定と発展を目指す必要があると思う。

・戦争犯罪の意識
子供の徴兵自体が戦争犯罪であるという認識を国際的に高めなければいけないと思う。




参考文献:「戦争と子どもたち」(非公式日本語訳) 国際連合広報センター、日本ユニセフ協会
     「世界子供白書」 ユニセフ著、日本ユニセフ協会
     「チャイルドソルジャー」(NHKにて1996年11月18日放送)