1993年Jリーグ開幕と共に私は浦和レッズのサポーターになった。 埼玉に住んでいると言うこともあるが、1番の理由は福田正博がいたからである。当時のJリーガーの中では、福田が日本人No.1プレイヤーだと思っていたからである。
93・94年はチーム状態が悪く、怪我にもみまわれ、力を思う存分発揮することが出来なかった。 95年オジェックが監督につくと、チーム状態も良くなり福田の役割も次第に変わっていき、FWとして点を取ることに専念できるようになった。これにより95年、福田は日本人としては初めてのJリーグ得点王に輝いた。 しかし96年からはまた怪我の繰り返しで、ベストの状態でのプレーができないでいる。 また、年齢的にも体力的にも選手としての晩成期に入った福田は、足が万全とはいえない状態が続いたともあって、大きくプレースタイルを変えざるを得なかった。昔のような華麗なドリブル突破は見られなくなったが、ゴール前でのここぞという時の動きとゴールの感覚はやはり福田にかなう者はいないだろう。選手としてプレーできる期間はそう長くはなくなってきてしまったが、その限られた期間の中でもう一度福田正博の最高のプレーを見せてほしいい。 Mr.REDSとして浦和を引っ張ってきた男は、これからもゴールネットを揺らし続ける。 そして駒場には今日も「Get」 Goal Fukuda!」がこだまする。 |