武松と少林寺拳法



どうも武松は、少林寺にかかわりのある人らしい。彼のことを調べていると、すぐにあちこちからつながりが出てくる。
例えば、島崎の持っている中国の絵本では、武松は小さい頃から少林寺に修行に入って武を収め、そこからの帰り道で景陽岡に差し掛かる事になっている。
他にも、少林寺で修行していた武松の名が高くなり、それを聞いた魯智深が訪ねてきて、二人で語り合ううちに意気投合し、共に二龍山に行ったなんてエピソードもある。(修行僧からいきなり山賊か二郎ちゃんよ・・・)
さて、それが武松を語る上で何の関係があるのかと言うと、少林寺拳法というのは元々お坊さんの護身術から発展した武術なので、先手がないそうだ。先に手を出したら破門なので、試合も出来ない。
(にらみ合ったまま、先に貧血で倒れた方が負けという拳法の試合なんて、とてもじゃないが付き合ってらんないね(笑))
何だそれじゃとっくに破門されてんの二郎ちゃん! と思ったが、よくよく考えてみると意外にも武松は、自分から先に手を出すケンカはほとんどしてないと気がついて、面白そうなので検証してみた。
武松の戦い方の特徴というと、敵をまず動揺させて周りを見えなくさせ、時には自分に有利な場所に誘い込んでとどめを刺す。
西門慶にはまず金蓮の首を投げつけ、(投げつけて倒そうという攻撃ではなく、威嚇に過ぎない)動揺して逃げようとした所でまだ殴りかからずにテーブルに飛び乗って食器を蹴落とす。実際の最初の一撃は西門慶からだ。
孫二娘は武松をかつぎ上げて押さえ込まれているから、やっぱり先に手をかけている。
蒋門神の時は一番きつくて、酒屋で暴れたこと自体が威嚇だ。
その酒屋の中でさえ、女は自分から飛び出してくるし、給仕たちも先に殴りかかってくる。
そして注進を受けてすっ飛んできた蒋門神を、道の真中、自分が想定していた舞台に引き込んで「玉環歩、鴛鴦脚」。

後半キレてくると有無を言わさず斬り殺すのが増えるけど、そういうのは戦いじゃない、相手にならない連中だ。(よけい悪いわと言わないで・・・ι)
常に武松の戦いに際しての最初の動きは「いなし」であって、例えば魯智深とは確実に違う。
魯智深はあくまで先手必勝型で、それがまた和尚をからっと見せる。
それに対する武松の性格の深さ。
気は短いし、荒っぽいはずなのに、なぜかちょっと冷静さが際立つのは、いろいろ言われている以外に、この「必ず後手」というのが加えられないだろうか。
思うのだけど、吉川英二先生はこれに気付いて、武松の性格の味付けとして効果的に使っていたように思う。
氏の水滸伝では、石の上ですっかり寝込んでいる武松の前に虎が現れる。
鼻息を掛けられて初めて目が覚めるが、急に飛び起きずに一度虎が背を向けた所でむっくり起き上がる。
初めて読んだ時から、ここが不思議でならなかった。
虎が弱点である背中を見せたところで起き上がるのは作戦としてとてもいいが、横山光輝先生の漫画みたいに、油断している虎の背後から最初の一撃を加えるならともかく、怒った虎が振り向いてむかって来るまで待っていたら、せっかくの不意打ちの意味が無いんじゃないか?
ずっとヘンなのと思ってきたけど、長い修行を通して後手が染み付いているんだとしたら、すごく面白い演出になる。
虎にまで後手。
わざとじゃなくて、もしかすると武松は先手の出し方を知らないのかもしれない。習ってないだろうからね。
島崎は武術の事などまるで門外漢なので、これは聞きかじりの知識での検証に過ぎないが、もし拳法に詳しい人がこれ読んでたら、ぜひもう一歩突っ込んで研究(とまではいかなくても)考えて発表してくれたらなお面白いと思うので、ぜひお願いします。
ああだがしかし、「完全後手、先に手を出したら破門!」というと、いかにもストイックで修業的だが、武松のやりかた見る限り、言葉の額面ほど平和主義じゃなかったりして、と思わず考えちゃったりしたのでした。お粗末!