1388 戊辰タツ 四角形吹き出し: フビライ家支持派がモンゴル、
アリク・ブカ家支持派がオイラトと呼ばれるようになる。
トグズ・テムル、アリク・ブカ家ケのイェスデルに殺コロされ、フビライ家ひとまず断絶
イェスデルがハーンに立タつ(ジョリクト・ハーン)
1389 已スデ巳ミ  
1390 庚午ウマ
四角形吹き出し: エルベク・ハーンは弟ハルグチュク皇太子の妻、オルジェイドの美貌を聞き、弟を殺して身篭っていたオルジェイド皇妃子を娶る。
オルジェイド皇妃子は策を弄し、エルベクをそそのかしたゴーハイ大尉を殺し、エルベク・ハーンに怪我を負わせる。
ゴーハイを殺したことを悔いたエルベク・ハーンは、ゴーハイの息子バトラに、娘サムル公主を娶わせ、バトラを丞相にする
バトラの主筋であったオチゲ・ハシハは恨みに思い、エルベク・ハーンを殺してオルジェイド皇妃子を娶る
オルジェイド皇妃子はハルグチュク皇子の子を産み、オチゲ・ハシハはアジャイと名づけて、養子とした
四角形吹き出し: オゴデイ家の人
「鬼力赤(グイリチ)」と呼ばれる
 
1391 辛未ヒツジ イェスデル・ハーン没ボツ
エンケが継ツぐ
1392 壬申サル  
1393 癸酉トリ  
1394 甲戌イヌ エンケ・ハーン没ボツ
エルベクが継ツぐ
1395 乙亥ガイ  
1396 丙子ネ  
1397 丁丑ウシ  
1398 戊寅トラ タイジ・オグランがテムル(チムール)のもとに亡命ボウメイする
1399 已卯ウ エルベク殺コロされる クン・テムル(エンケ・ハーンの次男ジナン)が継ツぐ
1400 庚カノエ辰タツ  
1401 辛カラ巳ミ  
1402 壬ミズノエ午ウマ クン・テムル没ボツ オルク・テムルが継ツぐ
1403 癸ミズノト未ヒツジ  
1404 甲コウ申サル  
1405 乙オツ酉トリ オルジェイ・テムル、チムールの東方トウホウ遠征エンセイに同行ドウコウ
チムールが急死キュウシすると自力ジリキで東ヒガシに向ムかい、ビシュバリクでハーンに即位ソクイ
1406 丙ヘイ戌イヌ 四角形吹き出し: オルジェイ・テムルは1398年にチムールの元へ亡命した、タイジ・オグランと同一人物
 
1407 丁テイ亥ガイ  
1408 戊ツチノエ子コ オルク・テムル部下ブカに廃ハイされ、殺コロされる
オルジェイ・テムルハーンとして迎ムカえられる
1409 已スデ丑ウシ 四角形吹き出し: 戦勝記念に、アラシャン・ハダの岩に
「大明皇帝着来」と墨書する
明ミン軍グン十余ジュウヨ万マン、ケルレン河畔カハンで元軍ゲングンと当アたり、全滅ゼンメツ
1410 庚カノエ寅トラ 大ダイ明ミンの永楽帝エイラクテイ、モンゴルに親シン征セイし、オルジェイ・テムルの軍グンを破ヤブる
1411 辛カラ卯ウ  
1412 壬ミズノエ辰タツ
四角形吹き出し: オイラト、明軍ともに大損害をこうむる
四角形吹き出し: オチゲ・ハシハの息子エセクがバトラ丞相の寡婦、サムル公主を娶り、オイラトのハーンになり、オルジェイド皇妃子、アジャイ太子、アスト族のアルクタイ(籠持ちの意味)を召し使っていた
エセクの死後、サムル公主は3人をモンゴルへ逃がし、軍を仕立てて攻めてくるよう言付けた。
サムル公主とバトラ丞相の息子バクムは、母を責めた
オイラトのバトラ丞ジョウ相ショウ(マフムード)、オルジェイ・テムル・ハーンを殺コロし、ダルバクを立タてる
1413 癸ミズノト巳ミ  
1414 甲コウ午ウマ 第ダイ2回カイ 永楽帝エイラクテイのモンゴル親シン征セイ 
アルクタイ大師と結ムスび、ダルバクを破ヤブる
1415 乙オツ未ヒツジ  
1416 丙ヘイ申サル アルクタイ大タイ師シ、オイラトを撃破ゲキハ、バトラ丞ジョウ相ショウ(マフムード)を殺コロす
マフムードの息子ムスコのトゴン(バクム)がオイラトを継ツぐ
1417 丁テイ酉トリ  
1418 戊ツチノエ戌イヌ  
1419 已スデ亥ガイ  
1420 庚カノエ子ネ  
1421 辛カラ丑ウシ  
1422 壬ミズノエ寅トラ 第ダイ3回カイ 永楽帝エイラクテイのモンゴル親シン征セイ、失敗シッパイ
1423 癸ミズノト卯ウ 第ダイ4回カイ 永楽帝エイラクテイのモンゴル親シン征セイ、失敗シッパイ
1424 甲コウ辰タツ 第5回 永楽帝のモンゴル親征、失敗
その帰途キト、永楽帝エイラクテイ、南ミナミモンゴルで病死ビョウシ
1425 乙オツ巳ミ アルクタイ大タイ師シ、アダイ皇子オウジ(オルク・テムル・ハーンの遺児)を立タてる
1426 丙午ヒノエウマヘイ  
1427 丁未ヒツジ  
1428 戊申サル  
1429 已酉トリ  
1430 庚戌イヌ  
1431 辛亥ガイ  
1432 壬子ネ  
1433 癸丑ウシ 四角形吹き出し: フビライ系の人
トゴン大タイ師シ、トクトア・ブハ(タイスン・ハーン)を立タてる
1434 甲寅トラ
四角形吹き出し: サムル公主はトゴンを引き取るが、トゴン大師は扱いを恨みに思い、アダイ・ハーンを攻め殺す
四角形吹き出し: トゴン大師はチンギスの血統ではないのにハーンになろうとしたため、チンギスの怒りに触れて死んだといわれる
四角形吹き出し: 以後明は長城を建設し、ひたすら守勢に立つ
四角形吹き出し: エセン大師側のアブドラ・セチェンの策略により、タイスン・ハーンの弟、アクバルジ晋王が裏切る
四角形吹き出し: モンゴル族の強制的な再編成が行われたらしく、現在のモンゴル族の系譜は、この時代をさかのぼるものはない。
このときチンギス時代からの記録物も破棄されたらしく、現在に伝わるモンゴル側資料の原典は、ほぼ皆無となった。(惜しい・・・(泣υ))
トゴン大タイ師シ、タイスン・ハーン連合軍レンゴウグン、アルクタイ大タイ師シを滅ホロぼす
1435 乙卯ウ  
1436 丙辰タツ  
1437 丁巳ミ  
1438 戊午ウマ トゴン大タイ師シ、タイスン・ハーン連合軍レンゴウグン、アダイ・ハーンを滅ホロぼす
1439 已未ヒツジ トゴン大タイ師シ死去シキョ エセンが継ツぐ
1440 庚申サル  
1441 辛酉トリ  
1442 壬戌イヌ  
1443 癸亥ガイ  
1444 甲子ネ エセン大タイ師シ、明ミン国境コッキョウ甘粛カンシュク行ギョウ中チュウ書ショ省ショウを設置セッチ
1445 乙丑ウシ  
1446 丙寅トラ  
1447 丁卯ウ  
1448 戊辰タツ  
1449 已スデ巳ミ エセン大タイ師シ、タイスン・ハーン連合軍レンゴウグン、明ミン領リョウに進攻シンコウ 明ミンの正統セイトウ帝テイ親シン征セイして迎ムカえ撃ウつが撃破ゲキハされ、捕虜ホリョになる 土木ドボクの変ヘン
明ミン、正統セイトウ帝テイの弟オトウトの景ケイ泰タイ帝テイを立タてる[1]
1450 庚午ウマ エセン大タイ師シ、正統セイトウ帝テイを無条件ムジョウケンで返還ヘンカン
(もう景ケイ泰タイ帝テイが立タっていたので、そのまま景ケイ泰タイ帝テイが帝位テイイにつく)
1451 辛未ヒツジ  
1452 壬申サル タイスン・ハーン、エセン大タイ師シと仲ナカたがいし、敗ハイ死シ[2]
1453 癸酉トリ エセン大タイ師シ、北ホク元ゲンの皇族コウゾクを皆殺ミナゴロしにする(オイラト人ジンを母ハハに持モつものを除ノゾく)
エセン大タイ師シ、チンギス統トウ原理ゲンリを無視ムシして、ハーンの位クライに上ノボり、「大ダイ元ゲン天テン聖セイ大ダイハーン」と号ゴウす
1454 甲戌イヌ アラク知チ院イン(枢密院スウミツインの長官チョウカン)反乱ハンラン、エセン・ハーン敗ハイ死シ
1455 乙亥ガイ モンゴル連合レンゴウ、タイスン・ハーンの遺児イジマルコルギスをハーンに立タてる[3]
1456 丙子ネ  
1457 丁丑ウシ  
1458 戊寅トラ  
1459 已卯ウ  
1460 庚カノエ辰タツ  
1461 辛カラ巳ミ
四角形吹き出し: アクバルジ晋王の息子、
ハルグチュク太子の息子、
バヤン・モンケ・ボルフ晋王の息子
四角形吹き出し: モーリハイ王は、チンギスの異母弟、ベルグテイの子孫
 
1462 壬ミズノエ午ウマ  
1463 癸ミズノト未ヒツジ  
1464 甲コウ申サル バト・モンケ(ダヤン・ハーン)が生ウまれる
1465 乙オツ酉トリ マルコルギス・ハーン、ボライ大タイ師シ(または7トゥメトのドゴラン大タイ師シ)に殺コロされる
モーリハイ王、ボライ大師を殺し、マルコルギスの異母弟モーランを立てる
1466 丙ヘイ戌イヌ
四角形吹き出し: ウネバラト王は、チンギスの弟、ジョチ・カサルの子孫
四角形吹き出し: 西方モグリスタンから来たベグ・アルスランが擁立した
四角形吹き出し: マンドールンの擁立に不服だったモンゴルジン部族のトローゲンの一派は、イスマイル(ベグ・アルスランの遠い従弟)と連合、ベグ・アルスランを打倒した
四角形吹き出し: マンドフイ・ハトンは、チャハル部族が祀っていた、ソルカグタニ・ベキ(トオリル・ハンの姪、トゥルイの妻)の霊に祈っている
モーラン・ハーン、モーリハイ王オウに殺コロされる
1467 丁テイ亥ガイ (モンゴルのハーン空位クウイ時代ジダイ)
1468 戊ツチノエ子コ モーリハイ王オウ、ウネバラト王オウに殺コロされる
1469 已スデ丑ウシ  
1470 庚カノエ寅トラ  
1471 辛カラ卯ウ  
1472 壬ミズノエ辰タツ  
1473 癸ミズノト巳ミ  
1474 甲コウ午ウマ  
1475 乙オツ未ヒツジ マンドールン・ハーン(タイスン・ハーンの異母イボ弟テイ)立リツつ
1476 丙ヘイ申サル  
1477 丁テイ酉トリ  
1478 戊ツチノエ戌イヌ  
1479 已スデ亥ガイ マンドールン・ハーン殺コロされる
マンドールンの妻ツママンドフイ・セチェン・ハトン(42歳サイ)、バト・モンケ(16歳サイ)と再婚サイコンする
1480 庚カノエ子ネ バヤン・モンケ・ボルフ晋シン王オウ・ハーンが立タつ
1481 辛カラ丑ウシ  
1482 壬ミズノエ寅トラ  
1483 癸ミズノト卯ウ  
1484 甲コウ辰タツ  
1485 乙オツ巳ミ 四角形吹き出し: ダヤンは「大元」の意。
元朝の復興を期し、手紙の名義も「大元大ハーン」の名義を使用した
 
1486 丙午ヒノエウマヘイ  
1487 丁未ヒツジ バヤン・モンケ・ボルフ晋王・ハーン殺コロされる
バト・モンケ・ダヤン・ハーン即位ソクイ
1488 戊申サル  
1489 已酉トリ  
1490 庚戌イヌ  
バト・モンケ・ダヤン・ハーン即位までの流れ
1452
四角形吹き出し: 即位用のゲルの下に穴を掘り、親衛兵を少しづつ捕らえては皆殺しにした。
ハルグチュク太子は気付いて、ナイマン人の従者イナク・ゲレに危機を探らせ、二人で逃げ出し、追っ手を返り討ちにした。
四角形吹き出し: ハルグチュク太子はイナク・ゲレにエセン大師と政情の状況探索、また妻のセチェク妃子(エセン大師の娘)を、出来ることなら連れてくるようにと遣わす
四角形吹き出し: セチェク妃子の父、エセン・ハーンはそれを聞き、赤子が男ならば殺そうとした。
セチェク妃子はそれを聞き、その子の陰茎を後ろに縛っておいて検分の者に女の子と偽って見せ、曾祖母に当たるサムル公主(エルベク・ハーンの娘)に預ける。
四角形吹き出し: サムル公主はエセン・ハーンの祖母なので、さすがに頭が上がらない
四角形吹き出し: イナク・ゲレが聞いていて、サムル公主に告げる。サムル公主はバヤン・モンケ(3歳)をモンゴルに脱出させようとする。
タイスン・ハーン、エセン大タイ師シと争アラソって敗ヤブれる
(弟のアクバルジ晋王が、息子ムスコのハルグチュクの止トめるのも聞キかず、オイラトにのせられて裏切ったため)[4]
  アクバルジ晋シン王オウ、オイラトに「ハーンに擁立ヨウリツする」と欺アザムかれ、おびき出ダされて殺コロされる
息子ムスコのハルグチュク太子タイシは気付キヅいて逃亡トウボウ
  夜になってイナク・ゲレはエセン大師の陣から2頭の馬を盗み出し、キプチャク草原ソウゲンのハーンはジュチの子孫シソンで同族ドウゾクだからと頼タヨっていく[5]
  その途中トチュウ、ハルグチュク太子はキプチャクの富者フシャ、アク・モンケと仲良ナカヨくなり、そこに一時イチジ留トドまる
  (エセン太子タイシは即位ソクイして、エセン・ハーンと号ゴウし、モンゴルとオイラトを支配シハイしていた)
  ハルグチュク太子、アク・モンケの弟オトウトイェセク・モンケに射殺イコロされる
  戻モドってきたイナク・ゲレはそれを知シり、セチェク妃キサキ子コに会アって、起オこったことを告ツげて泣ナき、エセン・ハーンの元モトに身ミを寄ヨせる
  セチェク妃子は、身篭ミゴモっていたハルグチュク太子の子コを産ウむ
後ノチのバヤン・モンケ・ボルフ・晋王・ハーン誕生
  からくりに気付キヅいたエセン・ハーン、バヤン・モンケを殺コロそうとするが、サムル公コウ主シュにさえぎられる
  エセン・ハーンはサムル公コウ主シュに隠カクれてバヤン・モンケを殺コロそうと図ハカる
  四角形吹き出し: オイラトの中央千人隊 オキデイ大夫
モンゴルのハラチン部 ボライ大師
サルトール部族 バヤンタイ・メルゲン
フンギラト部族 エセレイ大夫  が協力
イナク・ゲレはエセン・ハーンに不満フマンを持モっていたオキデイ大タイ夫フに協力キョウリョクを仰アオぎ、バヤン・モンケを逃ニがす[6]
  その途中トチュウ、ウルート部族ブゾクのオロチュ少ショウ師シ、娘ムスメのシキルをバヤン・モンケに嫁トツがせ、身柄ミガラを引ヒき取トる
1464
四角形吹き出し: やはりよほど危ない状況だったのだろう、生まれてすぐ里子に出される
四角形吹き出し: マンドール・ハーンはタイスン・ハーンの末の異母弟で、バヤン・モンケの大叔父
四角形吹き出し: バヤン・モンケは叔母のブールル公主(マンドール・ハーンの娘で、ベグ・アルスラン大師の妻)のところに逃げ込み、うまく逃がしてもらう
四角形吹き出し: 「チンギス・ハーンの子孫がすっかり絶えたならともかく、バト・モンケが居るのだから、その子がダメになるまでは結婚しない」といって断る
ウネバラト王も納得して、求婚を撤回する
バヤン・モンケとシキル・ハトンの間アイダに男子ダンシ誕生タンジョウ 後ノチのバト・モンケ・ダヤン・ハーン
  里子サトゴに出ダされたバト・モンケは大切タイセツに扱アツカわれず、タングト部族ブゾクのテムル・ハダクが引ヒき取トったときには、ベデキ(エキノコックス)に感染カンセンしていた。
テムル・ハダクの妻ツマは白シロい駱駝ラクダの乳チチでこすり、病気ビョウキを治ナオした
1475 ベグ・アルスラン、バヤン・モンケ(ボルフ太子タイシ)をハーンに立タてようとするが、バヤン・モンケが辞退ジタイしたので、マンドール・ハーンに娘ムスメ(イェケ・ハバルト)を娶メアわせ、擁立ヨウリツする
  マンドール・ハーンとバヤン・モンケ(ボルフ晋シン王オウ)は仲ナカたがいし、バヤン・モンケは追放ツイホウされる
1479 ベグ・アルスランとマンドール・ハーン死去シキョ
跡継アトツぎがなかったので、バヤン・モンケがハーンに選エラばれ、イスマイルが大タイ師シに就任シュウニンする
  マンドール・ハーンの妻ツマ、マンドフイ・セチェン・ハトン(オングト族ゾクのチョロクバイ・テムル丞ジョウ相ショウの娘ムスメ)に、ジョチ・カサルの子孫シソンウネバラト王オウが求婚キュウコンする
  マンドフイ・セチェン・ハトンはウネバラト王オウの求婚キュウコンを断コトワり、バト・モンケと結婚ケッコンする
  四角形吹き出し: イスマイル大師は、シケル・ハトンとの間に2子を設ける
バヤン・モンケ・ハーンとイスマイル大タイ師シが衝突ショウトツ、イスマイル大タイ師シはハーンを破ヤブって、シケル・ハトンを奪ウバう
1487 バヤン・モンケ・ハーン、殺コロされる
バト・モンケ、ハーンに即位ソクイする

[1]
中華帝国の現皇帝が捕虜になるという、前代未聞の事件
馬に乗れない皇帝が、戦場に出てくるんじゃないっつーのυ

[2]
1月19日
[3]
「マルコルギス」とはキリスト教洗礼名で、「聖ゲオルギオス」「セイント・ジョージ」
といった意味

[4]
ここんちの家系って、頭の良い人はほんとに良いけど、バカは筋金入りにバカ。
しかも直接遺伝はしないらしい。

[5]
こんなに時代が下って、今更ジュチ家との縁戚論が出てくるとは思わなかった・・・びっくりυ
[6]
イナク・ゲレって、きっとジェルメの生まれ変わり・・・とか勝手に思う(萌えv)