臨終だってのに、殺しても死ななさそうなじーさんだね。


ウソじゃあないよ(笑)。

チンギスは最後の西夏遠征の途上倒れ、彼の死と同じ日に、西夏はそれを知らないままモンゴルに降伏しました。
チンギスの死と重なっていることもあり、この西夏の降伏についてはあまり記録はないのですが、
西夏の王室は皆殺され、その国人は奴隷にされて、従軍していたイェスイ妃に与えられました。

生意気なことを言っていたのは西夏の国王ではなく、一皇族のアシャ・ガンボという人でした。
国王以下群臣はビビリまくってもうやめてと言ってるのに、こいつ一人吹くのをやめなかった。
いったい何の勝算あってあそこまでの口を叩いたのかよくわかりません。
(悔しかったらここまで来てみやがれ、オシリペンペン! みたいな。)
ただ後に引けなくなっての意地であるなら許されないことです。
おかげさまで国人全員奴隷になったのですから。
もっとも、西夏は一度降伏しながら叛いたので、挑発しなくてもこういう目にあったかもしれませんけどね。

モンゴルの統治法は、それぞれの国や集団ごとの自治であって、モンゴル側は(訴えがない限り)不介入が基本です。
ダルガチと呼ばれる代官を置き、小部隊を駐屯させる程度でしたが、
もしこの人たちが殺された場合は、一気に大軍が押し寄せその地域の人々ごと有無を言わせず大虐殺。
この完全数十倍(数百倍?)返しのお礼参り制度によって、少人数による広域統治を実現していました。

「ヤサ」とはチンギスが作ったといわれる、モンゴルの法律というか、規律のようなもの。
チンギスが考えたというよりも、もともと遊牧民の暮らしの中にあった習慣や風俗を法令として定めたものらしく、
口伝えによって伝えられ、文章にして発布されたようなものではなかったようです。


←おまけ。

映画「チンギスハーン」でのチンギスの死のシーン。
チンギスはしばらくは自分の死を隠せといって死んだので、
喪を秘したまま遺体は草原の奥深く帰っていくのですが、
跡継ぎのオゴデイは居並ぶ将兵の前で
「死をもらしてはならぬ!」とさっそくバラした挙句、みんなで
「聖帝みまかれり〜・・・」と大合唱してくれます。
お前いったい親父の遺言をどう聞いておったのよ?υ
と、頭を抱える迷シーンであります。