←ホラ証拠写真絵画。  しかも正座させてるし。
説教聴くときは正座が基本なので、
条件反射かもしれませんけどね。
(最初に説教壇に登ったのはトゥルイだとずっと思ってたけど、登ったのはチンギスでした。ごめんトゥルイ、言いがかりだったυ
でもこのとき、トゥルイがいっしょだったのは本当です)

ホラズムの都市ブハラ陥落時のエピソード。
このときチンギスは騎馬のまま街一番のモスクに入り、
コーランの箱をひっくり返して馬草桶にした
大蛮行をしでかし、イスラム教徒はいまだに怒ってます。

もっとも、ブハラは征西上で初めて落した大都市なので、
すべて承知した上での示威行為だった可能性も高いです。
モンゴルは普通、どの宗教も尊重し、敬意をもって扱います。
モスクやコーランの大切さをチンギスが知らないわけはないので、勝利を誰の目にも決定つけるための、わざとの行動かもしれません。
チンギスが陥落させた街に入ったのはこのブハラだけで、いつもは軍隊は中に入れても、チンギス本人は郊外に駐屯して、市街の中に入ることはありませんでした。

別の見方では、自分たちの馬に飼い葉をやることは、自分の民として受け入れたことを示し、聖職者たちにこれ以上危害を加えないという意思表示だったという説もあります。(やられる方にとっては、ありがたくないことに違いはないけれどυ)

そもそも城中の穀物を集めてきて、コーランを入れる箱を飼い葉桶にしたということだけど、モンゴル馬は草を食べるので、穀物を飼料にすることはありません。
あげれば食べるかもしれないけど、食べ慣れてないのは間違いないです。
エピソード自体が飼い葉を食べる馬を飼う人たちの発想なので、もしかするとでっち上げエピの可能性もあります。
モンゴル軍は、とにかくこういう悪口を言われまくりなので。