「元朝秘史」は歴史書というより文学作品なので、これが本当ということではないでしょうが、
すごくドラマティックで想像をかきたてるシーンであります。
著者のボルテファンぶりもにじみ出てます。つーか全開です。(やっぱり、シギ=クトクなんじゃないの・・・)
よく読んでみると、秘史にはジュチの疑惑の件は明記されてないようですね。
(例の取っ組み合いの時のチャガタイのセリフくらいしか)

ちなみにこのへん、イスラム側の史料「集史」では、
テムジンの留守中に集落がメルキト族に襲撃され、すでに懐妊していたボルテもさらわれますが、
メルキト族はそのころ同盟関係にあったケレイト族のトオリル=カンにボルテを送り、
そっれを知ったテムジンがトオリル=カンに返還交渉して返してもらったことになっています。
(書いてないけど、ボルテが移されるたびに身代金の授受があったことでしょう)

いくらケンタウロスなモンゴル人といえど、身重の女の人を馬に乗せてあっちやらこっちやら連れ回したもんだから、
トオリル=カンの所からテムジンの元へ帰る途中、ボルテは産気づいて道端で出産してしまい、
小麦粉を水でこねて赤ん坊を包んで、苦しくないように服の裾にくるんで連れ帰っています。
(大変だよ初産だってのに・・・ボルテは結局女の子も入れると9人も子供産んだ肝っ玉母さんだけど)
思いがけず生まれたということで、「ジュチ(お客さん)」という名をつけたのだそうです。

ジュチって名前は、この頃の資料見ると何人も出てくる割とポピュラーな名前だし、
そもそもテムジンのすぐ下の弟カサルの本名がジュチなので、
(「カサル」とはモンゴル語で勇猛な猛禽類という意味なので、「荒鷲のジュチ」というような呼び名なのです)
テムジンは子供の頃から弟の名前がうらやましくて、
自分に子供が出来たら絶対こうつけてやろうと思っていたんじゃないかなぁなどと想像します。
(ああ、ちょっと話しズレちゃったかなυ)