1251年 | フランス王ルイ9世は、バトゥの息子サルタクがキリスト教徒と聞き、 ルブルクに親書を持たせてモンゴルの宮廷に赴かせた。(一行は1253年出発) |
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1253年 | 5月7日 | クリミアのスダクに上陸 |
5月21日 | 最初のタルタル人(モンゴル)の幕営地に到着 「私はまるで別世界に入ったように思われた」とルブルクのコメント。 |
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7月31日 | バトゥの息子サルタクの幕営に到着、謁見。 翌日、バトゥのところへ行くように言われる。 |
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(日付けなし) | バトゥに謁見。 |
この記録は、宮廷での習慣などがかなり詳しく書かれていて、面白いです。
天幕を張っている紐は家の敷居と同じで尊重されているからさわらないようにとか、どのタイミングでひざをつくとか。
修道士たちはいつもの修道会制服を着て、はだしで、頭には何もかぶらず、
バトゥは3つの段の高座の上に据えられた金の玉座に夫人を伴って座り、すでに少し酒が入っていたそうな。
上の絵は、(私の資料と想像の限り)文章を正確に描いたつもりです。
バトゥはあまり膝をつけとかうるさく言わなかったようだし、修道士も言われたときは素直に従っています。
(ここで「我々は神以外には膝をつかない」とか言い出すと、面倒なことになるのでυ
頑強に拒否して殺された人もたくさんいます)
奏上のあと、バトゥからクミーズ(アイラグ=馬乳酒)を下賜されて飲ませてもらい、
(これは大変な名誉)そのあと退出しています。