5/4 博物館めぐりA
煌きのペルシャ陶器展
日記 08’5.4

回った2つ目は、中近東文化センターの『煌きのペルシャ陶器展』

最寄り駅が三鷹の一つ先の武蔵境で、すごく遠いイメージがあったのですが、
現在は中央線の快速に乗れば新宿から15分ほどでつけてしまいます。
そこから乗るバスも10分ほど。
実質的に近くなってくれてうれしいです♪

実を言うと去年のちょうど同じ日、ここの展示を見に行ったのです。
そのとき見たのは『魅惑のペルシャ陶器展』。

・・・魅惑が煌きになって、でも展示してあるものが半分以上同じだったりしたら、
見に行く意味あるだろうか・・・
と、いささか迷ったのですが、色々な展示を調べているとやっぱり一番見たい。
まぁいっか。チラシもきれいだし。 と、開き直って見に行ってみました。

いやぁ、大正解! すごい! きれい!
去年の陶器の展示は初期の特徴を持つ品を集めたもので、
どちらかというと素朴で力強い品が多かったのに対し、
今年の展示は最盛期の一番煌びやかでゴージャスなところを
集めてきたものなのだそうです。
去年の素朴な感じも私は気に入りだったけど、今年の展示は本当にきれいです。

ここはけして広い博物館ではないのですが(一般公開してるのは
中近東文化センターという歴史研究機関の中の、付属博物館の部分なのです)、
展示スペースが狭いからこそ、ゆっくり一つ一つを堪能できました。
つーか、普通だったらお行儀良く一列に並んで、またはそれぞれケースに入って
展示してあるようなモノたちが、
一つのスペースに押すな押すなと所狭しと詰め込んであるもので、
見ていてそりゃあすごい迫力なのです。
(ちゃんと工夫して置いてあるから、ごちゃごちゃしてるわけではないのですが)

蛍手陶器の群れが!
青釉(トルコブルー)藍釉(ラジュバルディーナ)陶器がみっしりと!
でっかい
ラスター(金彩)陶器が団体でいも洗い!
反射しあって
ラスターラスターラスタービィーム!(わけがわからない盛り上がり)
2mくらいのケースにびっしり青釉や金彩が揃っていると、
目の中がすっかりそれになるようで、うっとり酔えて呆然と見つめてしまいます。

絵付け陶器に星座の12宮を描いたものがあったりして、
そういえば星座はオリエントの発祥だったと気がついて、不思議だったり。

中東はカオリン(花崗岩が風化した土砂)という磁器を焼く材料が取れないため、
焼物はずっと陶器で、磁器が焼かれることはありませんでした。
でも、向こうが透けるほど薄い蛍手陶器をはじめ、どの器も磁器に匹敵するほど薄いので、
どうやってこんなに薄く陶器を焼くのかと思ったら、ガラスの粉を混ぜるのだそうです。
う〜ん、ガラスといったら釉薬だと思ってた。びっくり。
ファイアット技法(細かい石英粒子を焼きしめて、ガラスのようなものをつくる技法)などから、
そんなこと思いついたらしいです。
ファイアットはもともとエジプトの技法なので、ここにも技術の融合が。

イル・ハン朝の
青釉金彩陶器もいくつかありました。
それまでの技術の集大成のように、細かくてゴージャスでりっぱです。
でもやっぱり、モンゴルには戦と破壊の話がつきものです。
フラグの軍が中東を攻めたとき、城の中はともかく、
示威行為として城の周りの郊外をがっつり破壊していくので、
郊外にあった陶器製造工場の多くが破壊され、
ペルシャの陶器文化は壊滅的な打撃を受けたのだそうです。
でもそのあとフラグ・ウルスが定着し、政権として落ち着いてくると、
モンゴル庇護の下で急速に陶器文化は復活し、
それまでになお増して美しく繊細な陶器が作られるようになったんだとか。
なんだかフラグの父譲りの現実主義や、鷹揚で頓着がない風情が見えるようです。
「ふーん、いいじゃん。きれいだ。これ売れるのか。じゃ、どんどん作れよ。
工場? 建て直せばいいだろう。金ならいくらでも出してやるからさ。」
(フラグじゃないかも。アバカあたりまで下がらないとだめかな)

隣の展示室には協賛の出光美術館コレクションの
中国陶磁器も置いてあり、
これらの磁器が入ってきたときの中東の驚きはどれほどだったのか、
そして文化の衝突と融合の波はどれほどのうねりで人々を飲み込み、
どんなふうにそれを乗りこなし操ったのか思いをはせると、
物言わぬ陶磁器が今にも歴史を語りだしそうです。

ちょうど1時から常設展も含めた学芸員さんの解説がはじまり、
表示してある説明文以上の解説や裏話も聞けました。
(上で書いてあることも、実はかなり受け売り)
いろいろ知らない話を聞けてすごくためになったのですが、やはり笑えるのは裏話です。
Τ大考古学チームがペルシャ方面に遠征して、
正倉院遺物にあるペルシャのカットグラスと同じものを発掘して
シルクロードの流通を遺物で証明しようと、掘ってみたところ、
狙ってた時代より3000年も前の墓が出てきてしまい。
ビーズの装飾品や短剣など、副葬品もたくさんですごい遺跡なのに、
T大チームがやけにがっかりして帰って行ったのを見た外国チームが
「何探しに来たの?」と聞いてきたので、
「実は日本には正倉院というのがあって、こういうカットガラスが残っているので、
同じものを掘って、ここで作られた事を証明したいんだ」と説明したら、
「そんなのがあるのか! じゃあ俺も掘る!」とみんなが掘り出して、
しかもそれまで安かったカットグラス遺物が値上がりしてしまった、とか。

そんな痛し痒しの話を実際のカットグラス遺物や人骨レプリカを前に話されると、
ここって笑っていいところんでしょうか(笑υ)

これは明治のころの話で、資金集めから渡航発掘許可取るまで
今とは比べ物にならないくらい大変な時代。
そしてその頃はまだ、正倉院の存在は世界に知られていなかったんだとか。
1000年以上前の遺物が、発掘されるんじゃなくてそのままの形で保存されてるなんて、
普通ありえないことなので、きっと驚いたんでしょうねぇ。
笑いをかみ殺しつつ、不思議な話を聞かせてもらいました。

こういう裏話は絶対展示解説には書いてないので、解説聴講の楽しみの一つです。
この解説は土日13:00から(約50分)展示期間中やってくれるみたいです。
(本当は企画、常設、どちらからしいんだけど、4日は両方やってくれました)

話を聞きながらゆっくり見たので、もう一つ行こうかと思ってたところは回れませんでした。
でも収穫は盛りだくさんだったからいいや☆
お昼も食べずに飛び回っていたので、もう足がパンパンで、とても歩けなかったしね。
(2時間以上半身浴して揉んでみたけど、翌日まだ少し腫れが残ってました)
図録や資料を買ってほくほくとホテルに帰りました。

楽しい一日でしたv

それにしてもここ、常設展示物の図録も作ってくれないかな。
常設展の方もすごいものいっぱいで見ごたえがあるので、いつも欲しいなーと思うのですが。
しょっちゅう展示を変えてたりすると、ムリかな。