農村社会の変貌を伝える58年間にわたる中国一農村の会計簿

農業情報研究所(WAPIC)

06.10.19

  中国・河北省のDongying[東営?]村の1948年以来の58年間にわたる会計簿が、中国農村社会史研究の希少な資料として学者や役人の関心を引きつけている。学者たちは、農村地域の制度的変化、特に財政状況の変化に関する研究を行っているが、文書資料はほとんどなく、研究は主として村々の長老の記憶に頼ってきた。しかし、彼らの記憶は必ずしも完全でなく、正確でもない。この会計簿は、このような研究にとって絶大な意味があるという。17日付の中国新華網の報道が伝えている。

 Account books witness 58-year changes in rural China,xinhua.net,10.17
  http://news.xinhuanet.com/english/2006-10/17/content_5215224.htm

 報道は、この会計簿が示す村の特徴的な変化を次のように伝える。

 1948年当時のこの村の世帯数は213、人口は1119人で、農地面積は286ha、一人当たり農地面積は0.15haだった。

 大躍進運動が始まった1958年、国中の村が政府に対して作物生産高を誇大に報告するようになる。この期間、村は作物生産高を誇大にした偽の会計簿を政府に送り、正しい記録は自身が保存した。後者の記録によると、夏麦、秋穀、スィートポテトの1haあたり収量は、それぞれ4.5トン、3トン、37.5トンで、政府に知らせた収量の半分以下だった。

  次いで、国中を襲った自然災害で、1959年から1961年にかけては厳しい飢餓に見舞われた。洪水、干ばつなどで収穫が失われ、多数の村人が餓死した。この村の一人あたり食料供給は、一日あたり170グラムにまで落ち込み、53の村が飢餓に陥った。

 1960年代の記録によると、村の作物生産高は大きく減少、1haあたりの夏麦収量は840キロ、コーン収量は2300キロとなっている。

 1980年代には、請負制度に基づき農地を個別農家に配分する土地改革が始動した。これにより、農民は集団農業から脱し、個々に耕作する権利を獲得するとともに、それまで払うことがなかった税金を支払うことになった。村の一農民は、0.69haの農地を獲得し、251元(31.4米ドル)の農業税を払うことになった。

 そのとき以来、家族計画と農業税徴収のための仕事が村民委員会の主要な仕事になった。委員会は、公共福祉基金を増やすために工業活動から利潤を上げるようと、三つの工場を立ち上げた。しかし、これらの工場は、貧弱な管理のために、1994年までにすべて閉鎖された。

 1990年代半ば、一部の村民は離村、町や大都会で稼ぎ始めた。移住労働者が村の家族を以前よりも豊かにした。1995年には、一人あたり所得は2000元(250米ドル)に達した。会計責任者は、「大部分の若い農民は都会で働くことを選び、畑には僅かな作物しかなくなった」。集団の所得の不足のために、村は負債を抱え始める。

 村の予算の大部分は、水道施設や農村道路の建設のような公共福祉に投資された。しかし、村人には建設費用を払うための十分な金がない。1996年の村の負債は20万元(2万5000米ドル)だったが、2004年末までに60万元(7万5000米ドル)に跳ね上がった。

 2004年は転機だった。政府が初めて農業税減額を発表した。村民一人あたりの税負担は、150元(18.75米ドル)から29元(3.63米ドル)に減った。2005年からは農業税が免除され、農業税会計は歴史となった。

 ただ、過去の負債をいかに解消するか、農民所得をいかに増加させるかは、依然として村と村人の大問題という。