米国産牛肉問題 検査・監査の不手際を政争の具とするな 真の問題は食肉産業の構造改変

農業情報研究所(WAPIC)

06.2.1

 中川農相が1月30日の衆院予算委員会で、昨年12月の米国産牛肉輸入再開に際して閣議決定した米国と畜・食肉処理工場の事前査察を行っていなかったと発言、国会が大揺れに揺れている。民主党は、この問題を、耐震強度偽装、ライブドア事件、防衛施設庁官製談合事件と並ぶ今国会の最重要問題として取り上げ、”4点セット”で政府・与党を攻撃する、農相の罷免・辞任要求も考えるという。しかし、筆者はこのような流れに大いに危惧を感じる。背骨付き肉混入発覚以来、米国の食肉検査・輸出プログラム実施監査や日本政府の査察のズサンさに関心が集中しているが、国会におけるこの動きはこの傾向を一層強めるだろう。

 しかし、米国産牛肉の安全性の観点からすると、これらは本質的問題ではない。安全を脅かしているのは、牛飼育も含めた米国食肉産業のあり方であり、と畜・食肉処理工場は検査官も”アンタッチャブル”な一種の”聖域”をなしている。検査・監査の強化でこれが改まるわけではないのに、そればかりが強調されれば真の問題への関心が薄れ、安全確保への道が却って遠のく恐れがある。

 2004年に来日したタイソン社労組委員長等の訴えを思い起こして欲しい。彼らは、と畜・食肉処理工場の生産ラインは、会社の利益追求のために労働や食品の安全などに配慮できない速さに設定されており、しかも多くの労働者は苛酷な労働条件のために不断に入れ替わり、この作業に不慣れである、特定危険部位(SRM)の適切な除去などそもそも不可能と訴えていた。実際、米国市民団体・パブリックシチズンは昨年8月、情報公開法を利用して得た農務省の検査官報告によるデータを基に、2004年から2005年初めまでにSRMが適切に除去、あるいは処理されなかったルール違反が276件に上ったと発表している。違反は少なくとも35の州の131工場で起きており、しかも、これは氷山の一角にすぎないという。

 Public Citizen、BSE Noncompliance Record Analysis
  http://www.citizen.org/cmep/foodsafety/madcow/articles.cfm?ID=13903#srmp

 しかし、このような工場内部の実態は外部の者には絶対に分からない。同じくタイソン社労組委員長等は、査察が入ればラインが減速される、労働者はこの実態を外部に暴露できないように厳しく監視され、写真撮影も許されないと語っていた。ここは、農務省や日本政府の監査も”アンタッチャブル”な領域なのだ。

 工場内部に常駐する検査官はどうか。検査官労組のウエブサイトに掲載されたカリフォルニア南部の食肉工場の一女性検査官ー15年の職歴をもつーに対するインタビューを見ると、彼女は仕事に行くときには間違いが起きないように祈る、もしそれを発見し、記録し、是正を要求するようになれば、何が起きるか分かっているからだと言っている。そんことになれば”ハラスメント”に会い、問題を報告しないように迫られる、農務省も工場も違反件数を極力少なくみせるために様々な圧力をかけてくる。職務遂行に真面目な彼女は、あげくの果て、アイオワの工場の夜間勤務に転じることを命じられたという(これは拒絶)。つまり、ここは検査官も”アンタッチャブル”な領域なのだ。

 http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/meat/interviews/mckee.html

 これが、検査や監査をいかに強化しても食肉の安全は確保できないと考える理由だ。その強調は、このような根本問題の解決の努力を怠り、表面的な検査・監査の強化でお茶を濁そうとする米国政府の思うつぼだ。食肉産業の経済効率最優先の体質を改める以外、安全を確保する方法はない。

 しかし、それはどうしたら可能なのか。食肉産業のこのような構造は、止めどもない安売りで消費者をつかまえようとする大型小売店の死闘が生み出したものだ。この死闘に歯止めをかけるには、このようにして提供される製品を消費者が拒否するしかない。このような動きは始まったばかりだ。タイソン社は、狂牛病(BSE)や抗生物質・ホルモンの利用をめぐる消費者の不安が高まり、BSE発生のために60ヵ国以上の国が米国産牛肉輸入を禁止するなか、来月から抗生物質やホルモンを与えられず、草と穀物だけで育てられたアンガス種の牛からの”自然牛肉”を提供するという。

 Tyson Foods To Introduce 'Natural' Beef Lines,CNNMoney.com,1.25
  http://money.cnn.com/services/tickerheadlines/for5/200601250858DOWJONESDJONLINE000713_FORTUNE5.htm

 関連ニュース
 'Natural' chickens take flight,USA Today,1.24
 http://www.usatoday.com/news/health/2006-01-23-natural-chickens_x.htm

 タイソン社の2006会計年度最初の四半期の純収入は昨年度同期に比べで900億ドル、18%減少した。豚肉・牛肉部門の販売不振で大きな損失が出たためという。”自然牛肉”販売開始は起死回生策の一つだろう。

 Tyson reports nearly 19% decline in Q1 net income,worldgrain.com,1.30
 
http://www.world-grain.com/feature_stories.asp?ArticleID=77685
 

  日本が検査・監査の強化だけで再停止した米国産牛肉の輸入を再開するようなことになれば、このような動きに水を差すことになる。この問題を政争の具とすることも同様だ。マスコミも、政治家も、一部消費者グループも、これを銘記すべきである。[輸入再開の是非は、輸出プログラムの遵守を「前提」としないリスクの再評価によって決めるべきだ]

 関連情報
 台湾が米国産牛肉輸入を再開 輸入条件緩和の国際的流れに日本はどう対処するのか,06.1.26