東日本大震災6年報道 一向に見えない原発事故災害復興の展望 政府の復興戦略を質せ

原発事故農業情報研究所環境原子力ニュース・意見:2017年3月12日

 新聞もテレビ(以下、メディアと呼ぶ)も、東日本大震災6年”記念”の記事や番組で大賑わいだ。普段から被災地・被災者情報に関心を集中している筆者には多くは聞古した話、「情報」と言うに値しない「冗長」だ。それは仕方がないことかもしれない。しかし、とりわけ原発事故災害にかかわる中央政府・地方自治体政府の被災地・被災者対策に対する的確な批評の欠如には辟易とし、”記念”にふさわしい福島復興の展望も一向に見せてくれないことには大いなるもの足りなさを感じる。

 例えば先日、福島大学の小山良太教授の「震災から約6年たった今、県産農産物が直面している問題はもはや風評被害ではない」と福島農業復興戦略の根幹にかかわる発言を紹介したが(福島大学研究者 「県産農産物が直面している問題はもはや風評被害ではない」 産地戦略が急務 農業情報研究所 17.3.4、メディアは相変わらず福島農業が抱える唯一の問題は「風評被害」のごとくに言いふらしている(福島から「風評被害」検索なくならず 募る被災地の不安 朝日新聞 17.3.10;「購入ためらう」なお 検出ゼロ 周知を 消費者庁風評害調査 日本農業新聞 17.3.9)。

 官が与える数字を無批判的に受け入れ、小山教授のように「厳しい検査体制が構築され、安全性が確立された今、『福島は危ない』という人はごく一部にすぎない。ではなぜいまだに価格が安いかと言えば、原発事故を境に流通構造が変わって今も戻らないためだ、全国から仕入れる業者にとって、福島は『低位の産地』という位置付けで固定化してしまった。6年もたてば、原発事故前に福島が築いていた産地としての地位をそもそも知らない業者もいる。こうなるともはや風評の問題ではない」と冷静に読み解こうとしないメディアの精神的貧困を象徴する。それでは福島農業復興の展望は全く見えてこない。

 故郷の土地を離れて暮らす避難者、特に住宅支援打ち切りを宣告された「自主避難者」が戸惑い、苦悩する様子を大々的に報じながら、そうした問題の根源である「県内での除染の進捗や食品の安全性の確保など、生活環境が整いつつある」ことを理由に自主避難者に対する(事実上)唯一の支援策である仮設住宅の無償提供を打ち切るという福島県の施策についても同様だ。このような施策そのものは問題にすることなく、全国に散らばる避難先自治体の善処に期待をかけることで避難者に寄り添う姿勢を示すだけである(被災者(地)支援・賠償)。

 県が自主避難者への支援を打ち切るのは、避難生活の条件を悪化させ、避難者を帰還に誘導するためである。ハッキリとそう指摘した上で、それによって帰還する人はどれほどになるのか、仮に多くの人が帰還したとして、そういう帰還者を含む人々で構成される地域社会とはどんな社会か、原発事故前のような社会に戻るのか否かを問うべきである。さもないと、復興の展望も全く見えてこない。

 大半の元住民が不十分な除染や生活インフラ整備の未完などを理由に時期尚早と反対し・新たに大量の「自主避難者」を生み出すだけの避難指示解除を急ぐ諸政府の帰還強制策にも、数々の疑問を呈し・被災者に「寄り添う」ふりをしながら、この政策そのものの当否には全く触れない(→避難区域)。唯一東京新聞の「原発事故から6年「自主避難者」化される被災者たち(飯舘村 17.3.9 朝刊)だけが、そんな施策に憤りを露わにしている。

 ちなみにこの記事によれば、

 「村側が避難指示解除後も帰還しない住民について『扱いは自主避難者になる』と言明した。

 避難先の自治体の学校に継続して通おうとすれば、村から住民票を移す必要が生じるという。男性は『放射線に対する考え方は人それぞれとはいえ、線量はまだ高い。川も山も除染されていない所に戻らないのが自主避難なのか」と憤る。『今は住民票を移すつもりはないが、避難先の学校が受け入れてくれる現在の特例制度がなくなったら、住民票を移す。村よりも子どもが大事だから』・・・・・・

 帰村世帯に一律20万円を支給する『おかえりなさい補助金』は3月議会で承認される見通しだ。引っ越し代名目だが、使い道は自由で、3年間限定となる予定だという。・・・・・・ 

 他方、福島市にある村の支所の住民票・印鑑照明の窓口も閉鎖され、4月から村でしか手続きできなくなる」

 「デスクメモ」は言う。「避難指示が解除された楢葉町の町長が、職員に『帰町しない場合、昇級・昇格させない』と発言したという。町民思いという解釈もあるようだが違うと思う。この論理はやがて町民に及ぶ。『模範町民』と『文句垂れ町民』に分けられる。分断は町民の力をそぎ、復興は一段と遠のく」。 

 国や自治体が帰還を急がせるのは、帰還が遅れれば遅れるほど避難者の帰還意向が薄れ、「復興」が遠のくからである。しかし、こんなになりふり構わず帰還を急かされたとしても、元住民は戻らないかもしれない。避難区域に形成される社会は、原発事故前とは全く違った人々で構成される全く別の社会かもしれない。避難者は別の社会の構成員として他所に定住することになるかもしれない。それでも仕方がないのではないか。

 原発事故からの復興なんてそもそもあり得ない話ではないのか。500年後、ここに移り住んだ人が、昔ここに福島第一原発とかがあったそうだなどと話す類の話ではないのか。何故そう言えないのか。それでは政府の言う「復興」を否定することになるからか。政府に逆らってはいけない。

 高市総務相、「メディアが萎縮しているとは認識していない。放送事業者は誇りを持って報道している」と言っているそうだが(「メディア萎縮ない」 米人権報告書に反論 毎日新聞 17.3.10)、近頃の「メディア」、政府の仕打ちを恐れて「委縮」しているとしか思えない。さもなければ、メディアはよほどのぼんくらだ。

 福島の農業復興戦略はどうあるべきか、避難者支援はどうあるべきか、避難区域復興戦略はどうあるべきか、その解答をメディアに期待すのは無いものねだりなのだろうか。