気仙沼の老漁師季節の便り:気仙沼の旅:2015年5月17日参照)

 

気仙沼で花開け 熊谷桜(中)心機一転 再び「宝の海」へ(埼玉) 東京新聞 16.5.1

 

午前四時。宮城県気仙沼市の尾崎(おさき)漁港に通じる暗い道で自転車をこぐ一人の老人の姿があった。地元で代々続く漁師、熊谷直(あつし)さん(81)だ。

 港に係留している〇・五トンの小さな舟を操り、気仙沼湾に出ると、前日に仕掛けておいた網やカゴをたぐりよせる。アイナメ、カレイ、アナゴ、シャコ。六月から始まる漁のベストシーズンはまだ先とはいえ、次々に揚がる獲物に満足した様子でほほ笑んだ。

 

 五年前の東日本大震災の大津波で、港のすぐ近くにあった熊谷さんの自宅や経営する養殖ワカメ工場などすべてが流された。熊谷さんの作るワカメは人気があり、一時は数十人のパートを雇うほど繁盛していたという。「千年に一度の大津波。悔しいけれど、恨みはしません。黒潮と親潮に育まれたこの海は、宝の海なんだから

     

 当時、熊谷さんは海から離れた場所にいて難を逃れたが、自宅にいた妻の武子さん(79)は隣接する海抜十メートルの小山にある尾崎神社に駆け上り、波が足元三十センチまで迫る中、九死に一生を得た。約百世帯あった尾崎地区は壊滅、二十七人が亡くなった。

 

 熊谷さん夫妻は仮設住宅暮らしを経て、震災から一年後に港から一キロほどのところに中古住宅を手に入れ、住み始めた。玄関先には二年前に熊谷市民から贈られた熊谷桜が植えられた大鉢が置かれている。

 「うつむきかげんで小粒なかわいらしい桜ですね」と武子さん。「春先に桜のつぼみが膨らんでくると、お父さんはしょっちゅう桜の様子を見に行って落ち着かないんです」と笑う。

 しけの日以外は漁に出る熊谷さんは、捕った魚を市場に売って生活費の足しにする一方、残った魚は近所や仮設住宅の人々に配って歩いている。熊谷桜をもらった熊谷市民にはお礼に捕れた魚を冷凍便で送り、熊谷からは特産のネギが届くという。

     

 遠く九百年前の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)のえにしで結ばれた熊谷市と気仙沼市の市民。熊谷桜に形を変えて熊谷さんのような人たちを支えている。

 「両市民の一体感の象徴である熊谷桜を大切にしたい」と語るのは、直実の子孫とゆかりの深い同市松崎中瀬の古谷館(こやだて)八幡神社の熊谷正之宮司(60)だ。氏子ら約千八百戸のうち約五百戸が津波にのまれ、百五十四人が亡くなったという。

 二十四日に集団移転地での熊谷桜の植樹を終えた後、参加者らは同神社を訪れ、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑に献花。その後、熊谷、気仙沼の両市民が、それぞれの特産品を使った料理を囲んで温かく語り合った。

 

 すでに震災から五年。めちゃくちゃになった気仙沼港は復活し、再び漁船が戻ってきた。津波被害を防ぐために始まった高台への住民の集団移転地整備は進ちょく率90%に達している。それでも気仙沼の「熊谷さん」たちの復興への歩みは、まだ始まったばかりと言わざるを得ない。

 熊谷宮司は、会場の両市民に語りかけた。「日本中どこでも災害があります。ですが、痛みを分かち合える生き方でありたい」。散って、力を蓄えて、また咲く。そこには、旧(ふる)きゆかりと新しい絆という肥料がきっと必要だ。 (花井勝規)