気仙沼関連報道
 

気仙沼関連報道:過去1週間

 

2018年8月16日

 

<気仙沼大島大橋>シカの親子 開通待つ? 河北新報 18.8.17

 気仙沼市の大島と本土をつなぐ気仙沼大島大橋(長さ356メートル)の本土側架設地点に15日、親子のシカが姿を見せた。
 橋は来春開通予定で、立ち入りできない。シカは高さ約2メートルのフェンス周辺をしばらくうろうろした後、大島側へ渡るのを諦めたのか暗闇に姿を消した。
 最も多い時で5300を超えた大島の人口は、現在2470ほど。橋が架かり「人の代わりに野生動物が増えなければいいが」。島に住む70代女性は自嘲気味に話した。

人のため「さすがヒーロー」2歳児救助の尾畠さん、東日本大震災後も宮城・南三陸で支援に尽力 河北新報 18.8.17

 山口県周防大島町で行方不明になった藤本理稀(よしき)ちゃん(2)を15日に山中で発見した捜索ボランティアの尾畠春夫さん(78)=大分県日出町=は、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町でも支援に尽力していた。尾畠さんと活動を共にし、その人柄を知る町民からも「人のためにできることを何でも行動に移す姿はさすが」などと称賛の声が上がった。
 尾畠さんは震災後の2011年3月末、支援ボランティアとして南三陸町に入った。町災害ボランティアセンターが取り組んだ「思い出探し隊」の活動に加わり、がれきの中をかき分けて被災世帯の写真などを捜した。
 「力持ちで知恵も豊富だった。被災者を助けたい一心で活動していた」と語るのは同町志津川の会社員後藤黎亜(れいあ)さん(28)。ボランティアセンターの支援に携わる中で尾畠さんと出会った。
 「若い人たちにリーダーを任せ、道具の片付けや補充など裏方の作業に汗を流していた」と後藤さんが振り返るように、ボランティア仲間の精神的支柱だった。今回の救助について当時の活動仲間とのフェイスブックには「さすが私たちのヒーロー」とのメッセージがあったという。
 ボランティアセンターで受け付け業務を担った町社会福祉協議会の職員佐藤美保さん(57)=南三陸町戸倉=は「赤いつなぎがトレードマーク。明るい人柄で、現場でいつも元気を振りまいていた」と思い起こす。「廃材を使って棚を組み立てるなど作業を効率的にこなしていた。周囲に背中で語る職人肌の人だった」と言う。
 尾畠さんは06年に徒歩で日本縦断の旅に挑み、宮城県内を訪れた。「初めて吸う東北のうまい空気に元気が出ます」と日焼けした顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
 

  夏休みの思い出に 本吉町小泉でスイカ種とばし大会 三陸新報 18.8.15

 気仙沼市本吉町小泉地区の「スイカのたねとばし大会」が12日、小泉公民館で開かれ、子どもたちが好記録を狙って力いっぱい種を飛ばした。
 小学生を対象にした夏の恒例行事。スイカ割りを楽しんだ後、紙コップに小分けにされた種を持って挑戦した。
 「飛びそうな種」を選び、上体を前後に揺らして勢いをつけて飛ばした。小泉小4年の児童は「前回よりも飛ばすことができて楽しかった。夏休みの思い出になった」と喜んでいた。

南三陸の自然アートで表現 「町民憲章」題材 住民団体が作品募集 河北新報 18.8.15

 宮城県南三陸町の町民憲章を題材にしたアートコンクールの作品を、同町の住民団体「かもめの虹色会議」が募集している。町が今年、志津川湾の藻場のラムサール条約の登録を目指しており、応援を兼ねて実施する。
 町民憲章本文の(1)海のように広い心で 魚のようにいきいき泳ごう(2)山のように豊かな愛で 繭のようにみんなを包もう(3)空のように澄んだ瞳で 川のように命をつなごう(4)大きな自然の手のひらに抱かれている町 南三陸-の4つのフレーズから題材を一つ選ぶ。A4判にイラストや貼り絵、写真などで表現する。
 1人1点。応募対象は問わない。虹色会議で審査し、各フレーズごとに大賞1点、入賞約35点を選ぶ。10月中旬に町役場で全作品の展示会を開く予定。
 応募用紙は町役場や南三陸ポータルセンターで入手できるほか、郵送で送付する。作品の送り先は〒986-0751南三陸町志津川上の山27の2、上山八幡宮内「虹色アートコンクール」係。31日までの消印有効。連絡先は0226(46)3453。

<災禍を超えて>戦後73年目の夏(中)命の重み 生き延び痛感/古沢孝夫さん(91)宮城県南三陸町 河北新報 18.8.15

◎砲弾で真っ暗
 <1944年、17歳で山口県の海軍防府通信学校に入学し、教員補になった。長崎、茨城両県の海軍施設に赴任し、通信を担った>
 宮城県志津川町(現南三陸町)生まれで志津川郵便局に就職しましたが、町長から「兵隊に行ってくれ」と頼まれ、志願しました。
 45年4月、長崎県に転勤し、大村湾でベニヤ板で作った小型ボートの特攻訓練を何度も目撃しました。詳細は知らされませんでしたが、出撃したらしいとの話は聞こえてきました。
 神奈川県の横須賀鎮守府では、戦闘に巻き込まれました。米軍機約200機が襲来して急降下し、日本軍が対空射撃で応戦。空が砲弾で真っ暗になりました。戦闘は20分間ほど。トラックの陰に隠れて、どうにか命を拾いました。
 各地で米軍機が悠々と低空飛行をしており、敗色濃厚でした。終戦は茨城県で迎えました。上官から銃器を海に捨て、記録は燃やすように命じられました。戦時中に付けた個人の日記も焼いてしまったのは、今となってはとても残念です。
 世の中全体が洗脳されていました。戦争は絶対に駄目。人を殺したら終わり。死んでも終わりです。
◎父背負い脱出
 <復員後、郵便局に戻った。正子さん(87)と結婚し、3男を育てた。60年のチリ地震津波で自宅は1階天井まで浸水した>
 近くの八幡川の水があふれてきたのを覚えています。父親は脳卒中を患い、自宅で絶対安静でした。子どもたちを小学校に避難させ、私は父親を帯で結んで背負い、2階の窓から屋根にはい上がり逃げました。
 荒れ狂う津波で家が揺さぶられ、滑り落ちそうになります。私には妻子がいます。これ以上、揺れた時は、帯をほどいて自分だけは助からなければいけないと考えました。ひどい時間でした。やがて波が引き、皆助かりました。
 <2011年の東日本大震災は町内の高野会館で高齢者芸能発表会の最中に起きた。約300人が屋上に避難し、助かった>
 会館のシャンデリアがぶらんぶらんと揺れました。防災無線が津波警報を繰り返し伝えました。会館の責任者が「外は危険です。屋上に避難してください」と誘導しました。この判断に助けられました。
 津波は体育館や公民館を巻き込み、車をおもちゃのようにひっくり返しました。小雪が降り、寒さが増してきて、屋上のコンクリートに囲われた場所に移動しました。人でぎっしりと埋まり、一晩、ほとんど立ったまま過ごしました。
 15年、高台に造成された志津川東地区に自宅を再建しました。兵隊になって得たのは、へこたれない精神力。90歳になって自宅を再建した人はなかなかいないでしょう。
 戦争体験や2度の津波被災など半生をつづった冊子を作り、記録しています。この命を大事にすることが、災禍を生き延びた恩に報いることだと思います。

 

気高生が後輩に「授業」 気仙沼市条南学区で初のリトルティーチャー 三陸新報 18.8.14

 気仙沼高校で10日、生徒が小中学生の勉強を手伝う「リトルティーチャー」が初めて開かれた。生徒たちは問題集などを解くアドバイスをしたり、高校生活について話をしたりした。
 指導役は気高生16人で、九条小、条南中の約40人が参加した。
 小中学生は持ち込んだ夏休みの課題や問題集などの自習を進めながら、分からない問題や作文を書くポイントなどを質問。高校生は、解き方やヒントなどを教えたり紙に書いて見せたりしながら優しく教えた。

 

夏の海に笑顔広がる 歌津で「海の大運動会」 三陸新報 18.8.13

 南三陸町歌津地区の田の浦漁港で11日、海の大運動会が開かれた。夏空の下、町内外から訪れた人たちが、ユニークな手作り競技で海に親しみながら、交流を深めた。
 海に浮かべたマットの上で、逆方向から来た相手とスポンジ状の剣で対戦する競技では、足を滑らせて何度も海に落ちる参加者も。真夏の日差しが照り付ける「海の運動会」日和で、参加者は、水の冷たさにひとときの涼を感じながら楽しんでいた。
 埼玉県さいたま市から訪れた小学1年の男子児童(7)は「海の水が冷たくて気持ちいい。夏休みの思い出になった」と笑顔。母親(39)は「埼玉は海がないので、家族で自然を満喫できた」と喜んだ。