農業情報研究所意見・論評・著書等紹介農業・農村・食料関係 2017627

 スマホで田んぼの見回り代行 自然との対話を欠く農業 弱い農業

 政府は農地集積による大規模農業経営の創出に躍起になっている。水田経営の大規模化に伴い農家が直面する難問の一つが、田んぼの見回りのための負担の増大だ。田んぼ見回りの最大の目的は水管理である。

 そこで近頃、人に代わって水管理を代行するICTを活用した水管理システムの売り込みが盛んである。いわく、「農家の規模は、基本的にどんどん大規模化しており、田んぼのチェックに34時間かかる場合があります。一人で田んぼを見回らなければいけない数がどんどん増えてきているので、手が回らない時にこういったセンサーがあると助かるんです」、「しかも、それがスマートフォンやタブレットでチェックできます。どこで水が抜けているか、温度が異常に上がっていないかなどが一目瞭然です」(「田んぼの見回りを代行! 水位・水温をスマホでチェック」といった具合である。

 そして、例えば富山県、今年からこうした水管理システムを導入するためのモデル地区を県内二カ所に設定し、実証実験を始めた。水田の水位などを専用装置で管理することで、作業の効率化につなげる。従来は手作業でバルブを開くなどして水田への水の流入を管理していたが、装置によってスマートフォンやパソコンなどで遠方から操作できる。センサーで水温や水位も感知できるため自動設定も可能となるという。 

スマホなど使い 田んぼの水やり 八尾と砺波にモデル地区(富山) 中日新聞 7.6.27

しかし、バルブの開閉などの手作業を代行するだけでは、大雨で増水した水路に落ち、あるいは水路から溢れた水に足をさらわれる危険を冒して出かける緊要の田んぼ見回りは代行できない。それだけでなく、稲の健全な育成のために必要となるさまざまな役割を果たす田んぼの見回りも疎かにすることになる。

例えば「岡山の蒜山で農薬と肥料をつかわず自然のリズムと調和して作物をつくっています」という高谷裕治氏、ある日の「見回りという仕事」について次のように書いています。

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 今日も朝から冷たい雨の中、毎日の日課である田んぼの見周りに行ってきました。

見回りの目的はイノシシ除けの電柵の確認だけでなく、稲を通して自分がしてきた作業の意味を振り返るという大切な作業でもあります。 

9枚の田んぼが連なっているこの場所は一見同じように見えるけれどそれぞれの個性があって、栽培の歴史も異なります。

その上、今年は田植えまでのトラクターの入り方や田植えの仕方も変えているのでほんとに田んぼに起きている現象がそれぞれ違ってきています。

草も稲も元気な田んぼもあれば、草も稲も弱々しい田んぼがあったり。イネアオムシなどの虫が大発生したり、生育の途中で葉っぱの色が黄色くなったり、だけど、ここにきて緑が濃くなってきた。 

そんな地上部の稲の姿から土の中の状況を想像し、その日の仕事を考えます。

今日の仕事は、外側の溝の手入れとなりました。

 春にキレイに掘り上げていた溝は、草を刈って見通しが良くなったら水の流れが滞っているのがわかりました。水が停滞し藻が発生し、細かい泥の粒子が沈殿したところに草の根が張っています。

この溝もただ掘ればいいわけではなく、溝の深さや幅もその場所に適したものがあるんだなぁと思いながらの作業。

こういった日々の積み重ねが自然と対話するということかもしれませんね。  

今年は今のところイノシシの侵入はありませんが収穫まではあと一ヶ月半ほどあるので気を抜かず田んぼに通おうと思います。

何もなければ今年は販売分が結構あると思います。年間契約についても後日告知していきますのでもうしばらくお待ちください。

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 農業、米作りとは、まさしく人と自然との対話です。それは「生産」のための単なる「労働(労苦)」ではなく、「仕事・ふつうの人のふつう以上の夢」(スタッズ・ターケル、中山容訳 『仕事』 晶文社)であり、楽しみであり、生き甲斐でもある。

 だが、ICTやロボットがとって代わるのは無味乾燥な労働であり、「仕事」ではない。それをICTで代行などという発想が生まれるのは、農業を「仕事」ではなく日々の糧を稼ぐために人類が負った宿命としての生産活動とみなし、農業者をそのための単なる道具(生産手段=「担い手」)とみなしているからだ。

 田んぼの見回り(自然との交感)もできないような大規模稲作にどんな楽しみ、生き甲斐があるというのだろうか。そんな農業は、早晩、自然との闘いや外国農業との戦いに敗れて滅びてしまう「弱い農業」だ。

 (こう言ったからといって、前にも言ったようにロボットやAIの「お手伝い」まで否定するものではありません。大事なのは「お手伝いさん」に「主役」の座を明け渡してはならないということです。「どんな科学的データ」も「経験と勘」にとって代わることはできません。「科学的データ」に頼るうち、人は貴重な「経験と勘」を失うことになりかねません。念の為)

 

 

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