農業情報研究所意見・論評・著書等紹介2015年9月7日

「除染・帰還放射線量目標値を年5mSvに」の「学者」発言に「批評」はないの?東京新聞への投稿 

  「二年ほど前から郵送で東京新聞を購読」している五十嵐 進氏(福島県喜多方市 年金生活者 66)が今日の東京新聞の投稿欄で、わがHPでも取り上げた(注)環境リスク学者・中西準子氏へのインタビュー記事・「あの人に迫る」における同氏の発言に対し 「批評がないのではないでしょうか」と訝っている。

 (注)福島県 行き場がない除染廃棄物 問われる除染→早期帰還→復興のシナリオ 15年8月23日

 投稿者は、「背骨が真っすぐな学者として遠望していた方」が「なるべく早く帰れるような条件と根拠を探」って「年間五㍉シーベルト」なら、として具体的な数値を示しました。・・・だが、これだと結局、政府の相双地区の原発被災者早期帰還促進政策に与するだけではないか、と思ってしまいます。・・・「ちょっと御用学者と言われただけで、発言が止まるなんて弱いなあと思います」という気概はよしとして、現政府の政策支持の強者になられるのではないか・・・先生、ご自分のお孫さんをそこに住まわせられますか」と中西氏の発言を批評する。

 学者の発言にも批評を 東京新聞 15.9.7 朝刊 5面

 1日100件のアクセスもないわがHPでの批評など無いも同然、氏が嘆くのも無理はない。マスコミの鈍感は目に余る。ただ、ここでは、何よりも「背骨が真っすぐな学者」がなぜ「強者になられる」のかを問題にしておきたい。

 答えは、究極のところ、「背骨が真っすぐな学者」と言えども、被災者を正確な科学的知識に基づいて自らの「生活や人生設計」ができない下々(しもじも)の者と見ているからだろう。被災者に限らず、生活者は「科学的」と「学者」が称する知識に基づいて自らの「生活や人生設計」をしているとは限らない、そのことが分かっていないのだろうと思わざるを得ないのである。

 この例に即して言えば、ある人々、特に子育て中の若・中年層は5㍉シーベルトどころか1㍉シーベルトの被ばくも必ずしも安全とは確信できず・恐れ、避難あるいは移住を選ぶ。ある人々、主に年寄りは、5㍉シーベルトだろうと20㍉シーベルトだろうと恐れず、あるいは恐れても、今までの生活の方が大事、落ち着くと留まり、あるいは帰還する。「

 「学者」、「先生」にはそれが分からない。だから、マスコミも、「学者」、「先生」の話しに対しては自ら批評する能力を身につけねばならない。今はそれがないからこんな投稿も生まれるのだと自省しなければならない。