農業情報研究所意見・論評・著書等紹介感染症:2020年4月24日

 

意見紹介:新型コロナ禍を機に考えるこの国のかたち―山下惣一氏

 

「孫たちやその次の世代の世には過疎も過密も格差もない、そして今回のような感染症にも強い社会になってほしい」

 


【衝撃 コロナショック どうするのか この国のかたち】山下惣一:多極分散国づくりめざせ 農業協同組合新聞 20.4.23

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◆百姓の強みを実感

 未だ終息せず、いつ収束するかもわからない「新型コロナウイルス」騒動だが、思いもかけないこの厄災によって教えられたことがいくつもある。
 まずは私たち田舎の農家の暮らしが恵まれているということだ。それはコロナウイルス騒動が教えてくれた田舎暮らしの安全・安心である。そして「食」を生産・保有していることの盤石の強さだ。考えてみれば百姓の暮らしとしては昔から当り前のことだが、これを強みだとは自覚していなかった。都市の方ばかり向いて、少しでも都市に近づくことが発展であり幸福への道だという幻想に長い間とりつかれていた。だから農村から人が減ることを憂え、農業後継者不足を嘆き、年ごとに増えていく荒廃農地に心を痛めてきた。だが、その結果として今回のような感染症にはきわめて強い安全地帯となったのである。村に残ったものが頑張って元気に幸せに暮らしておれば、いずれそう遠くない時期に帰郷する人たちが出てくる。時代状況がそうなってきた。
 逆に都市はその脆さ、生活のあやうさが浮き彫りになった。ウイルス感染の要因として「三密」が指摘されている。「密閉」「密集」「密接」だが、これこそまさに都市機能そのものではないのか。満員の通勤電車、エレベーター、ラッシュ時の駅のホーム、タクシー待ちの行列などなど想像しただけでわかる。
 そんな都市で現在よりも人との接触を80%減らすなどということができるのだろうか。もし出来たとしたら、それで都市は生き残れるのか。

◆田舎で見えてきたこと

 「不要不急の外出自粛」が要請された3月。私が出かける用件のすべてが中止となり、我が家を訪ねる人たちの予定は全部キャンセルされ、どこにも行かない、誰も来ない1か月を私は初めて体験した。ちょうどミカンの剪定時期で、毎日のように女房と軽トラックで畑とわが家を往復した。
 玄界灘を見下す台地の田や畑に人影はない。都会では人に会うなというが田舎では会いたくても人がいないのだ。そんな無人の風景から家に戻ればテレビでは毎日コロナウイルスの話題ばかりで「オーバーシュート」だの「クラスター」など耳慣れない言葉が飛び交っていて、まるで別の国の放送を見ているような気分であった。だからこれを「人ごと」ではなく「我がごと」として認識するようにといわれてもそれは無理だ。人間はまだ何とかなると思っている間は行動を変えない生き物である。かくして1か月間、どこにも行かず、誰も来ない暮らしをしたら、財布の中身がほとんど減らなかった。それで私たちには何の不都合も不自由もない。これはカネ依存ではなくモノで暮らしている者の強さだ。これもコロナウイルスに教えられたことである。

◆共生へ 人間が変わる

 さて、そこで今回のコロナウイルス禍が私たちに教えてくれているのは一体何なのかを考えてみた。農業を営んでいる私たちにはよくわかっているが、それは「人間は自然界に生かされて生きている生物の一種であって自然の支配者ではない」ということにつきるだろう。
 大きな話からいけば地球上にすむ生物の総数は870万種類でその86%が未だ発見されずしたがって名前もない。人類が発見して分類しているのは全体の15%弱の120万程。その地球でもっとも繁栄した哺乳類が私たち人類だがそれでも全生物量の0.01%だという。
 ウイルスは顕微鏡でしか見えない細菌のさらに50分の1の大きさで、生命の最小単位である細胞を持たないので自己増殖ができない。そのため他の生物の細胞を利用して自分を複製させて拡大していく。その唯一の目的は子孫を残すことだといわれている。人類は20万年前にアフリカで誕生したが、ウイルスは4億年前に生まれている。コロナウイルスは60年前に分類されたがその共通の先祖は紀元前8000年頃に出現してコウモリなどを宿主として現代まで生きのびてきたのだそうだ。私たち人類の大先輩である。
 だから、この大先輩を撲滅しようとしても無理な話である。仮に一時的に制圧できたとしても次にはコロナウイルスを天敵としていた別のウイルスが急増するか、コロナウイルスが姿や形を変えより強力になって再登場してくるだろう。農業では「リサージェンス」というが、殺虫剤をかけたことで別の虫が大発生することはよくあることだ。だから、新型コロナウイルスも敵として闘うのではなく人間に対して無害のただの隣人として共存、共生を目指すべきだ。農業をやっている立場から私はそう考えるがどうだろうか。
 ということは、ウイルスの側ではなく私たち人間の方からウイルスを無害にする環境を作っていくということである。感染症が発生していないところをモデルにすればいいのだ。

◆一極集中からの転換を

 事実が証明しているように発症は大都市に集中している。地方は少なく農村にはほとんどない。岩手県は現在(420日)でもゼロだから、早い話が岩手県みたいになればいいのだ。人口の集中が病根だからこれを改善するのが本筋だが、これは容易ではない。
 だから対症療法となるわけだが、現代の科学も医学も疫学もほとんど役に立たないのだからすごい話ではある。

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