農業情報研究所意見・論評>2010年9月29日

日本に重症FTA(EPA)フィーバー 戸別所得補償も農山漁村再生ではなくFTA推進のため

 EU−韓国自由貿易協定(FTA)が来年7月1日に発効する見通しとなった。この協定は2009年10月15日に仮調印が行われ、2010年中には発効することになっていた。しかし、小型自動車産業への打撃を恐れるイタリアの反対で発効が延び延びになっていた。そのイタリアが発効を半年遅らせることで妥協、9月16日のEU外相理事会で27ヵ国すべてが2011年7月1日発効に合意した。あとは欧州議会が協定に同意すれば、この発効が実現することになる。

 http://www.consilium.europa.eu/uedocs/cms_Data/docs/pressdata/EN/foraff/116545.pdf

 この報に刺激されたのだろうか、わが国のマスコミや政治家たちが、にわかにFTAまたはFTAを含む経済連携協定(EPA)の推進に熱を上げ始めた。マスコミは、農家戸別所得補償を中心とする農業財政支援の強化でFTA推進の最大の障害を取り除き、韓国に対する遅れを早急に取り戻せと異口同音に叫ぶ。

 鹿野道彦新農相は17日の就任会見で、EPA推進は民主党の「新成長戦略」の一環であるとした上で、EPAを推進すれば国内の農産物への影響は避けられない(記者発言)と認め、EPAの推進に当たっては「どうしても新たな財源が必要だ」と述べている。

 http://www.maff.go.jp/j/press-conf/min/100917-2.html

 「大畠章宏経済産業相ら新閣僚は19日、NHKのテレビ番組で、貿易や投資などを自由化する経済連携協定(EPA)の各国との締結について「最高の優先順位」(前原誠司外相)などと述べ、積極姿勢を相次いで表明した」。

 http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010091901000320.html

 「大畠章宏経済産業相は22日、日本経済新聞などとのインタビューで、経済連携協定(EPA)について、農家への戸別所得補償制度の拡充と合わせ、推進する意向を表明した。農産物の関税引き下げに伴い、農家の所得が減った分を同制度で穴埋めし、影響を少なくする。・・・・・・。日本は米国や欧州連合(EU)などと署名済みの韓国に後れを取っている。経産相は日本がEPAで遅れると関税の支払いなどで日本企業が不利になると説明。これまで交渉推進のネックになっていた農業問題克服のために「農水省と連携し、戸別所得補償を拡充して、農家に安心して農業を続けてもらう」と述べた。」

 http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E0E0E2E0888DE0E0E2EBE0E2E3E29797E0E2E2E2;at=ALL 

 EPA締結に「最高の優先順位」を与える前原新外相は、21日から25日までの第65回国連総会(ニューヨーク)出席に際しての二国間会談で、クリントン米国国務長官に対して米国産牛肉に対する日本の輸入制限について「月齢制限緩和を一つの可能性として検討し、できるだけ早く方向性を出したい」などと軽はずみな発言をした上に、日英外相会談、日ポーランド外相会談においては「日EU・EPAの早期締結に取り組む我が国の方針を伝え,先方の理解と協力を求めた」という。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/unsokai/65_g_gai.html

 まさしく、急性FTAフィーバーだ。しかも、非常に重症のフィーバーだ。筆者は、今までならば農業抜きのFTAはどうせ実現できないと見過ごすことができた。今回は違う。2009年民主党マニフェストの「米国との間で自由貿易協定(FTA)の交渉を促進し、貿易・投資の自由化を進める。その際、食の安全・安定供給、食料自給率の向上、国内農業・農村の振興などを損なうことは行わない」という文言を素直に読む限り、FTAは推進するとしても、国内農業に影響を与えるような協定は結ばない、重要農産物については協定の対象外とする、と読める。しかし、今言われているのは、国内農業に影響を与える協定を前提とした上で、そういう協定を推進するために損害を受ける農業・農家に対する補償措置を拡充せよということなのだ。

 筆者は、日本の非農産品の関税率は今までの多国間交渉を通じてほとんどゼロにまで下がっているのだから、農産物を含まないFTAを日本と結ぶ相手国はあり得ないと言ってきた。例えば、EUの乗用車対日輸入関税は10%、カラーテレビ受像機なら14%だが、日本の電気機器や自動車の輸入関税率は基本的にはゼロだ。双方がその関税を撤廃してもEUには何の得もなく、日本が得するだけだ。見返りに日本が高い農畜産物関税を撤廃するのでなければ、協定が成立するはずがない。

 そういうことが分かったのだろうか。FTA推進論者は、FTAを推進しようとすれば国内農業への影響は避けられないと開き直った。それとともに、2009年民主党マニフェストにうたわれた、

 ○農山漁村を6次産業化(生産・加工・流通までを一体的に担う)し、活性化する。
 ○主要穀物等では完全自給をめざす。
 ○小規模経営の農家を含めて農業の継続を可能とし、農村環境を維持する。
 ○国土保全、水源かん養、水質浄化、温暖化ガス吸収など多面的な機能を有する農山漁村を再生する。

 という「政策目的」を持つ「戸別所得補償制度」は、EPA締結という「最高の優先順位」を持つ政策を実現するための単なる「手段」に変わってしまった。戸別所得補償制度が「農山漁村を再生する」ためのものではなく、FTAを推進するためのものだったとしたら、衆院選における農村票がここまで現与党に集まることはなかったであろう。

 それにしても、どうしてこんなことになったのか。民主党のFTA推進が「新成長戦略」の一環に位置付けられているように、FTAは必ず貿易と経済の成長に寄与するというFTA神話があるからである。EUの乗用車関税10%が廃止されればEUへの乗用車輸出が増え、それは日本の経済と雇用の成長に寄与する、そういう単純な論理が未だにマスコミと政治家 を支配している。

 しかし、WTOの2003年貿易報告は、利用可能なデータによれば、多くの地域貿易協定(FTA、EPAもその一つ)について、加盟国間の貿易が拡大したとか、域外よりも急速に拡大したという経験的証拠はないとしている。なぜそうなるのか。

 地域貿易協定には原産地規則(当該商品が協定を適用される協定国で生産されたものであることを確認し、域外国の商品が関税撤廃の恩恵に便乗することを防ぐための規則)がつきものであるが、「製品、原材料、部品、あらゆるものが大量に、頻繁に行き交う時代、域内産でるあることの立証はますます難しくなる。そのために、原産地規則は非常に複雑なものになってきた。取引業者が域内産であることを立証するためのコストは大変なものになり、関税撤廃から得る利益を超えてしまうことが多い。利益を享受するためには、メーカーも立地を変える必要に迫られる。FTAの数が増えれば、この選択もますます難しいものになる。結局、大部分の企業はFTAの利益に与ることを断念してしまう」からである。

 また、「FTAによって異なる多数の原産地規則や様々な技術・安全・環境・労働基準、様々な規制(知的所有権保護、投資・資本移動規制、サービス規制などを含め)が適用されるようになり、国際貿易は一層複雑で、コストのかかるものになる。企業は相手国ごとに異なる基準・規制に対応せねばならず、ビジネス・コストは増大するばかりだ」からである。

 意見:自由貿易協定の根本的見直しを,03.8.25

 たとえば、  EU−韓国FTAの原産地規則では、日本の最大関心品目である完成車について、付加価値で見た域外(EU、韓国以外の地域・国)原産割合が45%以内のもののみが協定の対象になる(これは未発効の韓米FTAでも同様である)。部品等の域外調達率がこれを超えれば、10%関税免除の対象にならないということだ。自動車部品ではこれは50%以内、機械・電気・電子機器では45〜50%以内とされている。

 ところで、年来の円高に苦しむ多くの日本企業は、コスト削減の最後の切り札のごとくに部品の海外調達を増やしている。たとえば、日立製作所は。平成24年度までに主要製品の生産コストを30〜40%低減させる目標に向け、部品などの海外調達率を21年度の25%から一気に50%に引き上げる方針を発表している(日立、3年間で海外調達率50%に上昇へ 生産コストのカット目指す。大手自動車メーカーも、軒並み海外部品比率の引き上げに走っている。円高が一段と進んだ今、この動きは一層加速するだろう。仮にEU−日本FTAが成立したとすれば、そして企業がその恩恵に浴そうとするならば、このようなコスト削減戦略が制約されることになる。同時に、10%関税撤廃の効果など、為替変動(円高)であっという間に吹き飛ぶレベルのものだろう。FTAよりもマクロ経済のかじ取りの方がよっぽど重要だ。

 このように大した効果も期待できないFTAの締結がもたらす農業その他の分野への損害を補償しようとすれば、おそらくは何兆円 もの財政支出が必要になる(例えば日豪FTAだけでも、それが締結されて豪州農畜産物が関税なしで日本市場に入るようになれば、北海道経済は1兆4000億円の損害を受け、9万の雇用が失われるという試算がある)。 そんな金がどこから出てくるのか。仮に財源が確保できても、農業と農村の衰退を食い止められる保証はない。まして、小麦、大豆の国内生産倍増などによる食料自給率50%達成計画など、実現できるはずがない。これがどうして「新成長戦略」なのか。[効果も影響も見極めるのを怠った財源の裏付けのない思いつき政策は世界に類例のない現政権の専売特許とはいえ、今回のFTA推進政策はあまりにひどすぎる]