農業情報研究所意見・論評・著書等紹介2014年5月26日

持田恵三『近代日本の知識人と農民』を読む 大衆的零細土地所有の「死重」を失った日本はどこへ

 最近、大先輩・持田恵三兄の『近代日本の知識人と農民』(家の光協会、平成9年6月)を読み返した。長塚節(『土』)、徳富蘆花、武者小路実篤、有島武郎、プロレタリア文学、島木健作、宮沢賢治等、作家に代表される「知識人にとって農民とは何だったのか、を明らかにしよういうのが狙い」の著者晩年の著作である。

 ただし、私の現在の現代的関心を最も強く引くのは、農地改革と高度成長によって貧農―「文字どおりに絶対的・相対的に貧しい農民という意味であるとともに、文化も含めた『古典的美徳』をもった戦前的農民という意味」―が「農協化」・「体制化」というより「消滅」し、それととも「農民文学も終焉」を迎えた戦後を扱う最終章・「農地改革と高度成長がもたらしたもの―貧農の戦後―」である。

 農地改革により、反体制運動―対地主闘争、土地獲得闘争に代表される―としての農民運動は、専ら経済的利益を追求する農協運動に変質した。高度成長により、「農民は米価をはじめとする農産物価格の値上がりよりも、兼業化により潤う」。「小作農が消滅しただけでなく、貧農も消滅したのである。経済水準の均等化は、生活様式の均等化をもたらした。つまり農家生活の都市化である」。

 そして、「この農村・農民の変貌は、日本社会全体の変貌の一部でしかない。つまり日本型大衆社会の成立である」。

 「かつて農民運動の弾圧の武器であった治安維持法は、戦後廃止された。治安維持法の目的は国体と私有財産の擁護であった。治安維持法が廃止されても、この二つの目的は大衆天皇制と大衆零細所有という形において、戦後見事に達成された。・・・・・・

 私有財産の中核は土地である。土地はポケットに入れるわけにはいかない。だから、土地所有とはその土地からの他人の排除なのである。その排除は常に、公のものであろうと私的なものであろうと、、強制力によってのみ行わfれる。治安維持法の私有財産の擁護は、直接には地主的土地所有の絶対性の擁護を意味していた。ブルジョア的所有を護った例は少ない。その土地所有の絶対性は、農地改革後の小農の零細土地所有の絶対性に引き継がれていく。この大衆的零細土地所有(農地ばかりではなく、都市の零細宅地も含めて)こそ、戦後日本の私的財産制の基盤であると同時に、戦後民主主義の基盤たる私権の絶対性を代表する。かくて土地所有は、戦前の地主制とは別の意味で戦後日本の死重となったのである」。

 安倍晋三政府はいま、戦後の日本の「死重」を自ら投げ捨てようとしている。兼業農家を一層し、「小農の零細土地所有」を「企業の農地所有」に変え、「自民党農林議員と農林省の連携を前提とした」「農協運動」を「改革」の敵対勢力以外の何者でもないものに位置づけようとしている。農林族議員そのものが消滅に向っている。

 「死重」を失った日本はどこへ行く?治安維持法?いや、そんな心配は無用、俺自身が「死重」だ(安倍首相)。実際、農民、労働者、学生・若者、今やすべてが、すべての「抵抗力」を失っているように見える。むろん、農民文学もなければ、プロレタリア文学もない。