農業情報研究所意見・論評・著書等紹介2013914

日本政治の翼賛化を加速するネット・スマホ文化 日本人、思いやり文化はどこへ行く

  「時事通信が6〜9日に実施した9月の世論調査によると、安倍内閣の支持率は前月比7.1ポイント増の61.3%となり、5月以来4カ月ぶりに60%台を回復した。不支持率は同8.8ポイント減の17.9%だった。調査を始めた池田内閣以降、支持率が落ち込んだ後に6割台に回復した内閣は初めて。
 各種経済指標が堅調なことに加え、調査期間中に開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会に安倍晋首相が出席し、2020年夏季五輪の東京開催が決まったことが影響したとみられる」とのことである。

 内閣支持61%、異例の回復=五輪招致が影響−時事世論調査 時事ドットコム 13.9.13

 日本政治の翼賛化がはっきり見て取られる。恐ろしいことである。その背景にあるのは、バブル崩壊後の「失われた20年」の間に若者の心にすっか定着した「閉塞感」、「心のデフレ」であろう。だからこそ、2020年五輪は「15年間続いてきたデフレを払拭する起爆剤になる」(安倍首相)とか、「日本人が心のデフレを取り払い、この国に自信を取り戻す力になる」(猪木東京都知事)といったフレーズが大うけになるのだろう。

 しかし、これほどの翼賛化急進はそれだけで説明できるのだろうか。こうしたフレーズを無批判に、大々的に報じまくるマスコミがその一翼を担っていることは間違いないだろう。そして、人々の目、心を都合のいい夢の世界だけに誘い、現実世界、周りに現在する人々からそむけさせ、果ては人類、日本人の来し方行く末を沈思黙考する時間・能力さえを人々さえ奪ってしまうネット分化、というよりツイッター文化(自分の考えの根拠を示すことなく、自分が誰であるかも明かすことなく、ただ思いついたことをつぶやく)、携帯・スマホ文化が、恐らくはそれ以上に大きな役割を演じているように思われる。

 今日の東京新聞「こちら特報部」に掲載された記事「ネットで何が・・・ 非難の渦に消される異論」(25面)が、こうしたネット文化の恐ろしい役割を余すことなく描き出している。以下はその再掲である。

 ”IOC総会で東京が2020年の五輪開催地に選ばれた瞬間、ネット上でも喜びの声が多数書き込まれた。

 冷めた人もいる。スポーツに興味がない人。混雑が嫌な人。東日本大震災への関心が薄れ、復興の遅れを懸念する人。そして、原発からの汚染水が漏れているのに、安倍晋三首相が「敷地内に完全にブロックされている」と断言したことに異議を唱える人だ。

 脱原発を掲げて7月の参院選で初当選した山本太郎氏はブログで、「仮設住宅で暮らしている人々に、選手村くらい心地よい住居提供しろよ」と書いた。狭く、夏は暑くて冬寒い仮設暮らしの人がいまだいることを忘れるな、と指摘したのだ。

 ネット上でこうした発言をすると、「非国民」、「日本人でない」という扱いになる。「祝賀ムードに水を差すな」ということだ。

 ツイッターではただちに、「日本人なら東京五輪に反対する理由はないよな」(農業情報研究所どうして?)「『東京五輪は不必要』 『原発を解決せずして何が五輪か』(農業情報研究所まさに正論だ)とか言っている人は、東京五輪、見るなよ!(農業情報研究所特に見たいとは思わないし、多分、私はこの世にいないだろう)非国民め・・・・・・・」などのつぶやきがあった。

 「非国民扱いは、テレビ番組にも向かう。出演者の評論家大宅映子氏が「イスタンブールの方がよかった」と発言した「サンデーモーニング」(TBS系)は「反日」とののしられ、番組は五輪快哉決定に意気消沈し、「お通夜状態」とからかわれた。実際は、そんな状態ではなかったのだが。

 また、メディアの取材で、被災地の人が「五輪どころではない」といった趣旨の発言をしたことに、こんな意見が書き込まれた。

 「被災者は一体何様のつもりか!(農業情報研究所そういう当人は何様のつもりか)いつまでも同情して欲しいのか?国民が一丸となって (農業情報研究所―私は一丸になどなっていない)招致したオリンピックをけなすとは被災者は非国民か?(農業情報研究所国民が一丸となって目指すべきは復興ではないのか)。

 あまりの暴言。被災地から離れた首都・東京が浮かれるのを見て「蚊帳の外にいる」と、自らの生活が不安になる気持ちを理解できないのだろうか。

 日ごろから、福島の人や米軍基地に反発する人を「非国民」と呼ぶことが少なくないが、ネット上では、大きな流れができつつあるとき、異論は徹底的につぶす傾向が強固になる。

 「日本が一つになろう」という時、「ちょっと待って・・・私たちのことも考えて」という声は、非難の渦にかき消されてしまうのだ。(ニュースサイト編集者・中川淳一郎) 

 静岡文化芸術大の熊倉功夫学長は、「五輪は日本の歴史や文化を発信していくいい機会だ」と言っているそうである。大和総研の熊谷亮丸氏、「五倫を通し、国民がまじめで勤勉、おもてなしの心とい日本の良さを再認識することで新たなプライドを持つことができる」と期待しているそうである(東京五輪決定 2020年への約束C 「心のデフレ」脱却を 東京新聞 13.9.14 朝刊1面)。

 そんな歴史や文化、今やどこに生き残っているのかと問いたい。日本人がエコノミック・アニマルと言われた時代、働き蜂・ワーカーホリックの日本人との競争のためにバカンスや息抜きの昼食やコーヒー・ティータイムの時間まで奪われた欧米のサラリーマンが憧れ、取り戻そうとした単なる経済を超えたかつての文化、市場原理・競争原理だけに支配される以前の農業と農村がはぐくんだかつての日本文化、そんなものは、今やすっかり社会の片隅に追いやられている。急増しつつあり、なにか手を打たなければ日本人の大部分を占めるに至るかもしれないスマホ中毒患者は、そんなものには見向きもしない。

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