余乳問題 日本の末路を予兆ー北海道からの最近の現場報告の紹介を兼ねて

農業情報研究所(WAPIC)

06.5.25

 本日付の日本農業新聞の「私の紙面批評」で、北見消費者協会会長の山川尚子氏がJAグループ北海道の生乳1000トン廃棄のニュースに触れ、「酪農家の知人は午前6時から搾乳の仕事を始めて、終えるのは午後7時すぎ。1日13時間労働が365日続きます」と、「農業者と消費者の交流」の推進による牛乳消費拡大を訴えている。これを見て、筆者は、北海道酪農はもちろん、日本の未来も絶望の感を深めた。

 長年続けられてきた米消費拡大運動にもかかわらず、米の消費は減退の一途を辿ってきた。牛乳消費拡大運動運動もなかったわけではない。それでも生乳1000トンの廃棄を回避することはできなかった。狂牛病を契機に、構造改革路線の農業政策がもたらした生産構造の見直しを繰り返し主張したきた北海道在住のルポライター・滝川康治氏は、「酪農業界は最終ユーザーの動向を軽視してきたのではないか」、「時代は変わり、少子・高齢化社会を迎えた。生乳はもともと子牛の飲み物。動物の一員である人間もまた、大人になり、老いるなかで、牛乳消費が減っていくのは自然の流れともいえる。日本の一人当たり牛乳消費量は年間十リットル弱で欧米諸国の半分程度にとどまっている。が生乳出荷量に占める飲用乳の比率は五九%と、欧米諸国を抜いて世界のトップである。・・・こと牛乳に限ると消費が大きく伸びることは想定できない」と指摘する(「生乳の生産調整が問うもの」『北方ジャーナル』2006年6月号、41頁)。

 このようにもともと生乳消費減少が自然な流れである上に、札幌市で世界のジャガイモ情報提供活動を展開する山道氏(ウエブ:http://www.potatonews.jp/)は、「食品の選択の余地がある市場においては、ある意味では安いだけの商品は最も魅力のない商品です。魅力のある商品を提供することが第一義であって、その中において生産原価の低減を推し進めることは利益拡大につながります。ここにおいての生産原価の低減は、安い物を量産する政策とは本質を異にするもの」と筆者に書き送ってきた。彼によれば、生乳廃棄に追い込んだ牛乳消費の減退は規模拡大と生産費の削減を最優先してきた農業政策がもたらした必然的帰結にすぎない。このような政策は、まさに魅力のない安い商品を量産する政策にほかならない。従って、生乳廃棄の真の原因は、北海道酪農がこような政策を忠実に実行、構造改革の先頭を走ってきたことにある。

 滝川氏によれば、ホクレンは、「今後、大いに希望が持てるのはナチュラルチーズと生クリーム。・・・数年後には美味しい道産チーズが市場を席巻し、停滞から脱することができる」、「『北海道の大地が生んだ自然そのものの産品』と消費者に理解していただくことが重要」と、「魅力ある商品」の販売戦略を描いているという。しかし、滝川氏は、「『自然そのものの産品』を実現するには、輸入穀物を山ほど与え、わずか二産ほどで牛をボロボロにする飼い方をしたり、あふれた糞尿をまき散らすような生産のあり方を根本から変える必要がある。賢い消費者から道産の乳製品に対する支持を得ることは難しいだろう」と言う。

 規模拡大・生産費削減を最重要視して作り上げられた現在の生産構造では、「魅力ある商品」も生産できない。そのためには、輸入穀物に依存し[これは食料自給率を低下させる最大の要因でもある]、牛をボロボロにし、狂牛病を生み出し、食品安全を脅かし、環境を汚染し続ける生産構造自体を改めねばならない。このような生産構造は、「1日13時間労働」の元凶でもある。消費拡大の訴えは、生産者の味方のごとき顔をしながら、生産者を「1日13時間労働」から決して解放しない。それは、一定の金銭的利益の提供と引き換えに、生産者の過労を正当化するだけの主張にすぎない。消費者のこのような姿勢が一向に変わる気配がないことを確認、筆者は倫理的怒りとともに、酪農はもとより日本の将来への絶望さえ感じたのである。

 共済組合組織の中で40年近く乳牛の診療を続け、2004年に定年退職された北海道別海町在住の獣医師・岡井健氏『そりゃないよ獣医さんー酪農の現場から食と農を問う』(新風舎、05年12月)を出版された。

 この本の帯には、「BSE、糞尿問題、飼料自給率の低下、離農する酪農家の増加・・・・・・日本の酪農には問題が山積みだ!現場を知っているからこそ書ける本当の話がここにある。獣医師だからこそ書ける面白い裏話がここにある」と書かれている。

 本のタイトルとなった「そりゃないよ獣医さん」は、繁殖障害・産後の腰抜け・産褥熱・後産停滞・脂肪肝・四変(これらの言葉の意味は本書を参照されたい)と散々手間とカネをかけさせたあげく、最後は膝蓋脱臼で、今度も「直るのか」と聞かれて「直りません」と答えたときの農家の「父さん」の言葉だ。

 しかし、著者が何よりも伝えたかったのは 、生態系を考慮する「農業の本来の在り方をこの国に取り戻すことでしか未来はないと私には思えてならない」ということだ。著者は、「健全な農地とは、生態系を考慮する農法がとられている農地である。生態系を考慮する農法とは、持続可能な農法のことである。毎年の生産量を増やすことではなく、来年もその次の年もさらに何年にも亙って、同じように自然の恵みに左右されながらも、生産できる農法のことである。健全な食物とは、そうした農地、農法によって収穫される農産物のことである。健全な農民とは、そうした農産物を生産する農家のことである」と言う。ところが、彼が診療をしてきた40年の間に、これらすべてが失われてしまった。

 お贈り頂いたこの本に挟まれていた手紙には次のように書かれている。

 「この間、日本の国を最底辺の最僻地から見つめてまいりました。この40年の間にわが国農村は大きく変貌しました。その中でも、特に畜産は信じられない変貌です。私の住む北海道の東の隅っこである根室地方は、日本で最も冷涼で生産性が低く草しか取れず、ここの牛たちは青草を食べて乳を生産していると誰もが思っていると思います。ところが実態は、牛たちは乳房炎や脂肪肝や産後の諸疾患に喘ぎながら、生産量を大きく伸ばして寿命を削っています。元々、規模の大きな酪農に、穀物販売業者が大量に売り込むことに成功したのです。

 酪農に限らず畜産の生産量を伸ばして多頭数飼育を可能にしたのは、アメリカの穀物です。戦後我々は、パンを食べないとアホになる脚気になると散々言われてきました。それがアメリカ穀物協会の戦略であったことは知られるところですが、更に大きく成功したのが家畜に穀物を大量に与えるシステムである。10億人が飢える地上に、肥満に苦しみながらも大量に穀物を食べて懸命に生産する家畜の存在は、わが国の食料自給率の低下に貢献しています。修理する獣医師も大変です。農家も労働の質と量が格段に増加して、儲けてはいるものの過労に苦しんでいます。

 そんなことを、臨床獣医師の立場からツラツラと書いてみました。酪農家や獣医師たちは勿論のこと、多くの消費者に読んでもらいたくて本にしました」。

 著書は、「食料問題、環境問題、高齢化、少子化社会など今世紀大きなテーマになるものは、どれも農村にその解答がある。先人が長年にわたって克服してきた智恵と生きがいと共存してきた環境が農村にある。農村が豊かになり、健全な食料を心おきなく農民が生産することが、農村を健全にし、それらの解決になる」(6頁)、「食料を放棄し、環境を破壊し、理性や智恵を失い、自主性を求めず、山野を荒廃させ、何にでも金銭評価を求める国になってしまった国に、どんな未来が訪れるのであろうか」と言う。

 しかし、このような主張に耳を傾ける人はほとんどいない。滝川氏や岡井氏が活躍する北海道の消費者団体さえそうなのだ。岡井氏は農業の未来を有機農業に託そうとしても、「消費者が価格を機軸に動いている限り、有機農業が救うことはないのではないか」(219頁)、「酪農家に経済的に大きな負担がかかる」有機酪農に補助金を出すデンマークの現実を提示すると「ほとんどの方がこのような支援があ るとオーガニックに切り替えてもよいと返事が返ってくる。多くの酪農家は、規模拡大で過重労働の中、酪農業の今のあり方に疑問を抱いている」が(220-221頁)、わが国政府にそんなつもりはまったくなく、「有機農産物の認証制度の導入で、次第に人件費の安い国々の輸入食品が国内産品を数量で上回るようになっている」(218頁)有様だ。

 「多くの識者は食糧の自給率の低下や教育の閉塞感、それに社会の異常な事件、国家の不条理に破局の予兆を冷静に指摘する。経済成長が止まっていながらも、生活水準を落とそうとしない。この国は、経済発展を止めてまで、食糧の自給を向上させる決断もつ勇気を持つことはないだろう。右肩上がりの経済成長しか、選択肢を持ち合わせていない。

 この国は、ピカドン(原子爆弾)を二度も落され百万人の屍を目の当たりにして、やっと破局を受け入れた国である。経済至上主義は究極の破局の縁に立たなければ、基本的には変革できないのではないか」(233頁)。

 だが、少なくとも、穀物を大量に与える酪農の破局は近いかもしれない。中国やインドの食肉需要の増加に伴う飼料穀物輸入増加、そしてバイオ燃料製造に使われる穀物の世界的急増傾向は、今までのような飼料用穀物の潤沢な輸入を不可能にする日が近づきつつあること を予感させる。

 なお、岡井氏の主張に関しては同氏のホームページも参照されたい⇒http://www.creatorsworld.net/okai/