エルドラド

 

 

 扉を開けた瞬間、俺の時間が凍てついた。

 驚愕と共に去来する後悔の念は、次第に恐怖へと変貌を遂げ俺の思考を麻痺させる。あまりにも迂闊だった自分の行動を鑑み、この失態を反省の肥やしとして認めるまで、果たしてどれだけの歳月を要するものか。

 喉がごくりと鳴る。

 何か言おうとしたが、口の中が異常に乾いていた。

 脳が死んでいる。

 死んでいるから考えない。

 このまま腐敗したら、どれほど楽だろう。

 事実、心臓が飛び跳ねたかもしれない。衝撃的な光景であった。

 目の前で便座に座る可憐は、ちょうどトイレットペーパーに手を掛けたところだった。

 大きく見開いた瞳に、俺の瞳が写る。

 どちらも動かない。

 どちらも動けない。

 直感した。

 先に動いたヤツが負ける。

 ……。

 ……。

 ……そうなのか?

 数秒後、二人の時間が再び流れ出した。

 「そこまでだっ、可憐!!」

 俺の恫喝に、可憐が小さく身をすくめる。

 ちっ、こうなったら仕方がない。

 ノックをし忘れた俺にも非があるような気もするが、それはこっちに置いといて、何とかこの場を乗り切ってみせるぜ。

 そう、過ぎた事は忘れよう。問題なのは、今を如何に言い逃れるかだっ!!(←自分勝手)

 「フっ……他の奴らはごまかせても、俺はそうは行かないぜ」

 「え? ええ? ……お兄ちゃん?」

 まだ状況が掴めないのか、可憐が呆然と口をぱくぱくさせる。

 そんな呆けた妹の表情に、俺は一つの確信を得た。

 ──このまま行けるっ!!

 ここで身をひるがえせば、俺は晴れて自由の身だ。

 あぁ、自由……。

 何て美しい響きか。人は戒律を求め自らを戒める。しかし、それは人間が人間たる意義を得る事に、何ら束縛を必要としない事に他ならない。

 即ち、自由だ!!

 Don't touch the candles!!(訳:ロウソクに触ってはいけません)

 だが、悪魔の計略は、ここに来て俺の解放を拒みやがった。

 廊下の奥から、ご機嫌な鼻歌が聞こえるではないか!?

 ちっ、どうする? 

 何者か気配だけでは判別しかねるが、まだ俺には気づいていないようだ。俺の縮地ならどうにでもなる間合いだぜ。敵は自分が斬られたと知らずに屍を晒すだろう。

 って、晒してどうするよ!?

 ……。

 ……。

 えぇい、やむおえん!!

 俺は、疾風の如き速さと、流星の如き輝きでもってトイレに押し入った。(←かなり迷惑です)

 ドアを背中で閉め、息を殺し廊下の気配を探る。

 間もなく、

 「♪〜…………愛してるよ…………その生首を…………美しすぎる死体を…………♪」

 千影だった。

 よかった……。

 斬りつけないで、ホント、よかった。

 自分のカンと判断の鋭さに、ほっと胸を撫で下ろす。

 「♪〜…………むごたらしいきみの死骸…………ボクは求め続ける…………腐り始めた美しきあなたを…………。」

 ふと、歌と共に、歩みが止まる。

 トイレの前だ。

 ……やっこさん、感づきやがったか!?

 何が起きてもいいよう気配を殺す。嫌な汗が額から鼻筋を通って流れた。自然と、タイトスーツの懐に手が伸びる。護身用のアーミーナイフが、今は頼りなく感じるぜ。

 そして……。

 「Lucifer…………『病める薔薇、或いは、癒されない傷口』より…………『悪夢の迷宮で悪魔は囁く』…………。」

 と、俺が背にする扉へ曲名を放ち、再び、歩き出す。

 何故か、次ぎに口ずさんだ歌は、トニー谷の『さいざんすマンボ』だった。

 ふぅ……何がなんやら理解力を要するが、どうやら危機は去ったようだ。

 額の汗を拭い、扉に寄りかかって振り向く。

 固まったままの可憐と目が合った。

 さっきと一寸も違わぬ姿勢。トイレットペーパーに手を掛けた状態だ。

 ふと、視線を下げる。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ちょっと考え、視線を上げた。

 可憐の戸惑った、というよりも呆然とした顔と見つめ合う。心なしか目が泳いでる。

 再び、視線を下げた。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……ふむ。

 「おまえ……歳の割には、全然無いのな」

 ビクっ、と小さな肩が震えた。

 げっ!? 何か泣きそうじゃんかよ!?

 「い、いや、ほら、まだ成長期だろ!? これからだよ、これから!! 大丈夫、そのウチ、ちゃんと生えてくるって」

 「…………本当ですか、お兄ちゃん?」

 「嘘言っても仕方がないだろ?」

 「でも……お兄ちゃん……こんな子供っぽいの、嫌いでしょ……?」

 「守備範囲だ」

 親指をぐっと上げ、歯を輝かせる。

 ……。

 ……。

 ……逸脱してしまった。

 今、何か、人としてとてつもなく逸脱してしまった気がする……。

 そして、可憐は、

 「…………くすん、くすん」

 「な、泣くなっ!!」

 我ながら無茶な注文だった。

 「ほ、ほら、大丈夫だってっ!! かつて、こんなコトを言った人だって居たじゃないか!!」

 

 

 

 

 

不揮発性物質の溶液の蒸気圧は、溶液の濃度に比例して下がり、

その割合は溶質の分子数を溶液全体の分子数で割ったものと等しい。

〜 ラウール

 

 

 

 

 

 ……。

 ……。

 「ふぇ〜ん……可憐、よくわかりません〜……。」

 何の事はない。

 一番、錯乱しているのは俺だった。

 「つ、つまりな、これは、液体の濃度が濃いとだな……。」

 「あ、あてつけ!? お兄ちゃん、それは、可憐がまだお水を流していない事へのあてつけなんですか!?」

 「さっさと流せよ!!」

 「あの、いいんですか……?」

 「何?」

 「で、ですから、見たり、嗅いだりしなくて……。」

 「この上、何を背負わせようってんだ、おのれは!?」

 「だ、だって、すっごく恥ずかしいですけど、可憐……お兄ちゃんにだったら……。」

 「却下だ!!」

 「きゃっ……あ、あの、ごめんなさい……。」

 「あ、いや、謝るのは俺の方なんだが……とりあえず流しとけ」

 「あの、それとお兄ちゃん……。」

 「ん?」

 「可憐……え、えぇと、その……ほら……ね?」

 顔を赤らめ、もじもじしやがる。

 「何だ? まだ終わってなかったとかいうオチか?」

 「え? あ、ごめんなさい、全部終わってます……じゃなくて……まだ、なの……。」

 「何が?」

 「可憐……まだ、拭いてないんです……だから……もうっ!! あっち向いていて下さい、お兄ちゃん!!」

 

 

 

 「作戦の確認、よろしいか?」

 「はい、お兄ちゃん、バッチリです」

 真剣な瞳で頷く可憐。

 我が家は、トイレにも空調システムがいき届いている為、幸いにして匂いは籠もらなかった。

 それでも、気恥ずかしさだけは払拭できず、思わず先程まで可憐が腰を下ろしていた便座に目がいってしまう。

 人柱に拳がめり込みました、はい。

 「もう!! お兄ちゃん!!」

 と、流石に眉をつり上げるマイ・シスター。

 「わ、悪かった……つい、な」

 「そんな姑息な手段をこうじるくらいなら、いっその事、力ずくで来て下さい!!」

 「そっちか!? そっちに来るか!?」

 「可憐……本当は、死んじゃうかって思うくらい、お胸がとっくんとっくんて鳴ってたんだよ? ……でも、お兄ちゃんが、どうしても可憐の花園にケダモノの如くむしゃぶりつきたいって言うのなら、可憐は……可憐は…………きゃっ、可憐ったらダイタン!!」

 身悶えしながら飛び跳ねます。

 えぇ、飛び跳ねます……。

 いっその事、俺も飛び跳ねたくなったが、ここはぐっと堪えよう。

 「時間が惜しい。このまま決行するぞ」

 「はい、可憐なら、いつでも出れます……お外の気配はどうですか?」

 「2メートル以内はグリーンだ。そっから先は保安部へ照合する。現状維持のまま待機しろ」

 妹が無言で頷くと、俺は置き溜めのトイレットペーパーの影から、備え付けのワイヤレス・インターカムを取り出した。

 耳に宛うとヘッドフォンからメカ鈴凛のマシンボイスが流れる。最近、ますますクオリティの高くなった我が家の保安部である。

 『感度良好です、アニキ様。緊急回線とは、如何なされました?』

 「最優先での確認事項が発生した。屋敷内のスキャニングだが、これ、鈴凛はモニターしてるのか?」

 『現在、他の回線へアクセスしております。ですが、この緊急事態の場繋ぎに設置されたラインでは、情報のリークも心配されます。デリケートな判断を要するのでしたら、一度、こちらへご足労頂いた方がよろしいかと存じますが?』

 「リアルタイムで開かれてなければいい。こちらの現在地は掴めるな?」

 『はい』

 「ここへのルートだ。生存者の有無を知りたい」

 『範囲は?』

 「おまえの通常歩幅で1分以内に到達」

 『現時点での適合者は確認できません』

 「それ以外は?」

 『今、千影様の魔法陣へ照会しましたが、付近を浮遊する霊体、精霊等も皆無。……でも、これってどのような原理になっているのでしょう?』

 「俺に聞くなよ……。」

 どうも最近、メカ鈴凛だけ千影の魔法陣に遠隔アクセスの権限を与えられたらしい。

 千影の話しでは、新たなる魔法工学の第一歩を踏み出したとの事だが……。

 ……。

 ……。

 ……いきなり踏み外してやしないか?

 いや、まぁいい。

 無知であることは、たとえ罪であろうとも必ずしも悪であるとは限らない。

 謎は謎のままの方が時には美しくもある。

 要はアレだ。

 怖くて追求出来なかった。……悪かったな。

 「とりあえずの現状は了解した。引き続きモニターを任せるがよろしいか?」

 『承知致しました。マスターへは?』

 「察知され次第、本回線を強制遮断。平行してライン周りのシステム異常を発令」

 『偽装するのですね』

 「いっその事、そっちで騒ぎを起こしてもらう方が早い気もするが」

 『小笠原あたりに侵入してメインの発電装置をフルパワーで振り回しましょうか?』

 「誰がんな騒ぎを起こせと言った!? 当面、屋敷内だけで充分だ!!」

 『では、地下の地対地兵装のセフティを解除した後、暴走させて……。』

 「だから暴走から離れろよ!!」

 『す、すみません……ぐすん……私は、ただアニキ様に喜んで頂きたくて……。』

 俺、なんか勘違いされてる?

 「あーもう、泣くな。わかった、気持ちだけ有り難く受けとっとくから」

 『ぐすん……気持ちだけでは嫌です……。』

 「何?」

 『私は、その……とかく男性は苦手なのですが……アニキ様にでしたら、私の全てを……。』

 「捧げるな!!」

 こんなんか?

 結局、我が家はこんなんばっかか?

 「頼むから今は監視の方を優先してくれよ……。」

 『あ、はい、モニターは継続して行います。お任せ下さい』

 本当に大丈夫なのだろうか……?

 まぁ、不安を感じ無くもないが、今は頼らざる得まい。

 「オッケー、宜しくな」

 俺はワイヤレス・インカムをヘッドセットごと頭へはめ、妹へ振り向いた。

 「聞いての通りだ。行けるな?」

 「はい、お兄ちゃん!! とにかく走り抜ければいいんですね?」

 「おうよ。当面の目的は現在地より距離を取ることだ。安全圏まで到達すれば君の潔癖は保証されるだろう」

 「あ、それなら心配いりません。可憐、お兄ちゃんにとことんまで見られて、すっかりけがれた女になっちゃいました!!」

 「…………て、ヲイ」

 「えへへ……それじゃぁ、可憐、しっぽりと頑張っちゃいます!!」

 可愛らしくガッツポーズなんかキメちゃって、一体、コイツは何を頑張ろうというのだろう……。

 いや、とりあえず、意気込みだけは評価しよう。

 「じゃ、段取り通りな」

 「はい!! 可憐にオ・マ・カ・セです!!」

 結局、コイツも不安だった。

 「あ、でもお兄ちゃんはどうするんですか?」

 「俺か? 俺は……。」

 答えようとした時、不意に、脳裏に昔の戦友達の顔が浮かんだ。

 どいつもこいつも馬鹿野郎で、トンチキで、そして…………底抜けにいい奴らだったな。

 赤く染まる虚空を背にし、消えていった奴ら。

 いつかは俺も追いつけるのだろうか……。

 「可憐、おまえは強い子だ。一人で行けるな?」

 「え……お兄ちゃん?」

 不安を湛えた瞳が、俺を見つめる。

 「俺には、まだやるべき事がある……達者でやれ、妹よ」

 「そんな!! だ、駄目です!! 可憐、お兄ちゃんを残して一人で逃げる事なんて出来ません!!」

 「んな泣きそうな顔するなって」

 「でも、でも可憐……。」

 「バカだな。俺が今まで、遠くへ行ったきり帰って来なかった事なんてあるか?」

 優しく微笑んでやると、涙を溜めたまま、彼女は顔を横に振った。

 「だろ? 今度だって、ちゃぁんとお前らの所に帰ってくるさ。でもな、その前にやらなくちゃならない事があるんだ。……わかってくれ、可憐。男ってのは不器用な奴でな、絶対に逃げれない瞬間ってのがいつかは訪れるもんなんだ。今が……まぁ、その時なんだよ。だから、せめてお前だけでも……。」

 最後のセリフは言えなかった。

 可憐が倒れかかるように抱きついてきたからだ。

 細い肩が、小さく嗚咽に震えていた。それをそっと抱き寄せる。

 小さな妹。

 綺麗な妹。

 清楚で、可愛くて……それは即ち、

 

 

 ──可憐。

 

 

 彼女の本当の名を、今、知ったような気がした。

 「お兄ちゃん……可憐……可憐、待っているから……ずっとずっとお兄ちゃんだけを待っているから……。」

 「案ずるな。兄は不死身だ」

 そっと涙を拭いてやる。

 しゃっくりを上げながら、弱々しくも……それでも可憐は「うん」と頷いた。

 これだ。

 この繋がりだ。

 こいつらとの絆がある限り、きっと俺は死ねない体なんだろうな。

 馬鹿な考えがふと浮かんじまった。

 「さぁ、行け。振り向くんじゃねぇぞ」

 「はい」

 小さく答えると、可憐はドアへと身をひるがえした。

 ノブに手がかかる。

 ゆっくりと回す……途中で止まった。

 「どうした?」

 「お兄ちゃん……。」

 振り向いた。

 妹の女らしい顔立ちに、一瞬、どきりとする。ったく、いつの間にか一人前の女のツラになりやがって。

 「ご武運を」

 短く言うと、背中を預けていたドアに体重をかけ、あっという間に廊下へ姿を消した。

 しばし呆然と見送っていた俺だが、やるべき事を思い出し、便器へと振り向いた。

 ……っとにもう、所用を済ませるのに、どんだけ手間がかかるんだよ、我が家は。

 ここへ訪れた本当の目的を果たすべく、ジッパーに手を掛けた時だ。

 びったーん、と派手な音が響きやがる。

 慌てて廊下へ飛び出すと……床に顔面からダイブしている可憐を発見。

 スカートから伸びる細い脚には、白い布きれが絡まっていた。どうやらショーツを上げるのを忘れたらしい。アンビリーバボな奴め。

 「だ、大丈夫か?」

 と、妹に駆け寄ろうとした時、はめたままのヘッドセットが悲鳴を上げた。

 『アニキ様!! 三時の方向、高速で接近中の熱源、一!! 回避して下さい!!』

 「何!?」

 嫌な気配を感じ身を屈めた瞬間、小さな竜巻が俺の頭上をかすめやがる。ちっ、危機一髪だぜ。

 ……って、今度は何事だ!?

 見ると、竜巻は瞬時に一人の少女になった。

 「きゃーーー、お兄様!! ベアクローが二本で200万パワー!! 三倍の回転を加えれば400万×3で1200万パワーになるのよ!!」

 ……俺、知らずのウチに命の危機だった?

 「あぁん、それってつまりはアレよね。『咲耶、一本だけじゃ足りないだろ? もう一本増やしてごらん』って言いたいのよね、お兄様!!」

 「な、何をですか!?」

 「そう、お兄様は何もせずに私の醜態を冷めた眼差しで見つめるんだわ……あぁ、いけないわ。私、こんなはしたない姿をお兄様に見られて……でも、もうこの指が止まらないの!!」

 ……。

 ……。

 ……おまえ、実は咲耶じゃないだろ?

 できれば、よく似た他人であってほしかった。

 「事情は良くわからんが、頑張れよ……。」

 大雑把に激励し、とりあえず身をひるがえすと、白い指が俺の肩を捕まえた。

 って、いつの間に間合いを詰めやがった!?

 「ところでお兄様? 私、とても疑問に思う事があるの……ねぇ、答えて下さらない?」

 つつ〜、と繊指が首筋をなぞる。うわ、こそばゆぅ……。い、いや、負けてたまるかってんだ。

 「残念だが兄は忙しい。これからオメルク人と貿易摩擦について討議せねばならんのだ。おぉっ!? こうしてる間にも、チチカカ瑚での議会の時間じゃないか!!」

 と、俺は眉を寄せ、ありもしない腕時計に目を落とした。

 「残念だがこの続きは、ほら、あれだ、黄道十二宮がアクエリアスの時代になるとか、ならないとか……ま、そんな感じの時代になってからだな。じゃ、そういう事で」

 しゅた、と手を挙げ去ろうとしたら、

 「答えて、く・だ・さ・ら・な・いっ」

 肩の手に力が込められた。

 ぼきっ、といい音が響いたのは気のせいだろうか……。というより、気のせいであってほしい。

 いやマジで。

 「な、なんなりと……。」

 結局、負けるんかい、俺。

 「ねぇ、お兄様……これは一体、どういう訳なのかしら?」

 床にうずくまる可憐を指さす。

 俺はむしろ、お前がどういう訳なのか聞きたいぞ?

 それで、

 「……くすん……可憐……可憐、お兄ちゃんに無理矢理……汚されてしまいました……。」

 とか言いながら泣いてるし!?

 ちゅーか、いい加減、パンツ履けって!!

 「可憐……初めてだったのに………それはもう、奥の奥まで見られて、恥ずかしさのあまり死んじゃいそうです……。」

 「もう言うな!! それ以上は、お兄ちゃんが死んじゃいそうだから!!」

 「大丈夫よ、お兄様」

 と長女は穏やかな笑顔を浮かべた。

 「仇はきっと取って上げるから。さぁ、新しい旅立ちを祝福しましょう!!」

 俺の肩を鷲掴みにしながら、というか、俺をずるずる引きずりながら彼女は旅立とうとしていた。人生の門出である。

 「って、どこへ!?」

 「そんなの決まっているじゃない」

 とニコリと笑い、

 「シャンバラ……そう、それは二人だけのエルドラド!!」

 咲耶さんは夢見心地で、彼女の言うところの1200万パワーで俺を引きずって行きました。

 目的地は、何故かトイレのドアです……って、ホントに色んな意味でエルドラドかよ!?

 っていうか、黄金郷と桃源郷は別物だと思うぞ? そりゃ、西王母も御仏の教えを説くっちゅーねん。

 「お兄ちゃん……無事、帰って来れますように、可憐、お祈りしていますから」

 胸の前で小さく手を組む少女。

 祈る暇があったら、パンツ履けよ。

 「……でも、可憐……お兄ちゃんがどんな姿になっても、可憐の心はお兄ちゃんだけのものです……。」

 可憐。

 いいから君はちょっと待て。

 「ふふふ、お兄様にそんな趣味があっただなんて……あぁん、どうしてもっと早く言って下さらなかったの!!」

 「…………いや、もう、突っ込む気にもなれんわ」

 「きゃーーー、お兄様ったら!! 突っ込むだなんてワイルド!!」

 むしろ、コイツの脳がワイルドだった……。

 ああ、そうこうしてる間にトイレのドアが開くじゃんかよ。

 決めなくちゃならんのか?

 俺、覚悟を決めなくちゃならんのか? ん?

 っていうか、これって強制イベント!?

 い、いや、何にせよ、最低限これだけでは伝えねば……!!

 「か、可憐、最後に伝えてくれ!! 兄は、立派に抵抗したと!! 戦ったと!! そして、人としての尊厳を……!!」

(バタンっ)

 無情にも、最期のセリフは閉まるドアに遮られた。

 何の変哲の無いトイレのドア……今の俺には、黄泉への扉に匹敵した。

 

 

 

 後日談。

 世の中には不思議な現象がある。

 それは地域的なものであったり、或いは民族的な風習の場合もあるが、今回に限っては限定された領域での出来事だ。

 即ち、我が家だ。

 そして、それは酷く限定されたカテゴライズと言えよう。

 「あ、あにぃ……ボクね、これからちょっと……おトイレ……かな」

 又は、

 「兄君さま……ワタクシ、これより少々、ご不浄など……(ぽぽっ)」

 と言った具合に、何故かさりげなく報告する妹が増えたのだ。

 ……。

 ……。

 おまえら、一体、俺に何を期待してるんだ?

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

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