農業情報研究所意見・論評・著書等紹介2012年7月18日

「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」が、生き生きとしたふるさとの生活は奪われた

 発電量に占める将来の原発比率について国民の意見を聴取する(と称する)名古屋市の意見聴取会で、中電原子力部に勤務する課長は、原発の新増設を前提とする20〜25%案に賛成の立場を表明、「35%案、45%案があれば選択していた」とも述べたそうである。「原発をなくせば経済や消費が落ち込み、日本が衰退する」というのがその理由で、安全性への懸念については、東京電力福島第一原発事故では「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と一蹴したそうだ(また電力社員が発言名古屋聴取会 東京新聞 12.7.17)。

 この御仁、原発事故が避難区域のみならず、福島県を中心とする広大な地域に住む人びとから「ふるさと」を奪い、広大な山野・河川・海の取り返しのつかない(除染不能な)汚染によって、これら地域に住む人びと、「特に日本の食を支えてきた人びと(生産者)の生業(なりわい)に、どんな名医も直せそうにない深い傷」(北林寿信 原発災害による農家の痛手はどうしたら癒せるのか 『科学』 20122月号)を与えたことなど、一向に意に介さないらしい。

 実はこれ、電力会社社員のみならず、山野・河川・海の恵みに支えられた農山漁村の(少なくとも精神的には)この上なく豊かで、生き生きとした生活を知らない人びとに共通のことではなかろうか。これらの人々は、都会の人工的空間の中でエネルギー(天然諸資源)を湯水のごとく使う生活こそ最も豊かな生活だと思い込んでいる。あるいは、そういう生活しか知らないのかもしれない。

 14日、さいたま市で開かれた初回の意見聴取会で、青森県むつ市出身で埼玉県川口市の会社員田村久美子さんは「人類は核を制御できない。ふるさとを奪わないで」と原発0%案を支持したというが原発比率 議論深まらずさいたまで初の聴取会 東京新聞 12.7.15)、多くの脱原発論者さえこういう視点を欠いているようだ。17万人が参加したという16日の代々木公園での「さようなら原発集会」では、鎌田慧、大江健三郎、落合恵子、坂本龍一、瀬戸内寂聴、沢地久枝、内橋克人などの著名人が「ステージの上から思いを語りかけたそうだが(さようなら原発集会 政府に届け国民の声 東京新聞 12.7.17 朝刊2面)、筆者の心に響いたのは、「核に汚染され、命が細々と生きる地球にしないため、日本が率先して核を捨てる選択をしてほしい。政府は日本人からふるさとを奪った小さい国土にふさわしい規模で、生まれてきて良かったと思う国にしなくては」という沢地久枝氏の言葉だけだった。

 原発維持・推進論者はもとより、原発0%の支持者も、南相馬市の詩人・若松丈太郎氏が福島原発事故前に吐いた次の言葉を、もう一度かみしめてもらいたい。

 「父祖たちが何代にもわたって暮らしつづけ、自分もまた生まれてこのかたなじんできた風土、習俗、共同体、家、所有する土地、所有するあらゆるものを、村ぐるみ、町ぐるみ置き去りにすることを強制され、そのために失職し、たとえば十年間、あるいは二十年間、あるいは特定できないそれ以上の長時間にわたって、自分のものでありながらそこで生活することはもとより、立ち入ることさえ許されず、強制移住させられた他郷で、収入のみちがない不如意をかこち、場合によっては一家離散のうきめを味わうはめになる。たぶん、その間に、ふとどき者たちが警備の隙をついて空き家に侵入して家財を略奪しつくすだろう。このような事態が一〇万人、あるいは二〇万人の身にふりかかってその生活が破壊される。このことを私は最悪の事態と考えたいのである。これは、チェルノブイリ事故の現実に即して言うことであって、決して感傷的な空想ではない。」

 「こうした謂わば生活上の”革命”的事態を想定したうえで、それを自分の身と自分の現在の家族と将来の子孫とに引き受けることができるというのであれば、[当時持ち上がっていた原発二基の]増設に賛成するのもいいだろう」。

 若松丈太郎著 ・『福島 原発難民 南相馬市・一詩人の警告 1971〜2011年』(若松丈太郎著 ・『福島 原発難民 南相馬市・一詩人の警告 1971〜2011年,11.5.19