農業情報研究所意見・論評・著書等紹介2022年6月18日

最高裁 津波対策命じても原発事故防げず ならば原発やめるしかない

 

 最高裁が想定を超える津波だったから、国が東電に津波対策を命じても原発事故は防げなかった可能性が高いと断じた。国は原発事故に責任なしと涼しい顔ができるかもしれないが、一層高まる反原発・脱原発の波に襲われることになるだろう。

 

  この国では想定外の地震・津波は何時起きてもおかしくない。対策を講じても事故は防げないというのでは、原発をやめるほかない。最高裁判事、判決は脱原発の新地平を開くことに気付いているのだろうか(「事故が防げないなら、なぜ原発を推進したのか」-始まる前に「負けた」「ショック大きい」新潟訴訟の原告は落胆と怒り 新潟日報 22.6.18)。

 

原発事故、国の責任認めず 避難者訴訟、最高裁が統一判断「津波対策命じても防げなかった可能性高い」 東京新聞 22.6.18

 東京電力福島第一原発事故で避難した住民らが、国に損害賠償を求めた4件の訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は17日、「津波対策が講じられていても事故が発生した可能性が相当ある」とし、国の賠償責任はないとする統一判断を示した。国の法的責任の有無について事実上決着がついた形。同種訴訟への影響は必至だ。(小沢慧一)

 裁判官4人中3人の多数意見で、三浦守裁判官(検察官出身)は「原子力安全・保安院(当時)と東電が法令に従って真摯(しんし)な検討を行っていれば事故を回避できた可能性が高い」として国の責任を認める反対意見を出した。

 主な争点は①原発事故の原因となった津波を予想できたかどうか②防潮堤の設置や原子炉建屋の浸水対策などの対策を講じていれば事故が防げたか—の2点。

 判決は、国の地震調査研究推進本部が2002年に公表した地震予測「長期評価」に基づき、津波が最大15メートルを超えると予測した08年の東電の試算には合理性があると判断。国が東電に対策を義務付けていれば、防潮堤が設置された可能性は高かったとした。

 しかし、実際に発生した地震はマグニチュード(M9.1で、想定された8.2前後よりも規模が大きく、津波の到来方向も異なっていたことから、試算を基に防潮堤を設計していたとしても「大量の海水が敷地に浸入することを防ぐことはできなかった可能性が高い」と指摘。国が東電に対策を義務付けなかったことと、原発事故の発生に因果関係はないと結論づけた。

原告側が主張した原子炉建屋の浸水対策については「事故以前は防潮堤設置が津波対策の基本だった」とし、浸水対策は当時は知見がなく一般的な対策ではなかったとして必要性を認めなかった。津波が予測できたかどうかや長期評価の信頼性については、明確な判断を示さなかった。

 4訴訟は福島、群馬、千葉、愛媛の各県で起こされ、原告総数は約3700人。2審では群馬以外の3件で国の責任が認められた。東電の賠償責任については今年3月に最高裁で確定し、賠償総額は4件で計約14億円となっている。国の責任はないとの判断が確定したため、東電が全額を支払う。

 原発事故による避難などを巡り、国と東電に賠償を求める同種訴訟は全国で約30件ある。

◆「加害者」あいまいなまま

 原発避難を巡る17日の最高裁判決は、国が東電に津波対策を指示していても事故は防げなかったとして、国の責任を認めなかった。「地震、津波は想定外だから仕方なかった」と言っているに等しい。

 高裁段階で国の責任を認めた愛媛、千葉訴訟では、国は原発建屋などの浸水対策も取っていたら津波の影響が相当程度軽減され、事故は起きなかったと推認した。これに対して最高裁判決は、想定津波で設計した防潮堤では実際の津波は防げず、浸水対策は事故前には一般的な対策ではなかったため、事故は防げなかったとした。

 だが、防潮堤だけで津波を防げるという国側の発想にこそ問題があったのではないか。国の長期評価を基にした2008年の東電の試算でも、原発建設当初の想定の5倍超の津波が算出されている。それまでの安全性が根底から覆される事態であり、浸水を前提とした設計にかじを切るべきだった。

 実際には、国も東電も具体的な対策を「全く」しなかった。高度な専門性を有する原発で、事故から住民の命を守るには国の規制しかないが、国はその役割を放棄したといえる。事故の影響で現在も3万人以上が避難生活を送っている。

 再発防止には、責任の所在の明確化が欠かせない。未曽有の被害を出した原発事故で「加害者」が曖昧なままでは、将来の世代に対し「2度と事故は起きない」とは到底言えない。(小沢慧一)

◆唯一反対意見の三浦裁判官、確実に防ぐ対策必要

 原発事故について国に責任があるとした三浦守裁判官の反対意見は、原発事故被害の深刻さを重く捉えた上で、想定を超える事態に備えて、確実に事故を防ぐための対策が必要だったと判示した。

 反対意見は、2002年公表の国の地震予測「長期評価」の信頼性を認めた上で、公表から1年たった03年ごろには、国は津波による被害を予見できた、とした。

 津波や地震は正確な予測が困難で、浸水すれば深刻な事態が生じることを踏まえ、長期評価に基づく試算では浸水が想定されなかった方向からの津波についても「想定することはむしろ当然」と指摘。多数意見が認めなかった浸水対策についても「想定を超える事態への多重的な防護の必要性を、東電も国も認識することが十分可能だった」とした。

 浸水対策が講じられ防潮堤が完成していれば、実際の事故より浸水は相当減り、事故を回避できる可能性は高かったと言及。長期評価は、実際に起きたような巨大地震は想定していなかったものの「『想定外』という言葉によって、すべての想定がなかったことになるものではない」と述べ、「地震や津波の規模などにとらわれて、問題を見失ってはならない」と厳しく断じた。(小嶋麻友美)

 

<社説>原発避難者訴訟 納得しがたい判断だ 東京新聞 22.6.18

 福島原発事故での避難者の訴訟で、焦点の国の責任を最高裁は認めなかった。「仮に東京電力に対策を命じても事故は避けられなかった」との結論にはただ驚く。この初判断には到底納得しがたい。

 原発事故は被災者たちに「ふるさと喪失」などの深刻な事態を招いた。他県などに避難を余儀なくされた人々が起こした訴訟だ。

 注目の判決で最高裁は「実際の津波は想定より規模が大きく、仮に国が東京電力に必要な措置を命じていたとしても事故は避けられなかった可能性が高い」とした。

 この判断には疑問を持つ。

 まず国の地震調査研究推進本部が二〇〇二年に公表した「長期評価」についてだ。マグニチュード(M)8クラスの津波地震が三十年以内に発生する確率は20%程度だった。実際の地震はM9・1だから確かに想定より大きい。

 しかし、当時の福島第一原発の津波想定は五・七メートルしかなかったから、原子力安全・保安院(当時)が東電に対し、津波高の計算を求めていた。保安院内部でも後に組織横断的な勉強会を開いた。

 〇四年にはインドネシアのスマトラ島沖で巨大地震があった。遠く離れたインドのマドラス原発にまで津波が押し寄せ、運転不能になる事態が起きた。ポンプ室が水没したのだ。

 〇六年には勉強会に電力会社も参加させ、五・七メートルを超える津波だと同様の事態を招く恐れが、関係者の間で把握されたとされる。つまり巨大地震が起きると、原発には大津波が押し寄せ、建屋が水没する危険がある−。

 そのような事態は予想できたはずである。ならば防潮堤を高くしたり、原子炉建屋の防水対策をしたり、電源車を高台に配置するなど、全電源喪失の事態に陥らないための対策は十分、考えられたのではないか。そもそも「危険」と考えれば、原発の運転停止の判断もありうるはずである。

 実際に日本原子力発電の東海第二原発(茨城)の場合は、「最も危険な想定」で津波高を一二・二メートルとし、〇九年に従来の倍になる高さの盛り土工事や建屋扉の防水工事などをした。その結果、大津波の被害から免れたのである。

 「対策をしてもムダ」とでも言うような論法を許すならば、地震の巣と呼ばれる日本列島の上で原発を運転させること自体がもはや犯罪的ではないだろうか。

 

原発事故、国の責任認めず 最高裁初の判断、津波想定以上 福島民友 22.6.18

 東京電力福島第1原発事故の避難者らが国と東電に損害賠償を求めた福島(生業(なりわい))など4件の集団訴訟の上告審判決は17日、最高裁第2小法廷で開かれ、菅野博之裁判長は国の賠償責任を認めない判決を言い渡した。最高裁として初の判断。事故から11年余りを経て、東電を規制する立場だった国の法的責任の有無について事実上の決着がついた。全国で約30件ある同種訴訟への影響は必至だ。

 判決で菅野裁判長は「地震は(国が2002年に公表した地震予測の)長期評価に基づく揺れよりはるかに規模が大きく、国が規制権限を行使し、東電に安全対策を講じさせても事故を防ぐことができなかった可能性が高い」と指摘した。裁判官4人中3人の多数意見。検察官出身の三浦守裁判官は反対意見を付けた。

 事故前の津波対策について、当時の知見では敷地への海水浸入防止のため「防潮堤などの設置が基本だった」とし、国が東電に対策を命じていれば、原告が主張する水密化対策ではなく、防潮堤設置が行われた可能性が高いとした。その上で、東電が08年に試算した津波と実際の津波は規模も方角も異なり「原発敷地への浸水を防ぐことができず、原発事故と同様の事故が発生していた可能性が相当にあると言わざるを得ない」と結論付けた。

 4件の訴訟で原告側は、長期評価に基づけば巨大津波の襲来は予見できたと主張した。長期評価の予見可能性と信頼性が主な争点となったが、判決ではこれらの判断は示されなかった。三浦裁判官の反対意見は「長期評価を前提に国や東電が真摯(しんし)な検討をしていれば、事故を回避できた可能性が高い」との内容だった。

 福島、群馬、千葉、愛媛の各県で起こされた4件の集団訴訟の統一判断で、原告は計約3700人。高裁判決で群馬訴訟が国の責任を否定し、福島など3件は認めていた。東電の賠償責任は最高裁で既に確定し、賠償総額は中間指針を上回る計約14億5千万円。国に責任はないと判断されたため、東電が単独で支払う義務を負う。

 予見性議論残ったまま

 【解説】最高裁は、原発事故の集団訴訟で国の賠償責任を否定した。国が公表した地震予測「長期評価」を基に、東京電力に防潮堤などの津波対策を講じさせても、同様の事故は防げなかったと結論付けた。

 判決は、当時の知見に基づく津波対策として防潮堤などが設置された可能性が高く、仮に防潮堤を設置しても津波は想定より巨大であり、原発事故を防げなかったとする「仮定」の話に終始した。争点となっていた津波の予見可能性についての言及はなく、予見できたかどうかの議論は残ったままだ。「検討しなければいけない部分が欠落した肩すかしの判決」と納得できない被災者は多いはずだ。

 菅野博之裁判長は原発事故が起きた場合、「電力会社以上に国が結果を引き受け、過失の有無に関係なく、被害者の救済に最大の責任を担うべきだ」との補足意見を付け、国に課題も残された。

 事故が起きないよう国は事業者に対して規制する義務を負うが、国が規制当局の役割を果たせなかったとする指摘は多い。国の賠償責任は否定されたが、被災者への賠償や支援で国の政策が後退することは許されない。古里を失い、避難生活を強いられた被災者が抱えた苦しみを置き去りにすることなく、耳を傾け向き合っていかなければならない。(安達加琳)

 明治大の勝田忠広教授(原子力政策)の話

 国の主張をうのみにした判決で、かなり驚いた。東電に対策を取らせていても、実際の津波は想定より大きく、事故に至ったと極めて単純に決めつけている。東京電力福島第1原発が国の津波予測「長期評価」に基づく対策をしていた場合、どのような経緯をたどったのか、最高裁が詳細にシミュレーションをしたとは思えない。少なくとも避難地域がこれほど広範囲に及ぶことはなかった可能性が高い。事故が起きても、国が国民を守らないのは仕方がないという結論は納得を得られず、判決は原子力行政に対する不信感をあおることになるのではないか。