「ありがとうございましたぁ!」
団員の一礼と言葉に、肩を押され。
最後の客が、満足げな表情で立ち去るのを、しっかりと目視して。
ルシュナは、大きく息を付いた。
「やっと、終わりましたね…」
後ろからの声に、ルシュナは少し疲れた表情ながらも、大きくひとつうなずいた。
「ああ。終わった…。これにて、我が一座の商売祭営業はすべて終了じゃ…!お前たち、本当によくやってくれた。感謝する…」
「ん、何言ってるんですか、団長。まだ、ひとつ…大きな用事が、残ってるじゃないですか!」
言われ、驚いたように顔を上げる。
「これだけ稼いだんだ、絶対競り落とせますって!」
「もう、私たちのお給金とか考えないで、ぜーんぶつぎ込んじゃってくださいね?」
…そうか。
そうだった。まだひとつ、残っていた。商売祭を締めくくる一夜…大競り市。
忘れていたわけでは、なかった。そのために、この姿を装い、今まで心血を注いできたのだから。
しかし……商売祭の日程が、つつがなく消化されて行くに連れて。
ルシュナの心中に波紋を呼ぶ、ざわめきを、自身のうちに封ずることが出来なくなっていたのだ。
たしかに、競り市…勝負への昂揚はある。
しかし、団員たちには…勝負の結果にかかわらず、もうすぐ。
別れを告げなければならない。
もとより、この姿…商売祭までと決めていたのだ。これ以上は、さすがに保つまい。
中途半端な時期に横槍が入らなかったことを、今はただ全てに感謝するしかない。
だからこそ。今…言わなければ。
本来であれば、常識で考えれば…この場にあっても口を閉ざすが、正しいのだろう。
だが。この団員たちとは…もはや、都合不都合を思考の間に挟めるほど、遠い間柄では、ないのだ。
…例え、こやつらからもたらされる不利益が、あったとしても。
笑って、受け入れられる。
ルシュナは、つう、と顔を上げ、
「あ、あの…だな」
咳払いひとつ。皆の視線が集まった所で、意を決して切り出す。
「お前たちに…ひとつ、言っておかねばならぬことがある」
「な、なんですか?改まって…」
「ひょっとして、昨日の目玉の品の、磁器のお皿をまとめて割っちゃったの、実は団長だった…とか…?」
「それとも、まさかおとといの目玉の品の…」
「いいから…。黙って、聞いてくれぬか」
静かな声。
ただならぬルシュナの様子は、団員たちに薄々ながら、これが重大な告白の前触れであることを
予見させた。
「あらかじめ言っておくが…これは冗談などではない。つとめて冷静に、平常心で、事実をあるがまま受け止めて欲しい…」
一言一言。自分を、引き下がれない所に追いつめていく。
覚悟は…とうに決めていた。
「実は…その、私は…」
そして。
ルシュナは告げた。
洗いざらい。全て、包み隠さず、なにもかも。
己の出自から商いへの決意、この団を結成するまでの経緯、その後の今日に至るまでの歴史。
その中で、団員たちに隠していた全てを。吐露し尽くした。
目を見開き絶句する、団員たち。
驚愕は固く冷たい氷となって、彼らの精神を凍えさせ…思考を許さなかった。
屋外から漏れ聞こえる、近づいた競り市へ商人たちが寄せる熱意溢れる話し声や物音が、やけに空々しく…寒々しく聞こえた。
一概に言葉で表現できぬ感情が、ルシュナはもちろん、団の全員の表情を埋め尽くしていた。
それでも、ルシュナは、谷へ身を投げるような覚悟と面持ちで、
「…言いたいことは多々あろう。分かっておる。ただ…お前たちを欺くつもりはなかった。信じろと言っても無理があるじゃろうが…心にはとどめて置いてくれ」
ひとつ、息を吐き。
団員たちから目をそらすと、いまだ片づけの手も付かぬ商品棚の方へ歩み、もはや一個の残り物もない、がらんどうになったそれに手に触れながら、
「お前たちのおかげで…すべて売れた。選りすぐりの物ばかり並べたつもりじゃったが、私だけではここまで出来なかった…。ありがたいことに倉庫も空じゃ…」
微かに積もった埃を、惜しむようにすくう。
その汚れを指先から払わぬまま、店のやや奥まった所にある、大きな壺…数日前、レナスとともに身を隠した、あの壺に歩み寄ると、そのややざらついた表面に手を付く。
少し、力を入れると…手応え。
そのまま奥に向かって押し込んでいく。ちょうどルシュナの手のひらほどの大きさの面積が、切り取られたように陥没して、壺の内部に埋もれていく。
それと、入れかわるようにして…甲高い音が、漏れ聞こえてきた。
押し込む手と壺の表面の隙間から、次々と、水の勢いで落ちてくるそれは…砂漠一帯に流通する、鈍色に鋳られた、金属製の通貨であった。
「…これが、お前たちへの報酬じゃ。壺の中、すべてな。少ないかもしれんが、勘弁してくれ。分配は任せる。お前たちにそのつもりあれば、この店をそのまま譲渡する用意もある。とにかく…私はもう、団長では、無くなった」
力を込め、押し込んだ表面を掴み戻す。
音と流れが止み、店内に再び沈黙が訪れる。
漏れて出でたそれを、ルシュナは手近にあった布袋に詰めながら、
「今までのこと…感謝する。すべての思い言葉に表したいのだが…すまんな、できぬ。とりとめもなくなってしまう…けど…けどな…お前たちのことは…絶対に忘れない。忘れられるものか…」
手際よく動いていた手が、ふと、止まる。
「しかし…私は、行かなくてはならぬ。もし、どこかで、私を見かけたら…」
息が、詰まる。
もう少し、冷静に事を運ぶつもりだったが…自分には無理な相談だったらしい。
己の頬を張りたい気分で…気を奮い立たせて、通貨を拾う手を再び動かす。
やがて、すべてを袋に詰め終わると、立ち上がり…団員の胸元に押しつけ、
「不格好で、滑稽で…短気で性懲りもなく、一人ではなにも出来ない無力な商人が、それでもひとり、いたことを…一瞬でも思い出してもらえれば…この上ない光栄じゃ…」
すっと、背を伸ばすように立ち上がって。
店内を見回すように、ゆっくりと歩みながら。
「…グレス。未熟な私を、腹心としてよく支えてくれた。お前ほどの腕があれば、どこの市場に乗り込んだとて通用するじゃろう…願わくば、この店を継ぎ、団員たちを導いていって欲しい。実質、この店の支柱であったのはお前なのだから…感謝するぞ」
「団…長…そんな…」
「テミア…。お前の脳天気さには、どれほど背中を押されたかの…。よいか、お前は器の大きな商人じゃ。小さな商いで慢心してはならん。私の出来なかったこと、見られなかった世界…すべてお前に託す。存分に駆け回るがいい…お前なら出来る」
「うそ…うそ…!嘘ですよね…?私…イヤですよぉ…」
「ロベルド、お前の世話した騎ほど、私の言うことを聞いてくれる奴はいなかった…。だというのに、すまなかったの…奴らの尻を何度も叩いたりして。代わりに、謝っておいてはくれぬか…?
お前のその優しさ、それを通してしか、奴らの心には触れられぬであろうからな…」
「なにを…言ってるんですか…俺は…そんな…!」
帰ってくる言葉には、ただひとつ…寂しげな笑顔を浮かべて。
ルシュナは、一人一人、余すことなく、すべての団員の名を呼び、言葉をかけていった。
全員へと語りかけた後、店内の棚から柱、壺やテントの布…なにもかもにも。
「そして、最後に…商人、ルシュナ一座団長。私へ…お別れじゃ」
そこまで、息継ぎすらろくにしていなかったのか、大きく、大きく方。一回、肩を上下させて。
「ありがとう…。そして、さよなら…じゃ」
あまりに唐突すぎる、別離。
言葉も、動作も、思考すら、数分前に置き忘れたような表情で硬直する団員たちの顔を横目にとらえながらも…ルシュナは、必要以上に鋭くきびすを返し、店から出ていった。
気を抜けば…止まり、今にも再びきびすを返し駆け出しそうな足を必死に押さえつけ、進ませる。
もう戻ることはない。さらば、我が城。我が団員たちよ。
まだ紅潮し、わずかに朱の差した唇を、強く噛む。
だが、皮を破き血が流れ出る寸前で、すっと力が抜けた。
「……」
まだ。
いや…ずっと。
こらえようもなく熱い瞼を、押さえつけるようにして目を閉じ。
ルシュナは、拒んだ。
下を向き、無駄に漏れ出す物があるならば。
痛みを伴おうとも、胸に秘め、戒めとしよう。
なおも唇を噛む。
しかし、また力が抜ける。
それを、ルシュナは王城に戻るまでに、幾度となく繰り返していた。


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