第二話『少女、街道をゆく』

数日。
聖都が、いつものような平静と静謐さを取り戻すまでに、数日の時間を要した。
もっとも、壊れたモノが、瞬時にして癒えたわけではない。
失われたモノが、ある朝唐突に枕元に戻ってくるわけもない。
…『彼女』の残した傷跡は、かさぶたとなりつつある今でも、じわじわと、痛む。
その、小さくはあるが、確かな怨嗟の声は、聖都の西の突き当たりにある…共同墓地から聞かれていた。
「おお、主よ。我らの愛すべき隣人が、あなたの元に召されました…彼の魂に祝福を」
「彼の魂に祝福を…」
黒色に染め抜かれた、死者を弔うための儀にだけ用いられる祭祀服をまとった司祭の肩は、昨日の夜から降り出した小雨で、じっとりと濡れていた。
同じように、司祭を囲むようにして、一様に喪服姿の参列者たちは、すすり泣きの合間を取って、聖言を復唱している。
それは、冥福を祈る詩。魂を祝福する詩。失われたものを、悼む詩。
「ここに永劫の眠りにつくは、聖堂騎士団長…ラウディ・ハルズゲイム。勇敢に戦い、その命を死地に散らす。主よ、彼のために涙を。彼のために微笑みを。彼のために…聖なる祝福を」
しばしの、黙祷。
目を開け、司祭は、一歩、目の前にある、大きめの棺桶から下がった。入れ替わるようにして、体格のいい男たちが棺桶を取り囲み、下に紐を通すと、その隣に口を開けた穴へ、ゆっくりと、沈めていく。静かに湧き上がる嗚咽、叫び声…目を閉じたまま、その司祭は、静かに進行していく土葬作業の音を聞いていた。感情は、何もない。
ただ、聞いていた。
やがて、男たちがその場から離れる。棺桶は、完全に土中に埋没し、地上に面影を残すのは、こんもりと盛られた土の山と、『誇りある騎士、ここに眠る』という、名前も同時に刻まれたプレートだけだった。
「……参列者諸兄諸姉。これにて、葬の儀は終了します。彼の魂は主の元に還りました…」
墓標に向けて一礼し、聖印を切ると、司祭はきびすを返す。
数歩進むと、後方で大声が上がった。
「ちくしょう…ちくしょうっ!!団長…死んじまったなんてウソですよね?団長ぉ!」
「なんでこんなことにっ…くそっ…」
真新しく、まだ土の定着していない墓標に殺到していたのは、棺桶を埋めた男たちよりさらに屈強な体つきをしていた。聖堂騎士たち…あの惨事から生き残った、数少ない者たちだった。
「団長だけじゃない…副長も、小隊長も…ケビンも、アルバスも!みんな…みんな!」
「俺たち、これからどうすればいいんです…いつもみたいに、大声で怒鳴ってくださいよ…団長」
参列者たちの、嗚咽の声が高まった。涙を禁じ得ない場面ではある。しかし、司祭の足は止まらない。騎士たちの怒号も止まない。
「誰が、誰がこんな…こんなこと!!」
「わ、分からん…分からんが、探し出す。探し出して、しかるべき償いを課す…課すべきだ!」
「聖都中じゅう…いや、その外も!草の根分けても必ず…!!」
「…お止めなさい」
ひそかだった恨みの声が、皮肉にも彼らの土地を焼き尽くした炎のように燃え上がろうとした時。
司祭は、振り返らぬまま、言葉を紡いだ。
「主が、あなた方に課した聖務は、復讐などでなく、この聖都の防衛。違いますかな」
聖典から抜き出したような、正論だった。騎士たちが納得するはずもない。反論が口をつく寸前、司祭は見計らったようになおも声を発する。
「団長どのは、その尊い命をもって、この聖都を脅威から救ってくださった。彼の聖なる行いなくば、今頃都全体が焦土と化していたやも知れない…
そうは思いませんか。その誇り高き聖務を、あなた方の復讐の刃が汚すことを、団長どのはお望みでしょうか。それを主はお許しでしょうか。
確かに…命が散りました。悲しむべき事です。ですが、魂は主の御元に受け入れられます。彼の御霊を、祈りとともにお見送りすることもできないほど、あなた方のお心は汚れておいでですか?」
「しかし…!団長は、殺されたんだ!何者かに…生存者の中には、不審な者を目撃したという声もある!」
「確証もなく刃を振るうのですか?」
「復讐は当然の権利だ!団長も、きっとそれを望んでいる!」
「死せる者の声を聞くは、主のみに許された行為です」
「我々の沽券に関わる問題なんだよ!何も知らない部外者は口を挟まないで欲しい!」
完全に頭に血の上った騎士たちの勢いは止まらない。
司祭は、首を小さく振ると…
「…黙れ」
その瞬間、司祭は、顔に張りつけていた、沈痛な表情を捨て去った。荒々しい動作で身体ごと振り返ると、ひとつ、大きなため息をついて…胸元から、小さな眼鏡を取りだした。眼球よりも小さなレンズは、その役割を果たすとも思えないが、司祭はそれを、自分の鼻面に引っかけて、司祭帽を脱ぐ。
不自然に長い前髪が、端正な顔に覆い被さった。
「…墓地の中で、うだうだと…騒ぐんじゃねぇよ。騎士のくせに、礼儀も知らねぇのか」
先ほどまでの冷静な口調は、騎士たちの声と、雨水とともに、濡れた地面に吸い込まれたようだ。
唐突に生まれた沈黙の中、不遜な態度で腕を組んでいるのは、紛れもない…あの、黒服の男だった。
「オマエらが、束になっても敵う相手じゃねぇんだよ。そのデカブツの横で、仲良くオネンネしたくなかったら、帰って剣でも磨いてろ…。それとも今、俺が直々に寝かしつけてやろうか?団長どのにも、すぐに会えるだろうよ」
言うと男は、腕を解き…あるひとつの、構えを取った。
「あ…そ、その構え!」
人垣の中から声を上げたのは、包帯だらけの騎士…当時の様子を、よく知る者だった。
あくまで自然体。左右の手は正中線を守るようであり、何気なく放り出されているようでもある。
炎の中で、煙に巻かれながら、見た…あの構え。
団長と、相対していた人物の、構えと。まるで同じだった。
しかも構えだけではない…身体から吹き出す、濃密な殺気。
臆病、弱い心。そんな安い言葉で逃げられないほどの恐怖が、心から掘り返されていく。
男は、嘘は言っていない。
もしも、男が本気ならば。
この墓地に、いくつもの新たな棺桶が、新たに埋葬されることだろう。
完全に沈黙した騎士たちを見て、男は、ようやく構えを解いた。同時に、毒気に等しい物騒な殺気も、騎士たちの先ほどまでの勢いとともに、溶けて消え去った。
「…この一件、〈急進派〉中枢部に、すべてを任せてもらう。もし勝手な独断行動あらば、主の御名において容赦なく粛正する。いいな」
厳しく言い放ち、男は墓地に背を向けた。
…騎士団は、力で破れたのだ。
今さらながら露呈した、厳しい事実。弱者はただ、泣き崩れるしかない。
それは、主の御元にある聖都ですら、同じ事だった。

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