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| 「…〈ラグナロク〉が、奪われたようだね」 慣れない人物であったら、そこが部屋であることすら気付かないだろう。 黒い壁に四方を囲まれたかと思うほどの闇と閉塞感が、その場を満たしていた。 ここが、どこなのか。ここに、誰がいるのか。それを知るものは、限りなく少ない。 しかし、少なくともここが〈王国連合〉の領内にあることは確実である。 〈議会〉。この闇に集った集団は、一部からそう呼ばれ、またそう名乗る。 それ以外、何もかも、明らかでない。 「それだけではない。もっとも厄介な〈アルキュゴス〉までが、聖都の封印より解かれた。 予定にない、これは事故だよ」 「放っておけば、さらなる喪失に繋がりかねないな」 「…どうする?私の手元になら、動ける部隊が二、三あるが」 「だが、まだ〈教会〉の勢力内だろう。積極的な介入はまずい」 「かまわんさ…〈聖剣〉を封じきれなかったのは彼らだ。約束が違う。道理で対応している場合ではない…。〈急進派〉に特使を送れば、あちらの面子も立つ」 「確かに。私のところからも、人員を提供しよう…傷は浅いうちに」 「鉄は熱いうちに」 「芽は小さいうちに摘み取る…か?」 彼らの議論は、単純にして明快。究極にまで洗練された利害関係は、何より固い結束を生む。 「…仕方ない。我ら〈議会〉は、懸案目数1556〈ヴァルキリー〉より、奪取された〈聖剣〉の実力接収を決議、採択する。一同、異存は無いね?」 無言が、この闇の中では同意の合図だった。結論は出た。 それ以上の議論の必要はない。その場から、次々と、気配が消えていく。 ただ一人を残し、すべての黒い影が、その場から消滅した後、唯一残った影は、ひとつ息を付き…呼びかける。 「そう言うことだ、ベベルナ。聖都に行ってくれるかね?」 「…はい。了解しました」 声と気配は、唐突に出現した。今の今まで…誰にも、今声をかけた影以外に気付かれることなく、ベベルナと呼ばれた、その、軍服をまとった女性は、この場に存在していたのだ。 闇の中でなお、艶のある髪と、しわひとつ無い軍服は映え、美しく、黒い影を照り返している。 「可能性は少ないが…無駄なオペレーションではない。初恋はいつも苦い…〈ヴァルキリー〉とのファーストコンタクトも、似たような結果だろうがね」 「見事な例えです。国王閣下」 「そう呼ばれるのは…まだ早いよ」 言い残し、最後の気配も消えた。そして、ベベルナもまた、その場から姿を消した。 ……数日後。〈教会〉最中枢部に当たる聖都に、とあるひとつの集団が入った。 旅芸人と名乗る一団は、数十人の団員と、巨大な貨物を有しており、入都審査にあたった兵士たちも少々困惑顔だったが、見慣れない軍服をまとった女性が何らかの紙面を見せた途端に、門は開いた。 そして、貨物は二つに分断された。ひとつは聖都に残され、もう一つは、そのまま都を出て、街道沿いの森の中へと消えていった。 軍服の女性…ベベルナは、聖都に、貨物とともに残っていた。 「…それで、その格好というわけ。なかなかお似合いね」 広い敷地。かつて聖堂騎士団と呼ばれていた集団が陣取っていた土地である。 今や瓦礫は撤去され、大きな布が一面にかぶせられている。周辺地区の閉鎖は未だ解かれておらず…何かを隠すには、打ってつけの場所であった。 「言ってくれるね。これでも聖堂騎士団長だぜ?何階級特進したんだろ、俺」 言い返し、誇らしげに胸を反らすのは、ロゼクトだった。白銀に光る新品の甲冑は、それだけ見れば立派なものだった。 「で、今日は何の用だ?〈王国連合〉主導の聖都攻略戦でも始まるのか?」 言葉の内容は剣呑だったが、ロゼクトが肩をすくめるたび、その実、全く似合っていない甲冑が間抜けな金属音を立てるため、迫力はないに等しい。 「違うわよ…。連合所属の特殊部隊が、〈ヴァルキリー〉に奪取された二本の〈聖剣〉を回収する任務に赴くの。素直に従うとは思えないから…実力接収になるでしょうね。だから〈急進派〉中枢に、〈教会〉領内での兵力の駆使に関する許可を頂きに参上したの」 ロゼクトの甲冑が、またも、かちゃりと音を立てた。 「…本気か?嬢ちゃんを追う…手勢は?」 「詳細を知らせる義務はないわ。ただ、〈王国連合〉所属軍事大国の、精鋭中の精鋭を集めたらしいわよ」 言葉の割に、微塵も慢心の気配はない。 「…何も、言わないのね」 「行く前から、結果なんざ分かり切ってる。その部隊に…アンタは、入ってないんだろ?」 「もちろん。私、頭脳労働担当だもの。他意はないわ」 沈黙。 「なあ…相談があるんだが」 「何?」 「その部隊で…一日、働きたいんだが。腕に覚えあり。なんでもしますよ」 「残念ね。定員オーバーよ…それに、我が連盟は、得体の知れない人物を簡単に雇い入れるほど、脇も査定も甘くないの。またの機会があるといいわね」 「おお、主よ…聖堂騎士団長ほど武に長け、素性も明らかな人物が、他に存在するでしょうか」 「偉そうな言葉は、その鎧を完璧に着こなしてから言いなさい」 軽く肩をすくめ、ベベルナは、傍らにある、彼女らが持ち入れた、大きな貨物に寄りかかった。 入都審査の時にかぶせられていた布は、すでに取り除かれている。 見上げるほどの巨躯と、威容。 それは、人間を何人か収容できる、箱のような作りの鉄の塊だった。左右に小鳥のそれのような小さな翼が付いており、先端はくちばしのようにとがっている。 家のような大きさと重量があるにも関わらず、鳥のように空を飛ぶ。〈王国連合〉が、その独自に発展により手に入れた技術の結晶であった。 これひとつで、数十人を相手にできるという…想像しがたい話だった。 「これが、よりによって飛ぶとはねぇ…いまだに信じられねぇ。どんな仕組みだったっけか?」 「国家機密よ。まあ、あなたが物理学と量子力学を完璧に修めてたら、説明してあげるんだけど」 「…主の教えで、代用できるか?」 「その原理から行くと、人間が飛べるのは天に召される時だけよ。残念ね」 「いいや、もうひとつ…天に昇る方法がある」 「あら…興味深いわね。教えてくれる?」 「いいだろ。目、閉じな」 「…?」 疑問を訴えながらも、視界を闇に閉ざす… 唇に、何かが触れた。 「ん…んっ」 思わず漏れた声に構わず、それは、侵入してくる。柔らかく、湿った音を立てて… 閉じていた目を、驚きに見開く。ロゼクトの肩を突き飛ばすように離れると、少し乱れた息をただすように、 肩を上下させる。 「…約束が、違うわ。制服と聖装束…着ている時は、こういうのは無しって、言ったはずよ」 「俺は今…使徒じゃねぇ。騎士団長サマさ」 髪を撫でながら、耳元でささやく。 やがて、手が首筋に触れると、身体が、びくりと小さく跳ねた。軍服に、少しだけしわが寄る。 「昇進祝い、してくれねぇのか…?」 「…馬鹿…ぁっ」 再び、顔が近づく。 言葉とは裏腹に、拒絶の仕草は、無かった。 やがて二つの影は重なり合ったまま、鋼鉄の箱の中に消えていった。 |
