そして、夜が訪れた。
森の中。男たちが、集まっていた。
その数、数十人。
その横には、聖都にあったものと同型の、黒い鉄の塊が、静かな駆動音を響かせながら鎮座していた。
何人かの男たちが、うなずき合い、その中に消えていく。
駆動音はいっそう高まり、風が巻き起こり…地面が、下がった。
いや、地面では、ない。下がったのでもない…塊が…浮かんだのだ。
燃えさかる釜の中と同じような轟音を立てて、ゆっくりと、そのうちに素早く、上昇してゆく。
それがやがて、黒い雲の合間に隠れ、見えなくなった頃、地上に残った男たちも、行動を開始した。
足音をひそめ、木々の向こうに広がる闇の中へと、飛び立っていったそれとは逆の方向へと、分け入っていく。黒い静寂に紛れて…作戦が、遂行されようとしていた。

                       ◆

「ねえ、レナス…あなたはどうして、旅をしていたの?」
前触れもない言葉に、レナスは、無表情をわずかに崩し、振り向いた。
ここは、昼間の村から離れた、システィーナの小屋だった。
巡回する道の途中に定期的に設けられているもので、このほかに三つほどある。
巡回を終えた教師は、ここで夜を過ごし、朝になればまた旅立つのだ。
「…〈聖剣〉を、あつめるためです」
「それは前にも聞いたけど…本当にそうじゃないでしょう?〈聖剣〉なんて…あるわけがないわ。
例えあったとしても、私たち人間の理解の及ばないようなところにあるのよ」
レナスは、懐の〈アルキュゴス〉に、指先で触れたが、それ以上の反応はしなかった。
「…ねえ、レナス。もしよければ、本当のことを話してくれない?微力だけど、何か協力できるかも知れないから」
「本当の…こと?」
「そうよ。あなたが、雨の中、街道を一人で歩かなければならないような理由」
追求してくるシスティーナの目には、悪意など無い。
だからこそ…真実は、明かせないのだ。口ごもるレナスに、システィーナは小さく息を付く。
「教え子の悩みも解決できないとは…私、まだまだ未熟なのね」
「そう言う意味では、ないのです」
「いいから…。ごめんね、私のほうこそ、急にこんな事。もし、話す気になったらいつでも言って。徹夜で相談に乗るから!」
「…はい」
不服と満足の入り交じった微妙な笑みを浮かべ、システィーナは立ち上がる。テーブルに置いてあったティーセットを片手に、台所へ向かう。新しく湯を沸かし、レナスのいる部屋に戻る…と。
そこに。窓際に立ち、外を見やる、レナスの姿があった。
「…どうしたの?レナス?」
「………」
レナスは、声をかけられたことにも気付かないようだ。ただ、外に広がる濃い闇を凝視し、微動だにしない。
三つある、システィーナの小屋。この小屋は、その中でも最も森の奥深い場所にある。
普通に考えれば、どうということもない立地条件だが…レナスには、違っていた。
「先生。聞こえませんか…?」
音。…まだ遠いが、聞こえる。人の声がしない、この場所だから、耳に入った。
十数人の、ひそめられてはいるが、大胆で確実な足音。森の向こうから、枝を踏み分け、草を掻き分け…迫ってきている。
時折鼓膜を小さく打つ聞き慣れない金属音は、〈教会〉勢力圏に存在しない武具を携帯しているためか…他勢力からの、軍事的干渉。常人には不可能な判断を、この女教師に要求するのは酷だった。
レナスの不自然な数瞬の沈黙にきょとんとした表情を作り、丁寧に首まで傾げて見せた。
「私には、何も…聞こえないけれど。風の音じゃないかしら」
だが、レナスは、外への注意を止めようとはしない。空虚な無表情が、にわかに粟立つ。
獣であればすでに牙を見せ、唸り声を上げている段階だ。
「…先生。急いで、馬車に乗ってください。荷物は持たないで。時間がありません」
言い放ち、レナスは窓から離れ、そのまま、ドアへと向かう。
「ちょ、ちょっと待って…何が、外に何があるの?レナス、待ちなさい!」
静止を聞かず、レナスは屋外に飛び出る。
夜空は、少し曇りがちで、月は見えない。木々に囲まれた、夜独特の匂いが鼻腔を満たす。
やや遅れて、外套をまとったシスティーナが、不安げな表情で出てきた。
「レナス、どうしたの…?」
再三の質問にも、レナスは、応えようとしない。
耳を澄ませ…聞いている。
先ほど聞こえた、あの足音。相変わらず、響いている。
誰にでも聞こえるような、不用心な歩みではない…ある方法を用いて、できうる限り静謐に進もうとしている。
だが、その歩みでもまた、無音ではいられないのだ。独特の擦過音がある。
レナスは、この歩み方を知っている。…森林行軍の歩法だ。
確信は強まったが、音は、だんだんと弱まってきている。
足音は、ここではなく…どこか別の場所に向かっているようだ。
では、どこに…?探ろうと、なおも聴覚を集中した…刹那。
「…!」
違う…音。
聞いたことのない種類の、妙な音。
近づいてきている。こちらに。足音ではなく…石を投げた時、それが空を切る音に似た、それが。
しかも、速い。もう、すぐそばにいる。危険だ、危ない。逃げなければ。
「先生…馬車に、乗ってください」
「だから、どうしてなの?教えて、レナス。私には、何も分からないわ!」
「…来ます」
「もう…!こんな静かな夜に、何が来るって…」
「伏せて!」
声は聞こえたが、判断はできなかった。
ただ、凄い勢いで、レナスが自分に覆い被さったことだけが、わずかに散った砂と、彼女のかすかな香りで理解
できた、瞬間。
光が、あふれた。
破片が破片と衝突し、裂け、細分化され、空に舞い上がっていく。火炎と熱に焼き焦がされて瞬時に灰と化し、夜風に流されていく。
突然に。あまりに突然に、小屋が爆破され、炎上する様を、システィーナは、ゆっくりと進行する時間の中で、呆然と眺めていた。
「先生。早く」
手を引かれるまま、馬車に。飛び込むように乗り込んだせいか尻が痛んだが、かまわずレナスが打った手綱によって、馬たちは驚きといななきを伴って、疾走を開始する。
激しく後輪を滑らせながら、馬車は小道から街道に躍り出た。
宙に浮かぶ何かは、なおもこちらを追撃してくる。生命感のない、だがしかし確実な脅威は、レナスたちの背後にぴたりと付き、離れない。
「な、なんなの…何なの、あれはっ…!」
「分かりません。けどたぶん…味方では、ないです」」
「敵とか味方とか、そう言うことを聞いているんじゃ…きゃぁ!」
危うく舌を噛みちぎりそうな振動…片輪が路面の石を拾って、馬車が大きく跳ねる。横転しなかったのはもはや、奇跡としか言いようがない。
着地後、豪快に横滑りした車体を何とか立て直し、乱れに乱れる髪を押さえながら、システィーナはなおも上方を見上げ、叫んだ。
「あれ、あ、悪魔なの…?!ああ、主よ!私たちをお守り下さい…!」
動転しきったシスティーナも、まさかこの、空飛ぶ黒い鋼鉄が、〈王国連合〉のものとは思わないだろう。血と硝煙の匂いをまとった軍事機械…彼女が昼間教えた『すばらしい技術』の理念と歪んだ結びつきによって生まれた異形は、確実にこちらとの距離を詰めてきている。
なにしろ速度が違う…このままでは、追いつかれる。
『そこの馬車!止まれ!馬を静めろ!』
「人の声…あの中に、人がいるの?!」
「そのようですね」
「じゃ、じゃあ、話し合いましょう!話し合えば、きっと、分かってくれるわ…!そ、そこのあなた方!私は…むぐっ!」
そこまで言うが、唐突にレナスに口を押さえられ、呼吸と言葉を詰まらせる。
その、数瞬後、馬車のすぐ後方で、あの小屋を爆砕した火炎が、炸裂した。熱風は幌の中を駆け抜け、二人の長髪をなぶるだけなぶる。
あのまましゃべり続けていたら…熱気に肺を焼かれていただろう。背筋に冷水が伝う。
それでも少し咳き込むシスティーナを解放し、レナスはつぶやく。
「交渉は無駄です。手綱に集中してください。彼らは、止めません」
その目は、強い意志で満ちていた。彼らは止めない…そう言い切るレナスもまた、止めるつもりは、無いのだ。これが、あの…何も知らない、無表情な教え子なのだろうか?システィーナは思った。
この冷静さ、この的確な判断…なにより、この、危機的状況をむしろ安息の場所としているかのような雰囲気。
認めるのは恐いが…上空にいる何かと、レナスと…感じる気配は、今や、同じだった。
無言のまま、上空から何度も攻撃を受けながら…その都度レナスに守られながら、馬車は街道を疾走する。風にさらされ、汗が冷たい。
「…レナス!もう、駄目よ…この子たちが、限界だわ!」
システィーナの悲痛な叫びの向こうから、馬たちの苦しげないななきが聞こえる。さすがの健脚も、この悪路での全力疾走は負担が大きすぎるか。
「止まって、休ませてあげないと!レナス、後ろはどうなの?!……レナス?!」
背後の少女の、沈黙。システィーナが背後に不審な赤い光を感じた時、すでにレナスは、見たこともないような大剣を持っていた。
軽い足取りで、揺れに揺れる馬たちの背に飛び移ると、切っ先を下に向け、なにごとか数言つぶやく…そのすぐあと、刃から、まるで血のような液体が、漏れだしてきた。
その色が、生命の残滓の色だと、システィーナが知るはずもない。
絶句するシスティーナをよそに、刀身から漏れだした赤い雫は、汗でじっとりと濡れた馬たちの背中に、まるで生命あるかのように、ずるりと侵入していった。
途端に響く、力強い蹄の音。唐突な加速に吹き飛ばされそうになりながらも、システィーナは、感じたままの疑問を素直にぶつけざるを得なかった。
「そ、それは…何?!レナス、私、もう…何が、なんだか…!!」
「安心してください。馬たちはもう、大丈夫です…このまま先生は、明るいところまで逃げてください」
「逃げてくださいと言われても…!それに、あなたはどうするの?!」
「私は、あれを…止めます。このまま行けば、昼間の村に落ちてしまうかも知れない」
レナスの視線は、そのまま上へ…闇に浮かぶ、奇妙な形状の箱に向けられていた。
「む、無茶よ!原理は分からないけれど…空を飛んでるのよ?!」
「そこに、いないわけではありません。きっと止められます」
レナスは、小さく断言した。
「…先生。あそこの木の大きな枝を使います。もう少し、速度を上げてください」
指さされ、仰ぎ見た先に、街道側に大きくはみ出して生える大樹が目に止まった。その頂上あたりに、道を覆うような枝が一本、釣り竿のようにたたずんでいる。
…まさか。
システィーナが振り返った時…すでにレナスは膝を曲げている。跳ぶ準備は万端だった。
「もう少し、速く…お願いします」
「あ…ああ…」
止めても、聞いてはくれないだろう…。
馬たちも、〈ラグナロク〉から注がれた赤い雫の作用なのか、脚の回転は速まる一方だ…呆然となり、手綱を引け
ないシスティーナは、結果的にレナスの言葉に従っていた。
動けない自分…あの黒い箱に恐怖する自分…なにより、自分の教え子に、恐怖する自分。
情けなくて、どうしようもなくて…強く閉じた目尻に、うっすらと涙がたまる。
無力な自分に、今、できることは…ひとつしかなかった。
システィーナは、手綱を握ったまま、立ち上がった。そしてなおも、声を張り上げる。
「わ、私は!〈教会〉育務部公認巡回教師、システィーナ・ロレンツです!!あなた方が何の目的で私たちを襲うのかは分かりませんが…、過ちがあったなら謝罪します!
償いもします!主の御名において誓います!だから!!」
声が届いたかは、知れないが…返答は、苛烈きわまるものだった。
幾重もの爆炎が、馬車の後方と、左方に炸裂した。車輪が浮き、吹き飛ばされそうになった馬車を立て直したのは、もはやうずくまるしかできなかったシスティーナではなかった。
「言ったはずです。交渉は無駄」
全く変化のない冷徹な声に、システィーナは、思わず怒りの矛先を、向け間違えた。
「それでも…!私は、こうせよと教えられたわ。話し合いなさいと。互いが交わす言葉と誠意によってはじめて、争いは消え去ると…!」
「あちらに、誠意がありますか?」
それはすでに、冷えた声だった。
子供の頃から、ずっと続いてきた、平穏で、おだやかな…日の光と、笑い声に満ちた世界。
その、裏側にある人間の、声だった。聞いたことのない…声だった。
氷にはじめて触れる幼児のように、システィーナは肩をふるわせた。
光の届かない世界も、ある。
少女は、そこから歩んできたのだ。それをたまたま、自分が勝手な判断で馬車に乗せたに過ぎない…ただ、それだけ。
少女の歩みは、止まるはずもない。
「…先生の考えが、すべての人に広まれば、それはきっと、しあわせなことだと思います。でも今は、違います」
枝は見る見る迫ってくる。
そして。
「…先生。さようなら」
言葉尻を上空に伴って、レナスは跳躍していた。
枝を蹴る固い音がして、二つの影が夜空に重なって…
そこまでをシスティーナが理解した時、馬たちは高速で枝の下を通過していた。
…もはや、レナスのいない、荷台を引き連れたまま。

次頁