報告を受け、大司教は、無責任な安堵と…容赦なく胸を刺す罪悪感に、心を癒され、同時に焼かれた。
恥ずべきほどに取り乱した言葉を、隠せずに発する。
「そ、それで、あの子は、無事なのだな?!」
「は。ひとつの傷も負うことなく。現場となった村には、すでに処理班を向かわせました」
厚い絨毯の引かれた床にひざまづいているのは、〈穏健派〉が独自に組織した秘密機関、教会〈特務部〉の一員の間者であった。〈急進派〉に軍部を掌握された関係から、抑止力として結成された戦力は、その規模こそ小さいものの、広く諜報から戦闘、破壊工作までをこなす。
その精鋭〈特務部〉に、現在、最高優先度で課せられている任務。
それが、レナスの監視と、援助だった。
「彼女、並びに彼女と同行していた民間人は、馬車もともに、〈魔導連合〉に接した街道まで送り届けました。現時点で〈王国同盟〉への侵入は、危険と判断しましたので」
「うむ…すまない。ご苦労だった。引き続き、監視を続けてくれたまえ」
「御意に。…失礼」
聖印を切り、執務室から姿を消した間者の背を見送ることなく、大司教は、窓の外を見やった。
いまどこに。そして、これからどこへ。
謝罪の言葉など、今さら無駄だ。
「彼女でさえ…言えなかったのだからな」
つぶやいた言葉は、苦々しいまま、いつまでも大司教にまとわりついていた。

                        ◆

もはや、夜が明けようとしていた。
馬車は、街道を、聖都方向へと、ゆっくりと進んでいる。
馬たちは、疲れた様子もなく、手綱を入れればまた暴力的な疾走を見せるだろう。
「……」
普段なら結い上げられた髪は、あり得ない速度で夜風にさらされ、見るに耐えないほど乱れていた。
目の下には薄黒いくまが刻まれ、表情もどこかやつれがちだ。
だが考えるのは、焼かれた自分の小屋のことでも、昨夜の動乱のことでもなく。
あの、少女の、事だった。
…別れ際。
〈魔導連合〉領地に近い街道沿いの町まで、システィーナはレナスとともに、馬車ごと、〈教会〉の使徒と名乗る男たちに送り届けられていた。
レナスは、このまま、旅立つという。
その、最後の時、投げかけられた言葉。
「教えてください、先生、あの人たちは、どうして…?」
「……」
システィーナは、答えなかった。
何一つ、分からなかった。教えてやれなかった。沈黙は無知に等しい。教えるものにとっての絶望的な無力感が、システィーナを苛んでいた。
「先生にも…分からないことが、あるのですね」
嫌みなどであるはずがない。
だからこそ、だからこそ…余計に、心が、痛んだ。
「これ以上、ご迷惑をおかけできません。私、行きます」
このまま、行かせてしまったら…この少女の手は、身体は、ますます血に汚れてしまう。
たとえ、聖装束は純白のままでも…。
「ま、待って…レナス!」
呼び止める声は、震えていた。後少しで…いや、もうすでに、涙が出ていた。
「確かに、今、私には分からないことがある。いいえ、分からないことだらけだわ!でも、焦る必要はないの…ゆっくりと、探し出すの…自分なりに、納得できる答えを!それが、学問でしょう?あなたは私の教え子なのよ…だから…私に、先生を、やらせて…。言ったでしょう?相談に、乗らせて…。分からないことがあるなら、一緒に考えましょう?あなたにはたぶん…教えなければならないことが、山ほどあると、思うから…!」
システィーナは、恐れなかった。レナスが兵士に投げかけた、死の問いを。
「でも、今は、まだ…あなたの問いに…私は、答えられない。ごめんなさい…」
泣き崩れそうな身体を必死に支え、それでもシスティーナは、レナスを見つめ続けた。
悲痛な視線を感じたか、レナスは小さく振り向き、言う。
「先生は、もう、教えてくれました。いろんなこと。だから…」
「…レナス」
なぜか止まらない、涙。そしてレナスの歩みも、また、止まらない。
ただ、一回だけ、きびすを返して、
「…さようなら」
手を前にそろえ、ぺこり、と、礼儀正しい一礼。
あまりに簡潔な別れ。再び足を前へと向けるレナスを、システィーナは、もう、止めない。
ただ、その、あまりに無垢で小さな背中が、血の色をした夕暮れの空の下、少しずつ遠ざかっていく様を、見つめていることしか、できなかった。

(第二話 終)

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