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「……」 聖都というのは、案外、広いものだ。 公園のベンチに腰掛けて、小さく息を付いたレナスの感想は、そんなものだった。 生まれてから物心つき、そして今に至るまでの時間、彼女は、教会の敷地内でのみ過ごしてきた。 朝のお祈りから始まり、沐浴、書物の朗読に、運動など…規則正しく義務づけられていた日課から、分かっていたとはいえ、唐突に解放され、いざ自由の身になってみると……。 まわりのものが、いつもより大きく見える。 さて、これから、どうしよう… 〈聖剣〉。それを探せと言う、大司教様。だが、それがどこにあるのかまでは、教えられていない。 己で探し出してこそのものであり、その真摯な努力をこそ主は認めてくださる、とだけ言っていた。 主のお言葉も、大司教様の教えも、すべてお見通しの上でのこと。ならばまずは、探してみる。 真摯に。その様を主が見てくだされば、きっと、正しい道へ導いてくださる。 レナスは、きわめてまじめにそう判断した。立ち上がると、公園を後にし、人通りの多い道へと出る。 ここ、聖都〈ロンバルティア〉。はるか昔、教会の主であらせられる『神』が、長きにわたる悪魔との戦いをその力強き御手により終わらせ、疲れた体を横たえた場所であると伝えられたこの土地には、数十万の民と、その絶大な信仰を得る、今なおこの地に横たわる神の御身を守護するためにある『教会』の本拠が存在する。 聖都の中心の丘の上にそびえる、瀟洒な純白の宮殿。『聖柩』と呼ばれるそこに神はあり、教会の最高位である『教皇』は、その、休息の身にありながら民を慮る言葉を代弁し、その下にある六人の『大司教』が命を下し、数万にも上ると言われる『使徒』たちが、あまねく民に救済の手をさしのべる。 『教会』とは組織であり、同時に宗派の名でもある。神…主の意志に祈りを捧げ、永久の魂の安寧を願う。 その、絶対的救済に、〈聖剣〉は欠かせぬモノであると、レナスは聞かされていた。 混み合った通りを流されるようにして歩く。主の膝元にある聖都だからか、それとも単に昼間だからか、いかがわしい雰囲気はないが、その代わり整然とした人の流れは止まらない。 「……」 気付けば、また先ほどの公園に戻ってきていた。 さて、これからどうしよう。 そうだ、真摯な努力だ。 そうすれば主は……円環のような思考に、彼女が陥りかけた、その刹那。 「わ、わわぁぁぁ!」 きわめて唐突な、誰かの悲鳴。続いて、金属製の何かが次々と地面に落下する耳障りな音。 ゆっくりと視線を向けると、惨憺たる状況があった。少年が倒れていて、そのまわりに、棒状のなにか、武器…のような外見の、鉄塊が散乱している。運んでいる途中に転倒したのだろう。 「痛たたた…」 転んだとき打ったのか、腰をさすりながら立ち上がる。まだ幼さの残る顔立ち。平服を着こなしているところを見ると、教会関係者ではないようだ。 「ああっ、大変だ!焼き形を落とすなんて…型が崩れるぅ。親方に叱られるぅ」 情けない声を出しながら、地面に散乱した棒状のそれ…剣やら槍やらの原型らしきそれらを、少年は必死に拾い集める。両手で抱えるほどのカゴに次々と差し入れ、最後の一本を、と手を伸ばしかけたとき。透き通るように白い手が、横からのびて、それを音もなく取り去ってしまった。 「あ…」 見上げた、その先には。 「…剣」 「え?」 「これは…〈聖剣〉ですか?」 「は、はい?」 その少女の、真顔での問いに、少年はただ、同じく真顔で聞き返すしかなかった。 ◆ 「…で、ウチに〈聖剣〉を探しに来たってのかい、あんたは」 その問いに、レナスは、相変わらずの真顔でうなずいた。 答えに窮した少年に、「親方なら何か知ってるかも」と連れてこられたのが、ここだった。 レンガ造りの壁に立てかけられ、張りつけられた無数の剣、槍、長刀…部屋の奥からは、金属を溶かすための炉に熱せられた、独特の香りを帯びた空気が流れてくる。典型的な武器屋の風景。表の看板には『マグナス武器商』と、無骨な文字で記してあった。 「親方…もしウチにあるんだったら、売ってあげてください」 少年が小さく言うと、親方と呼ばれた男は、口元にたくわえた鬚を指先でいじりながら苦笑した。 「そうしてやりてぇのはやまやまだがな…、生憎ウチには置いてねぇな。それに、こんなところで簡単に手に入れちゃあ、あんたの徳もあがらないだろう?」 教会の信徒の中で『聖剣収集』と言うものは、そのままの意味でとらえられることは少なく、むしろ諸国を漫遊して修行を重ねると共に、教会の信仰のすばらしさを世界に伝え広めるという、巡礼の旅のような見方をされる事がほとんどであった。この親方も、そう信じる一人であるらしい。 「まあ、〈聖剣〉とまではいかねぇが、教会に武器を納めて二十年の、このマグナス武器商の品揃えは捨てたもんじゃねぇぞ。旅に欠かせねぇ護身具なら各種取りそろえてるぜ。おい、ひとまず一式、見繕ってやんな」 「は、はいっ。じゃ、じゃあ、こっちへどうぞ!」 少年に手を引かれるまま、レナスは試着室へと案内された。自分より大きな鏡の前に立たされたあと渡されたのは、小ぶりな片刃の短剣だった。 「女の人の一人旅には、これがおすすめかな。短くて扱いやすいし、片刃だからケガしにくいよ」 「……」 少年の親切な助言を聞いているのか否か、はっきりしない無表情のまま、レナスは鞘から刀身を引き抜く。根本から先端までをまじまじと見つめ、そのままつぅ、と上に持っていく。 そして無造作に――振り抜いた。 目を丸くする少年のすぐ横を駆け抜けた剣圧は、頑丈な作りの壁に衝突して、すぐ横の窓をびりびりと揺らした。 突然のことに硬直している少年をよそに、レナスは平然とした表情で言った。 「たしかに、いい剣ね。重心のズレも、刃肉の偏りもない。…他には、ないの?」 「あ…、う、うん、あるよ!じゃあ次は…」 ぱたぱたと次の武器の元へ駆けていく少年。それと入れ違うように、ドアに据え付けられた、来客を知らせるベルが鳴った。 「いらっしゃい…っ?」 入り口へ振り向いた親方は、目を丸くした。 数人の、隆々とした体つきの男たちが、決して広くない店の入り口を塞いでいたのだ。後光が差していて、その顔つきは判然としないが…彼らの身につけた、青い十字の入った鎧は、無言でありながら、それ以上の説明を必要としない意味を帯びていた。 聖都を物理的に守護する、聖堂騎士。入り口を塞いでいたのは、まさにそれだった。 「こりゃあ、聖堂騎士様…今日はまた、どういった御用向きで?何か、お納めした武器に不手際でも…?」 「いや、そう言った用件ではない。お気遣いは無用。ただ……」 対応に出た親方に答えたのは、その中でもひときわ秀でた体躯の、短髪の男であった。分厚い胸元で小さく聖印を切ると、店内に素早く視線を走らせる。その先には、いまだに鏡の前で、新たに持ってこられたらしい槍を軽やかに振り回す、レナスがいた。 「少しだけ、品定めに」 つぶやくと、入り口に他の騎士たちを待たせ、男は歩み出す。だが言葉とは裏腹に、壁に展示された武器には目もくれずに、試着室のほうへ直進した。 そして、対面する。 「…?」 最初に気づいたのは、レナスに新しい長剣を渡し終えた少年だった。自分の体をそのまま包み込むような、大きな影が、床に貼り付いていた自分の影を消し去ってしまったのだ。 上を向けば、そこには。 「あっ…、き、騎士様!い、いらっしゃいませ!」 「ああ。少し、邪魔させていただく」 必死に挨拶する少年から視線を外し男は、こちらを無表情な瞳で見るその少女、レナスを、そのまま見つめ返した。 「信じられんな…これが、本当に…?」 誰にも聞こえない声で、男はつぶやいた。 線も細く、色も白い。まるで、陶磁でできた人形のような少女。 しかし、聖装束を身につけている。洗礼を受け、使徒となった証である。少なくとも無力な普通の少女が袖を通せる種類の衣服ではない…それに、戦場において、外見は参考にできうるものではない。 この男は、それを知る人種であった。 意を決したように、口を開く。 「…君が欲するのは、そのような…ただの剣ではあるまい?」 ただ、一言。明らかに隠れた意味を含んだ言葉だが、レナスは反応しない。ただ、返答した。 「どういう、意味ですか?」 「君に質問する権利はない。私たちが、何者かは分かるな?」 「はい。聖堂騎士さまですね」 「そうだ。ならば、話は早い。私たちとともに来てもらおう…君には、〈聖剣〉を無断で持ち出したという嫌疑がかけられている」 「……?」 無表情のまま、レナスは、自分の記憶と異なった事実を提示されたことについて、彼女なりに、ゆっくりと、精一杯に狼狽した。 「…ちがいます。私は、大司教さまに…」 「話は、後でゆっくりと聞こう。従わねば、その大司教さまにも、いらぬご迷惑をかけることになる」 理不尽な言葉…しかし、大司教さまに、ご迷惑をかけるわけには。 レナスは、小さくうつむいた。無表情ながら、悩み、考えている。だが、男の追求は止まない。 「悩む必要はない。取り調べれば、事実は露呈する…ここは議論の場ではない。連行しろ」 男は、入り口に控えていた騎士たちにそう言い、きびすを返した。 その刹那――その大きな背中にあった、大剣に。 レナスの視線が、鋭く突き立った。刃で刺すように、鞭で絡め取るように、その剣をねめつける。 男は、それに気付いたのか、しばしレナスに剣を見せつけるように立ち止まると、再び歩を進めていく。その足音に、同調するように。レナスが、一歩を踏み出した。 男は、それに気付くと、ただ、ひとつ息をつき、 「では、行こうか。時に主人。このことは他言無用で、願いたい」 また、歩き出す。代わりに入り口で待っていた騎士たちが、レナスの両脇を固めた。 「…これ、ありがとう」 「えっ、あ…」 不安げな表情の少年に剣を返し、こくり、と、レナスはうなずいた。 「探し物は…ここには、なかったみたい」 |
