第七話 坂上修一
 そして、り返す





六人目の話が終わった。
その余韻だけを残して、静寂がこの場を包み込む。
七人目の語り部は依然として現れる気配がない。
僕は、みんながしてくれた話の内容をぼんやりと思い返していた。
トイレに潜む謎のこびとの話。
心霊ゲーム「一人かくれんぼ」の話。
ミクシィ上で知り合ったある男女の話。
……フナムシの霊がどうこうとかいう、ふざけた話。
ネットゲームの世界に取り込まれてしまった男の話。
そして、たった今聞き終えたばかりの、整形手術で人生を狂わせてしまった少女の話……。

「ねえ、今日のところはもう諦めた方がいいんじゃない?
 こんなに遅くなっちゃ、もう七人目の人は来ないんじゃないかなあ」
静寂を打ち破るように、細田さんが言った。
「その通りだね。僕は話を聞いてあげるためじゃなく、してあげるためにここに来たんだ。
 それが既に終わっている今、いつまでも待たされる筋合いはないだろ?」
風間さんが続けて言う。
たしかに、ここでこうやって雁首を揃えて、
一向に来る気配のない七人目をこれ以上待っていても無意味だろう。
「そうですね…… 皆さん、本当にありがとうございました。
 おかげで、素晴らしい記事が書けそうです。
 今日はこれで解散にしましょう」
「だな。お疲れさん」
「そう。それじゃ私も、今日のところはこれで失礼させてもらうわ」
僕の言葉に頷き、みんな次々と席を立っていく。
「今日はいろんな話聞けて楽しかったよー。
 新聞が出来るの、期待して待ってるから、がんばっていいもの作ってね」
福沢さんが、そう言いながら部室のドアを開けようとする。
ところが……。
「あれ?」
ドアノブがガチャリと音を立てるだけで、ドアは一向に開かれなかった。
「どうかしましたか?」
荒井さんが不審げに眉をひそめる。
「ドアが開かないの…… 変だなあ、外から鍵をかけれるわけないのに」
「立て付けが悪いんじゃねえのか? ちょっとどいてみろよ」
新堂さんが福沢さんを押しのけて、ドアノブを何度か捻ってみたけど、結果は同じのようだ。
「おいおい。閉じこめられたってわけかい? 冗談じゃないよ」
「えーっ、困ったなあ。
 僕、トイレに行きたいのずっと我慢してたのに……」
「ちょっと…… 私、このあと用事があるんだけど?」
不安に駆られたのか、みんな思い思いに騒ぎ立て始めている。
まずい。ここは主催者として、なんとか騒ぎを納めなくては……。
でも、次に言葉を発したのは僕じゃなくて荒井さんだった。
「……霊の仕業ですよ。やっぱり、霊が怒ったんだ」
ボソリと呟くだけの小さい声だったけど、
その発言を受けて、全員の視線が荒井さんに集中する。
「おい荒井、てめえいい加減なこと言ってんじゃねえよ」
「いい加減なことなんかじゃありません。
 本当は、あなたにももうわかってるんでしょう?」
「まあまあ、二人とも落ち着いて下さいよ」
険悪になった荒井さんと新堂さんの間に、細田さんが割って入ったその時だった。


ガシャーン!


ドアとは反対側の方向からガラスの割れる音が響き、
みんな一斉そちらを振り向いた。
……目に飛び込んできたのは、あまりに異様な光景だった。
割れた窓ガラスをへだてて、黒髪の女の顔がこちらの方を覗いている。
ただしそれは、普通の女の顔ではなかった。
当たり前だ。普通に考えて、顔だけで2mもあるような女がいるはずがない。
えっと……もしかすると、この女が七人目?
いや、それはないな。うん、ない。
その女は、予期せぬ事態に凍り付いている僕らの方を見て、ニヤーッと笑った。
「う、うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
誰かが耐え切れずにあげた悲鳴に反応するように、
その女は部室の中へと入り込んできた。
その時初めてわかったけど、女には胴体がなかった。
巨大な顔だけが体の中心にあり、そこから直に手足が生えている。
身には何も着けておらず、一足ごとにぺたぺたという音が響いた。
ニタニタと薄気味悪い笑みが張り付いたその顔で、部室内を舐めるように見回す。
ただしその目には、白目が存在しておらず、どこまでも漆黒だった。
恐ろしい、というよりもおぞましく、忌まわしい。
そして女は、標的が定まったのか、一目散に走り出した。
「え? え? ひいっ! きゃああああああああああっっ!」
最初の標的となったのは福沢さんだった。
わけがわからないという表情の福沢さんのその体、
肩から腰にかけてを、女が巨大な口で丸かじりにし、噛み砕いた
バキボキという嫌な音が部室内に響き、血が噴水のようにほとばしった。
「あ゛あ゛あ゛う゛ぁあああ゛ああぎゃああああ」
福沢さんの喉から、尋常ではない悲鳴があがる。
しかし、女は一向に顎の力を緩めようとはしなかった。


ゴギュ ル ブッ チュギッ ズジュウッ


形容しがたい音と同時に、臓物の香りが立ち込め、
福沢さんだったモノは、みるみるうちにヒト以外のなにかに変貌を遂げていく。
既に絶命している彼女の悲鳴に変わるのは、血泡の詰まったゴボゴボという音。
「な、なんなんだよお前はぁっ!」
助けようとする者なんて誰もいなかった。
新堂さんと風間さんは、あまりの恐怖に凍り付いているようだ。
細田さんは、半狂乱のまま部室のドアに突進し、なんとかこじあけようと足掻いている。
岩下さんと荒井さんだけは、目の前で起こってる惨事を、
まばたきもせずにただ睨み付けていた。
……やがて、かつては福沢さんだったモノの咀嚼を終えた女は、
食いカスをその辺に放り出すと、次の標的を定めて、それに向かっていった。
「ぐっ! ぎゃああ゛あうあうっぅおうあぁぁぁぉぉ゛ああぁぁ゛」
不運にも、次の獲物になってしまった者の断末魔がまたしても部室内に木霊する。


僕はその陰惨な光景を目にしながらも、どこか人事のように冷めていた。
今回はこういう結末か……。
それにしても、あの化け物はいったいなんなんだ?
確かにこの学校には、得体の知れない存在が数知れず潜んでいるということは
もう身に染みてわかっている。
それにしたって、あれはちょっとなあ……。
まあ、スンバラリア星人なんていう、
わけのわかんないアンモナイトみたいな宇宙人が出てきたこともあったけど。
……おっと、あれは確か風間さんの正体だったな。
それで、新堂さんがウンタマル星人なんだっけ?
……これまでにも、色々な結末があった。
時には、七人目の語り部が現れることもあった。
それは日野先輩だったり、黒木という先生だったりした。
話を終えるたびに、一人、また一人と
語り部たちが消えていってとうとう僕一人になってしまったこともあった。
かと思えば、怖い話なんて関係なしに、みんなが僕を殺そうと襲ってきたこともあったっけ。
だけど、僕にはもう解っている。
例えどんな結末を迎えようと、すべてが終わった次の瞬間、
僕は、この集まりが始まった瞬間に戻されてしまうのだということを。
初めは、なにがなんだか理解できなかった。
そしてその次は、ただただ怖かった。
なんとかこの終わらない悪夢から抜け出そうと、あらゆる抵抗を試みた。
でも、僕がなにをしようとおかまいなしに、話は進行し、そして結末を迎える。
次第に恐怖は麻痺し、そして僕は、すべてを諦めた。
これは一体、なんの呪いなんだろう。
荒井さんの言う通り、霊を怒らせてしまったことが悪かったのだろうか。
なんにせよ、僕にはどうすることも出来ない。
これまでにいったい何周、全員の話を聞いたことだろう?
100周目までは数えたが、そのあたりからもうすっかりわからなくなってしまった。
ひょっとするともう、1000周に近かったりして。
もしも、正常な時間に換算するとしたら、どれぐらいの年月が経っているのだろうか?
5年…… いや、10年…… それとも、もっと?
疲れないし、お腹も空かない。眠くなることはない。
僕は完全に、学校であった怖い話を聞くためだけの存在になってしまっているようだ。


……最近はよく、こんな場面を想像する。
僕は、真っ暗な廊下を一人で歩いてる。
どこまでも、どこまでも、歩き続けている。
でも、いつまで経っても、どれだけ歩いても、
終わりは一向に見えてこない。いつまでも、ここから抜け出せない。
僕が歩いているのは、無限にループしている回廊だから。
同じところをぐるぐると回り続ける、螺旋回廊……。


……気がつくと、部室内は凄惨たる有様だった。
だいぶ前からそうだったのかもしれないけど。
原型を留めていない、誰のものなのかもわからない遺体の肉片がそこらに散らばっている。
僕も、飛び散った血を浴びてびしょ濡れだった。
「坂上君、助けて! 僕たちは親友だろ!?」
最後の生き残りらしい、細田さんが叫んでいる。
「細田さん!」
とりあえず叫んでみる。でもどうすることも出来ない。
どうしろっていうんだ。
それに、別に親友ではないです。
……ああ、やっぱり。
女に飛びかかられて、あっさりと細田さんが肉塊と化す。
肉「塊」って表現はおかしいか。
あっという間に噛み砕かれて、コマ切れにされてるんだから。
もう、生き残ってるのは僕しかいない。
やっぱり次は僕の番なんだろうな。
恐怖は麻痺した。でも、痛いものは痛い。
苦しまないように一思いにやって欲しいなあ……。

やがて、細田さんを食べ終えた女がこちらに近づいてきた。
相変わらずわけのわからないニタニタ笑いを顔中に浮かべている。
そして、次の瞬間、僕はがぶりと噛み付かれた。
ああ、痛い!
たぶん、僕の口からも例に漏れず、絶叫が漏れていたと思う。
間を置かず、僕の意識は、暗黒へと沈んでいった。


「……みくん、坂上くん!」
誰かの呼ぶ声で、僕は我に帰った。
「あ…… すみません。」
まん丸い顔が、心配そうに僕をのぞき込んでいる。
僕を呼んでいたのは、どうやら細田さんだったらしい。
見渡してみると、案の定、おなじみの六人が椅子に座っていた。
部室の中は綺麗なもので、血痕ひとつない。
……やれやれ、これでまた始めからか。
細田さんが、おずおずと提案してきた。
「もし良かったら、そろそろ始めないかい?
 七人目を待ってたら、いつになるかわからないからさ」
「そうそう、ちゃっちゃっとやろうじゃないか。
 なんせ記念すべき1000周目だ。この僕も今回はとっておきの話を用意しているんだよ」
そうだ、どうせ七人目が最初から揃うことなんて
ないんだから、そろそろはじめなきゃ












…………………って、今、風間さんなんて言った!?
僕は驚いて風間さんの顔を見た。
彼は、いたずらを見つかった時の子供のような顔で、にやっと笑った。
風間さんだけじゃない。みんな笑っている。
新堂さんも、荒井さんも、細田さんも、福沢さんも。そして、岩下さんも。
……そうか、僕だけじゃなかったんだ。
僕は、少しだけ…… ほんの少しだけ、おかしくなった。

そして僕は、いつものように言う。


「それでは、始めましょう」
まだ見ぬ七人目を待たずして、集められた六人の学校であった怖い話が始まった。


<完>



















だが、恐怖は繰り返す…………



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