『(タイトル未定)』
第一章 幸村、満身創痍
(1)
Ha、と声を上げて跳躍した政宗殿が、六爪を天高く翳す。
薄闇に淡く浮かぶ三日月を背に、雷撃を迸らせた六爪が蒼く軌跡を描く。その光景があまりに美しくて、目を奪われてしまった。
…多分、心も。
敗けた言い訳にもならないが、この日の某は本当におかしかった。
ヒュウと空を裂いた刃がこの身に降り注ぐのを、まるで待ち焦がれてでもいたかのような錯覚。
血が吹き出す。ああ、これは某の。痛みは感電で麻痺した体からは感じず、最後に見たのはまともに返り血を浴びて左目を見開き驚いた
政宗殿の顔だった。
まともに攻撃を喰らって倒れる幸村を、あ然と見つめる政宗。
未だ数回刃を撃ち合わせただけ、実質この技が初打と言ってもいいだろう。倒す為というよりも、牽制の為の攻撃だった。幸村には
避ける間も受け止める余裕も攻撃を仕掛ける間も充分にあった筈で、政宗は相手がそういった行動に移ることを前提として六爪を振り下ろしたのだ。
だが、それは幸村が素肌の上から身に付けている薄手の鎖帷子を雷撃で襲い、引き裂き、傷を負わせた。丈の短い独特の上衣に血が染みて、
元々は鮮やかな真紅だったそれを生々しい赤に染め変えてゆく。
「!?」
びく、と佐助の背筋を悪寒が走る。
(………、旦那…!?)
ひしひしと感覚を蝕む嫌な予感。まさか、幸村の身に何か。
「どうした…余所見とは随分余裕じゃねぇか、猿飛!」
鋭い太刀筋を刻む独眼竜の右目・片倉小十郎。その斬撃をかわし、佐助は奥へと疾った。
「!! チッ、流石に忍の逃げ足は早いぜ…だが政宗様の邪魔はさせん!」
猿飛佐助の足止めは、己に下された主君からの命題。小十郎は迷わず後を追う。
「Shit!! 冗談じゃねぇ…こんな幕引き、俺は認めねぇぜ! 真田幸村!!」
怒りに任せてそう言い放ち、政宗は幸村の傍へ膝を付いた。上着を切り裂いて取り去り、鎖帷子を外しにかかる。
思い返せば、今日の彼は最初から様子がおかしかった。
今日は近頃恒例となった単身(正確にはお目付け役的に佐助も付いてきていたが)での殴り込みではなく、信玄からの命あって正式に
兵を率いて来た戦であり合戦であった。政宗との戦いを楽しみに来たのではなく、武田軍が伊達軍の領地へ攻め入ったのだ。いつもより
緊張感があって然るべきだというのに。
煩いくらいの雄叫びもなく、キッと挑む鋭い眼光もなく、熱く炎と燃え滾る戦意もない。一撃を受けた時も、完全に心ここにあらずと
いった様子で呆然とこちらを見ていたように思う。
(馬鹿野郎…! 腑抜けのアンタに勝ったところで、意味がねぇんだよ!!)
思った以上に傷が深く、出血が止まらない。早くきちんとした処置をしなければ命に関わるだろう。
だが、鎖帷子を取り去った政宗は、そこで治療の手が止まってしまった。
「…!?」
思わず眉間に皺を寄せてしまう。
これは、何だ。
「旦那!! 旦…っ」
そこへ丁度良く佐助が現れる。一目で状況を察したのだろう、息を飲む気配。政宗は振り返りもせずに告げた。
「Nice timing。おい猿飛、アンタも忍なら非常用の薬を携帯してるだろう。止血薬を寄越せ」
「何?」
「さっさとしろ。まだこいつに死なれる訳にはいかねぇんだ」
政宗の真意をはかりかね、佐助は刹那、迷った。だが幸村の惨状を見るや、すぐに判断を下す。
武田軍でも信玄に近しい極々僅かな者しか知らない幸村の秘密、それをこの男に知られてしまった。例え相手が独眼竜であろうとも、
何とか処理しなければならない。そして何より、出血が酷い。対処が遅れれば本当に幸村の命の灯火が消えてしまうだろう。
「政宗様!」
小十郎も追い付いてきた。佐助はサッと政宗の正面に移動すると、懐から止血の秘薬を取り出す。自分で手当てをするつもりが、それを
独眼竜がするりと取っていってしまった。彼は顔色一つ変えずに幸村の応急手当を続ける。
「真田の治療は任せろ。アンタには負け戦の処理があるはずだ」
「………」
「総大将の真田が俺に負けたんだ、当然そっちの負けだろうが。兵を纏めてさっさと甲斐に帰んな」
傷口に薬を擦り込み、自分の戦装束を裂いて包帯の替わりに。手を動かしながら、淡々と政宗は続ける。
「さっさと帰って、虎のオッサンに伝えろ。此度の合戦の始末について、一先ず真田幸村を人質として与かる。追って此方から使者を出す故、
それまで待たれよ。…ってな」
「な…っ、独眼竜、あんた一体何を」
「小十郎、ここの後始末は成実に任せてすぐ城に戻れ。離れ奥にコイツを運び込む準備だ。それと薬師もな」
「御意。…しかし…、離れ奥にございますか…?」
離れ奥とは、この長谷堂城で筆頭の為に用意された、いわゆる「奥」である。政宗が未だ正室も側室も取っていない為、ただの使われて
いない離れ部屋となっている所だ。そんな所に敵将を運び込むのかと背中から苦言を呈する小十郎に、政宗は溜息をついて親指でくいっと
幸村を指し示した。
「女を内々に囲い込むのに、他にいい場所あるのか?」
怪訝に政宗の示したものを見て、小十郎もまた最初にそれを見た政宗と同じく、絶句した。
確かに横たわっているのは真田幸村だったが、それは女の体に違いなかった。
形ばかりの人質として真田を預かる。その正体は極秘とする。だから忍隊から影武者を務められる奴を一人寄越せ。家臣達にはそいつを
真田だということにして拘留させてもらう。その代わりこちらで出来得る限りの治療を尽くす。真田の容態が回復次第、すぐに書状を出して
やる。…それが政宗からの提案だった。
佐助は迷った。だが、それは僅かな間のこと。全て政宗の言う通りにするのは正直癪だったし彼が腹の底で何を企んでいるのか不気味
でもあったが、真田の本陣へ連れ帰るよりも目の前の城のほうが圧倒的に近い。その上、連れ帰るとなれば、幸村を手中に収めるつもりで
いる政宗と、恐らくそれが主君の命であれば異も無く従うであろう小十郎の二人を倒さなければならなくなる。
幸村の容態は、一刻を争うものだった。幸村の命を最優先にするなら、やりあっている場合ではない。
斬った俺が言うのも可笑しいが必ず助ける、真田の正体も口外しない。今はその政宗の言葉を信じるしかなかった。何より自分は武田に
従う忍。真田幸村の家臣であり真田忍隊の頭目という役目を負うとはいえ、最終的に従うべきは幸村ではなく、信玄である。戦の結果を
お館様に報告し、奥州筆頭の言葉を伝え、指示を仰ぐべきなのだ。
内心渋々ではあったが、そんなことはおくびにも出さず、佐助は真田軍を退かせた。
そして、長谷堂城。
戦装束を脱ぎ、血と埃に汚れた体を洗い流し、着物を纏った政宗は、同じく身を整えた小十郎を伴って離れ奥へ入った。幸村は今頃、
政宗専属の薬師に手当てを受けている筈だ。
政宗自身、これが初めての奥訪問である。おかしな誤解をされては面倒なので、女を抱く時には、それが何処の姫であれ家臣の娘であれ、
奥とは別の部屋を用意させていたからだ。今まで下働きや侍女以外の女が奥へ入ったことはなかった。
「何も言わねぇんだな」
歩きながら、やけに静かな小十郎にぽつりと呟く。討った筈の敵将の命を助けるなど、ましてや奥へ隠すなど、一国一城を治める者の
するべきことではない。
だが、普段頑固な男は存外柔軟な答えを寄越した。
「人質になさるのでありましょう。甲斐の虎に対して、その若子であれば、充分にその価値は有ると存じます」
むしろ首を取るより効くやもしれませぬ、と口にしそうになった小十郎はそれを飲み込んだ。言ってはならない事のように感じられた
からだ。そして個人的にも口にしたくなかった。その発想は、あの松永久秀のそれに近い。
幸村が運び込まれた部屋の前まで辿り着く二人。人払いを命じてあった為だろう、ここまで侍女小姓の一人もいなかったが、この部屋の
向こうからだけは人の気配がする。
不意に、部屋の内から障子が開いた。初老の薬師が、主の来訪を察して迎え入れる態度を示したのである。
「…一先ずの処置は終わりましてございまする」
「そうか…。Thank you」
幸村の傍へ座る政宗。小十郎は下座に控えた。
額を手拭で冷やされ、傷を負った胸から腹にかけてを真っ白な包帯で巻かれた彼…いや『彼女』は、薄く唇を開いて浅い呼吸を繰り返して
いた。苦しげに眉を顰めて。
「血は止まりました故、あとは傷口が完全に塞がるまで安静に、清潔に保つが肝要。今夜が峠にございましょう」
「峠?」
無事に命を取り止めたかと思ったが、薬師の表情は硬い。治療の為に腹辺りから折っていた掛け布団を元に戻しながら続ける。
「この傷は致命傷にございます。長らえておられるのは、日頃より鍛えておられるからこそ。そして気力、精神力の賜物にございまする。
並の者ならばここへ運び込まれる迄に事切れておりましょう。おなごならば尚の事。…流石、梵が目を付けられた女御殿だけのことは
ありますな。成る程、確かにこれ程の御方をご所望とあらば、今まで一人として御内室を娶られなかった事にも得心がゆくというもの。
普通の姫君ではこうは参りませぬ故」
「………」
幼い頃から仕えている薬師の思わせぶりな言い様に、政宗は眉を顰めて小十郎に視線を送る。どういう話になってんだ一体。
「随分と熱が高うございます。血も足りておられませぬ故、今夜の内に熱が引かねば…。そうなればもはやお助けする術はございませぬ」
薬師が話を元に戻す。政宗もまた、幸村へ視線を戻した。熱く、浅く早い呼吸。上下する胸の動きも早い。
露わにされている首元や鎖骨の線は、男とは比べ物にならぬほど細い。何度も刃を交え、時には茶や酒を酌み交わして語り合ったことも
あるというのに、こうして改めて目にして初めて気付くとは。
「…O.K. 頼んだぜ」
「御意。できる限りの手を尽くしまする」
「行くぞ小十郎」
「はっ」
頭を下げる薬師と、立ち上がる双竜。そのまま部屋を後にして戻って行く。
ここで穴が空くほど幸村を睨んでいたとて、彼女の傷に効くわけでもなければ解熱効果があるわけでもない。ましてや政宗には奥州筆頭
としての務めがある。
甲斐の若虎を返り討ちにした、文句のつけようのない勝ち戦。それなのに敵の大将を人質にしただけで首も取らず、追撃もせず、おめおめと
撤退を許した筆頭に、頭でっかちの老家臣共がごちゃごちゃと小言を云い始めているのだ。
又、初めて出会った時からというもの、幾度となく筆頭とタイマンで勝負してきた幸村を、敵とはいえ天晴れと認めていた連中もいる。
幸村が手合わせをしに来るようになってからは特に兵達の間で顔が知れ渡り、幸村が来たと知るや筆頭と互角の手腕に是非自分も力試しを
と兵士達が群がる始末。今では軽口を叩き合う者までいるくらいだ。そのせいだろう、幸村が人質として囚われたと知った兵の間に動揺が
走っているようだとの報告も上がっている。
それらを収め、黙らせなければならない。
(…何だって俺ぁ、こんなに必死になってアイツを匿ってるんだ)
ふと我に返ると、馬鹿馬鹿しくさえ思える。それでも、今から取って返して幸村の首を落とし、武田に送り付けてやろうという気には
全くなれない。
(あんなもんは勝ちじゃねぇ…勝負ですらねぇ。腑抜けの真田に用はねぇ)
だからいつもの強い真田に戻したいだけだ。背筋をぞくぞくとさせる生と死の駆け引き、胸を熱くさせる興奮。それを味わえるのは唯一、
真田幸村と刃を交えている間だけなのだから。
(………腑抜けの真田に、用はねぇ……。……………だが女の真田には…?)
死合いに男も女もない。勝つか負けるか、生きるか死ぬか。ただそれだけ。
ただそれだけなのだ。だが。
…だが。
いつのまにか、何処かに棘が刺さったまま、抜けなくなっている。苛ついて奥歯を噛み締めた政宗は、老中と家臣や将達が勢揃いした
広間へと足を踏み入れた。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
始まり始まり。という感じです。
目次のところでも記しましたが、「奥」についてはほとんど調べてません。すみません。
今後もそういうのがばしばし出て来るかと思います(汗)