『(タイトル未定)』
第一章 幸村、満身創痍
(2)
深夜。
城が寝静まった頃合を見て、政宗は離れ奥へ入った。
暗い廊下を歩いていくと、唯一小さな明りの灯る部屋へ行き付く。今夜が峠だという幸村には、薬師が付きっきりで看病を続けていた。
「おお、梵」
「様子はどうだ」
「今はまだ、何とも…」
そっと枕元へ腰を下ろす。幸村の様子は、夕刻とさして変わらないように思えた。唯、控えめな灯火の下でもはっきりと分かる程に
顔色は悪く、なのに熱のせいで頬だけが紅潮して、痛々しさを強調するかのように見える。
「熱は下がってんのか」
「…むしろ、少々上がっておるようでございまする」
くっ、と喉を鳴らす政宗。それはゆるやかに悪化しているという事ではないか。
薬師は幸村の額から手拭を取って、手桶の水に浸して絞り、また額に戻した。
「水を替えて参りまする。暫し御前失礼を」
一礼し、手桶を持って外へ。
しん、と静まり返った部屋に、幸村の早い呼吸だけが響く。
苦しげな表情、上下する胸、浅い呼吸。高い体温と熱い呼吸。
生死の境を彷徨っている本人にとってはそれどころではないだろうが、この光景は何か違うシチュエーションでの女を連想させ、俄に
政宗の心をざわつかせる。
正室も側室もいないが、女性経験がないわけではないし、少ない方とも思わない。お忍びで城下に降り、郭で女を買うことくらいは
普通にする。また城においても、気を利かせた家臣が用意した女を抱く事もあるし、嫁ぐ事適わずともせめて一時のお情けをと姫を差し
出して来る庇護下の弱小大名もいる。どちらの場合も、首尾良く独眼竜を満足させて奥に収まれ、という裏があるのだろう。だが、特に
どうといった感慨もない。やることをやってしまえば、後は部屋に戻って寝るだけだ。例えどのような相手であろうと、今まで抱いた女に
添い寝を許して共に朝を迎えたことなど無い。
まずは世継ぎを、とりあえず血統の善い姫を、と事あるごとに老中達がちくちくと責めてくるが、何故そう急ぐ必要があるのか。確かに
世継ぎは必要だが、とにかく女という生き物を城内で飼うのは気が重い。しかも妻としてなど。
政宗は女が苦手だ。いや、嫌いだと表したほうが正しい。信じることができない。化粧で上辺をぶ厚く塗り固め、甲高い声で喚き、
利権と私欲と財を競う。そんな生き物をどうして好きになれようか。愛することができようか。また、そんな女達の心に、誰かを純粋に
慈しむような愛情があるとは到底思えない。…だからといって己の心にならあるのかと問われ、頷くこともできない。
政宗の複雑な女性不信と愛情否定、それは産みの母親との確執に端を発している。彼女は幼い政宗の右目が病で失われて以来それを
醜いと厭い、弟のほうを溺愛し始めた。政宗にとって、それは母から棄てられたのと同じことだった。そして実際彼女は政宗を棄てたのだ。
彼女は弟に家督を継がせようと正宗の毒殺まで企てたのである。その出来事は決定的に政宗を絶望の淵に突き落とし、そして彼は愛や
慕情といった優しい感情を信じられなくなった。
毒殺の企ては失敗に終わったが、その後も度々命を脅かされてきた。女達は今日は優しくとも明日には自分の首を締めにくるかもしれない
のだ。事実、何人もの侍女が母に抱き込まれたり買収されたりして刺客と化し、失敗しては捕われ処刑されていった。
結局政宗は、弟を斬る事で己の身を守らざるをえなかった。心優しかった弟は母を諌め、自分に家督への野心なき事を示す為に出家したい
とまで言っていたのに。そんな弟を、きっと母よりも愛していたのに。それでも政宗は斬った。斬ることができた。家督相続問題で国が
荒れる前に。自分の命を守る為に。だから政宗は、自分の中にある愛すら信じることができない。
そもそも政宗にはその『愛』というものの正体がよく解らない。弟に過ぎた愛情を注ぐ母の姿を見てきたせいか、それとも大切に慈しんで
いた弟を斬ることができたせいなのか。愛だの恋だのという感情が、前田慶次が言うような暖かいものとはとても思えない。
物心つくかつかないかの頃に、ほんの僅かに与えられた優しさ。そして、手の平を返して弟だけにのめり込んでいった母親の姿。
それだけが政宗の知る愛の全てだ。あの母と同じ血を引く自分がもし慶次の言うような暖かい恋愛の情を知ってしまえば、彼女のように
それだけに執着し、溺れてしまうのではないか。そして弟を斬ったように、壊れて取り返しがつかないようになるまで、相手を圧し潰して
しまうのではないだろうか。…好意を抱ける女がいれば、という仮定の上での話だが。
一国の主に色恋は必要ない。必要なのは血統であり、世継ぎである。そんな事は分かっている。只、色恋は必要なくとも、最低限
正室として迎える姫との間には信頼関係を築くことが必要だ。馬鹿な女が―――まあ女に限った話でもないが―――力を持つと国が荒れる
元となる。その信頼関係を築くことが、政宗には途方もなく難しいことのように思えた。戦国最強の名を欲しいままにする本多忠勝を倒す
ほうが、どれだけか易しい。
真田幸村は、そんな女の常識を完全に破壊する存在だ。
本人にも女としての意識など無いだろう。そうでなければ、荒くれ揃いの伊達に殴り込みになど来られないだろうし、彼らの間を渡って
などゆけない。
改めて幸村を見つめる。今までは男同士の当然として特に意識などしたことはなかったが、こうして見るとやや童顔ではあるが随分整った
顔をしている。
長い睫。熱のせいでもあるのだろう、青白い肌と対比のはっきりした、紅も引いていないのに艶々と赤い唇。今は閉じられた瞳は、姿を
現せば炎を宿してぱっちりと大きく輝き、物怖じせずまっすぐに相手を見詰めることを政宗は知っている。その視線に射抜かれれば、並の
者ならば瞬時に魂まで焼き尽くされてしまう。真田家の姫として然るべき教育を受けていたなら、さぞや世紀の美女との噂を日本全土に
走らせていただろう。
いや、と政宗はその考えを改める。男として、武人として今日まで生きてきたからこそ、その磨かれた魂が彼女を美しくしたのだ。
そして、どれもこれもらしくない己の発想に失笑した。
「……………」
僅かに、幸村の唇が動いた。何かを語るかのように。
意識が戻ったのだろうか。
そっと身を乗り出し、幸村の口元に耳を近付ける。
「…………………さ……すけ……、………さすけ………………」
「…」
何の事はない。うわ言だ。あの忍は互いが幼い頃から仕えていたというのだから、弱った時に無意識に甘えてしまうのは自然なことだろう。
何故それだけのことで機嫌がひん曲がったのか。僅かにささくれ立った政宗の気配に反応したかのように、幸村が薄く目を開いた。
「…」
「……………」
潤んだ瞳が覗く。間近でそれを見てしまい、一瞬鼓動が途切れた。
「…ま………む…ね………どの……………?」
掠れた熱い声が呼んだのは、今度は紛れもなく。
「…sorry。起こしちまったか」
囁くようにそっと云うと、幸村は少し不思議そうな顔をした。
「………? なに…ゆえ……うえだ…城に、貴殿…が………」
意識が朦朧としているのか。どうも夢と現が混濁しているようだ。目の焦点も合いそうで合わない。
「……それ…と…も………政宗殿の…姿を…借りた、死神…か…」
「………」
「なんと…粋なはからいよ……。だが…そなたに………この、命…くれてやる…わけには…ゆかぬ………」
ぎらり。
潤んだ眼の奥で、戦場で見せるもののふの炎が揺らめいた。
「この…命、尽きる時は………お館様が為…、さも…なくば……、本物の…政宗殿と、果たし合い…、某が…敗れ…、討ち取られ…た時…
で…ござる…。ほ…かの…なんびと…たり……とも……」
「…幸村」
「………それ…がし…………まだ……死ぬわ…け…には……………」
すぅ、と目蓋が落ちる。炎は幸村の体内へ閉じ込められた。
大丈夫だ。政宗は確信した。
幸村の魂はまだ燃えている。闘争心という炎が、身の内でまだ燃え続けている。ならば必ず死の淵から戻って来る筈だ。
だからこそ解せない。
薬師は、彼女が生きているのは日頃の鍛錬、そして気力と精神力の賜物だと云った。そして今、彼女はまだ死ぬわけにはいかないと、
はっきり死神に決別を突き付けた。強い意志の炎を見せながら。
この気概が、何故戦場では顕れなかったのか。
「…幸村…アンタ一体何に惑わされた」
朝、彼女の意識が戻ったら一番に確かめてやろう。そう心に決めて、政宗はそのまま左目を閉じた。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
長い説明の回でした…ガクリ。
この話の政宗さんはこんな感じです。っていうことなんですが、もうちょっと簡潔に纏められないものかしら私。
うおおお精進あるのみィ!!