『心の行方』
基本的に電話でしか依頼は受けない。メールアドレスも非公開にしてある。なのに。
『ストライフ・デリバリーサービス殿
荷物を頼みたい。アイシクルロッジまで受け取りに来られたし。
from K』
たったこれだけのメールで、のこのこ出かける自分も自分だとは思ったのだが。
リターンアドレスを隠蔽してあるので断りようがない、と理由をつけて、愛用のバイクに跨った。
それに、もし差出人が予想どおりの相手なら、放置するわけにはいかない。
幸い気候は悪くない。雪は降っているものの、吹雪いてはいない。それだけでも有り難い。
そんな中、道路脇でただ立っている黒ずくめの青年。
(やはりな)
殺気は感じないが、『彼』に間違いない。
バイクのウィングを開き、剣を取る。すれ違いざまに斬りかかると、青年はひらりと剣を避け、バイクの通り過ぎた道路の上へただ
降り立った。
「?」
反撃してくる気配がない。他の二人もいないようだ。
拍子抜けしたような気分でバイクを回頭させ、彼の近くまで戻ってから止まる。青年はスキップするような足取りで、こちらへ歩み
寄って来た。
「ククク…。酷いなァ、兄さん。ちゃんと見てよ」
ひょい、と肩を竦めて両手を上げる。
「僕、丸腰だよ?」
「……………」
ぎろり、と睨みつけると、ふふと笑ってバイクにもたれかかってくる。
「ひさしぶり」
害意や敵意は…感じられない。
「どういうつもりだ。何故お前がここにいる。………カダージュ」
それは、浄化されライフストリームに還ったはずの、カダージュの姿だった。
剣を離さないクラウドに、真意の読めない笑顔で微笑みかけるカダージュ。
すっ、と三人掛けのソファを示す。クラウドは警戒を解かないよう注意しながら、促されるままに座った。
左手にはたった今火を入れられたばかりの暖炉。目の前には背の低いテーブルと、その向こうに同じソファ。カダージュは小箱を持って、
真正面に座った。
「これをね。兄さんに返そうと思って」
小箱をテーブルに置き、クラウドに中身を向ける形で蓋を開く。そこには、あの戦いの時に三人が体内に取り込んだマテリアが並べられていた。
「…今更こんなものを俺に渡すためだけに?」
「こんなものって!」
ははっ、とカダージュは笑う。
「兄さん達にとっては、大事な大事なライフストリームの結晶じゃないか! 兄さんにとって、きょうだいの僕達なんかよりも大事な…」
言い淀み、すぅっ、と俯き込む。一瞬剣に手を伸ばしかけるクラウドだが。
「僕、よりも…大事、な、…」
「………」
苦しむように、頭を抱える。クラウドは剣の柄に指で触れた。
「…そんなに警戒しないでよ…。今の僕にはもう何の力もない。そのくらい兄さんにはわかるだろう?」
「お前が存在しているということは、即ちセフィロス復活の前兆だ」
「………」
ゆらりと上げられた顔。その眼には今までなりを顰めていた狂気が鈍く光っている。
「セフィロス…セフィロス…セフィロス…! セフィロスセフィロスセフィロス、セフィロスセフィロス!! 誰も彼も、口を開けば
みんなセフィロスだ!! 社長もその一味も、母さんも!! 兄さんも!!!」
両手でテーブルを叩く。勢いに揺さ振られた小箱からマテリアが一つ零れた。
「笑っちゃうよ…僕自身はセフィロスのこと、なんにも知らないんだよ…。僕はそのセフィロスの思念体だっていうのにね…!」
「そのセフィロスの思念体が、なぜまた存在している」
「今の僕は僕自身の思念でここにいる!! 僕の望みのために! そう、僕自身の望みのためにだ!! セフィロスの身代わりなんか
じゃないっ!!」
立ちあがり、髪を振り乱して錯乱するカダージュ。クラウドはとうとう剣から手を離し、彼に駆け寄った。
「!!」
ぐいっと腕を掴むと、カダージュは弾かれたように顔を上げ、動きを止めた。
「………わかったから」
「…兄、さん…」
「落ち着け。カダージュ」
「…」
ほう、とみるみる力が抜けて行く。崩れるようにソファに座ったカダージュの隣に、クラウドは座った。
どうやら今の彼は、ジェノバの意思やセフィロスの思念体としてここに存在しているわけではないようだ。それは、あそこまで激昂しても
何の力も放出しなかったことでわかる。そして丸腰と言ったとおり、今のカダージュに武器はない。身に付けていないのではなく、武器
そのものがない。創り出すだけの力がないのだ。
こてん、とカダージュの頭がクラウドの肩に乗る。
「兄さん」
「…何だ」
「兄さん」
ふふふ、と微笑む。まるで本当の兄弟のように。弟が兄に甘えるように。
「兄さんがどう思ってたか知らないけど…僕は兄さんのこと、大好きなんだよ」
猫のように首筋に擦り寄られ、びくっと小さく身を引くクラウド。
「くすぐったい」
苦情を言うと、カダージュはクスクス笑った。
「僕だけじゃない。ヤズーもロッズも、兄さんのこと大好きだった。あの時さァ、ほんとは兄さんの取り合いだったんだよ? …あの二人、
最期に兄さんを道連れにしようとしたよね。…一緒にいきたかった。一緒にいたかったんだ。兄さんと。僕達はみんな、兄さんとずーっと
一緒にいたかった」
「とてもそうは思えないな。大体、お前達の目的はリユニオンだった筈だろう」
「そうだよ。リユニオン…つまり、実在する母さんの細胞を手に入れること。それは本来ならセフィロスがしたように、母さんの細胞が
埋め込まれた人間達を、一箇所に集めること。でも僕達はセフィロスと違って思念体だ。僕達の肉体は、存在はしているけど実体がない。
だからもっと確実な形で母さんの細胞を取り込む必要があった」
「…それでジェノバの首、か」
「うん。…兄さんの体には確かにジェノバ細胞が根付いてる。だからもう一度あの時と同じリユニオンが始まれば、僕達は兄さんとひとつに
なれたはずだったんだ。…だけど、僕達は兄さんが大好きだけど、嫉妬もしてた。兄さんはセフィロスと同じ、母さんに選ばれし者でも
あったから。だから手っ取り早い方法に走った」
「ちょっと待て。それはお前達の誤解だ。…俺は選ばれたわけじゃない。仮にセフィロスやジェノバが俺に固執しているとすれば、それは
失敗作の俺が黒マテリアを手に入れたのが気に入らないだけだ」
「………。兄さんは母さんの中にあるきれいな心の部分を、全部持ってっちゃったんだ」
え? とカダージュを振り返る。彼は相変わらず狂気の拭い去れない眼で、しかし切ない表情で、クラウドをじっと見つめていた。
「だから僕達は、兄さんにこんなにも惹かれるんだよ。…きっとあの人もね」
「あの人?」
「わかってるくせに。セフィロスだよ」
苦しげに目を顰め、視線を逸らすカダージュ。
「僕はあの人の思念体だけど、でもあいつ自身じゃない。僕とセフィロスは別の『存在』だ。兄さんを好きなこの気持ちだって、母さんを
助けたい気持ちだって、僕自身の意思に決まってる。…でも、それじゃ僕自身ってなに?」
次第に彼の目から焦点が消えてゆく。
「僕は何? 二年前の兄さんと一緒? 違う、ほんとは違う…僕には僕の肉体がない。兄さんには両親がいて、この世界にちゃんと自分の
肉体を持って生まれ落ちているけど、僕の肉体は…母さんの力でセフィロスの思念が実体化してるだけの存在だ。…でも僕は僕だ。
セフィロスじゃない。あの時セフィロスに『なっていた』間だって、僕のからだをあいつに乗っ取られたって感覚しかなかった。僕と
セフィロスは一体なんかじゃない、一緒なんかじゃない。だから、僕の心は僕のものだ! そうだよね、兄さん!?」
「…カダージュ…」
「兄さんのこと好きなこの気持ちだって、母さんの望みを叶えたいと思うこの気持ちだって、セフィロスに引き摺られてるからなんか
じゃない!! 僕は、僕だから、僕として兄さんが好きなんだ!!」
「お、おい」
まさかカダージュがこんな風にアイデンティティに悩んでいたとは思いもしなかった。興奮していくカダージュを落ち着かせようと、
クラウドは彼の肩に手を置く。彼はびくんと肩を震わせ、やがて大きく息をついた。
「………僕のからだがセフィロスになってる間…セフィロスの気持ちが流れ込んできたよ。まるで自分の気持ちみたいに」
曖昧だったカダージュの目の焦点が戻り、クラウドに固定される。
「あの人は、ほんとに兄さんのこと愛してたんだね」
「…そんなことはない。俺はただの『失敗作』だからな」
「でもあの人は兄さんに黒マテリアを持ってこさせた」
「たまたまだ」
「セフィロスが一番リユニオンしたかったのは兄さんなんだよ。言っただろ。兄さんは失敗作じゃない。母さんの心の一番きれいな
ところを持っているんだ」
「………」
クラウドはそっと自分の胸に手を当てる。宝条によって埋め込まれたジェノバ細胞は、きっとまだこの体の中にある。星痕症候群は
治っても、ジェノバ細胞はこの肉体と完全に同化してしまっているのだから。
残っていてもらわなくては、困る。もしまたセフィロス復活の兆しがあったり、ジェノバの意志が動き始めたりしたら、それを真っ先に
感じ取るために、皮肉だが必要なものだからだ。
「まだ母さんのこと心配してるんだね。…母さん、もう兄さんや仲間たちが死ぬまで、とりあえず復活はおあずけだって」
「…気の長い話だ」
とりあえず人間である自分達はあと百年もすればこの世にいない可能性のほうが高いが、レッド]V…いや、ナナキとヴィンセントは
違う。ナナキは長寿の種族で何百年も生きるし、ヴィンセントに至っては不老不死の肉体に改造されたと聞いた。
つまりジェノバは、もうこの星を屠ることは諦めたという事なのだろうか?
「でも僕は嫌だって言った。兄さんが死ぬまでにもう一度会いたい、ううん、ずっとずっと一緒にいたい。強くそう思った瞬間、僕は
こうしてここにいた」
にっこりと微笑むカダージュ。まるで幼い子供のように。…そういえば彼のこんな穏やかな笑顔は一度きりしか見たことがない。彼が
ライフストリームへ還る直前の、あの時だけしか。
そんなことを思いながらカダージュの表情を見ていると、彼はすっと手をクラウドの心臓に重ねてきた。
「きっと、兄さんの中にある母さんの良心の部分が、醜いはずの僕をこんなにきれいに実体化してくれたんだ」
「………理解できないな。ジェノバ細胞に良いも悪いもあるのか」
「細胞はこころのかけらだからね」
カダージュはさらりと言う。…やはりよくわからないのだが。
困惑していると、するりとカダージュの両手が伸びてきた。反射的に体に緊張が走るが、その腕はそっと首に回され、嘘のように優しく
抱き付いて来ただけだった。
「兄さん」
「……」
「兄さん」
苦しげな声。横から抱き着いて体重をかけられ、横向きにソファへ沈み込んでしまう。
「おい、カダージュ」
「兄さん。…ねえ兄さん、僕は僕だよね?」
不気味なほどの弱気。…カダージュらしくない。
「お前…本当にカダージュなのか?」
「…なんで」
その一言で途端に機嫌を害したカダージュは、クラウドの首に両手を置いてぐっと上体を起こした。
「っ」
「なんでそんなこと言うのさ」
気道を圧迫されて呼吸が詰まる。目の前にあるカダージュの眼には、小さくなっていた狂気の光が再びらんらんと光っていた。
「兄さんも…兄さんまでそんな事言うんだ…。僕はやっぱり、ただのセフィロスになるための種にすぎないんだって、そう言うんだ!」
「ち、…っが」
「何が違うっ!!」
更に力が篭る。息も苦しいが、痛みも増した。
「兄さんも結局、僕のことそういうふうにしか見てないんだ!! やっぱり兄さんも、セフィロスのことしか!!!」
「ひ、との…はな…聞け、お前………」
「…」
「………おま、…え、らし…くないって……言うんだ」
「………」
大きく見開かれた魔皓眼。するりと手から力が抜けて行く。クラウドはソファの上で無理に体をねじってくの字に曲げ、咳き込んだ。
「……………気弱なことばかり言って、しかも俺に甘えてくるなんて、お前らしくない、と言ったんだ。…人の話は最後まで聞けよ」
「…兄さん…」
「俺はお前に命を狙われた覚えはあるが、甘えられるような関係だった覚えなんかないぞ。大体人に弱音を吐くところからしてお前らしくない」
「…僕…らしく、ない…?」
「ああ」
ふぅ、と呼吸を落ち着けるクラウド。呆然としているカダージュに小さく息をつくと、こつんと額を突付く。
「おい」
「えっ?」
「これじゃ動けない」
子供のように目を開いたカダージュは、ゆっくりと、穏やかに笑った。
「兄さん…!」
「っ、おい重い!」
猫みたいにごろんとすり寄って来る。幼児かこいつは。やれやれと体の力を抜いたクラウドは、ソファに寝転がった状態になってしまう。
その上にはしがみついてくるカダージュ。…なんだか妙な光景だ。
「やっぱり、大好きだよ。兄さん」
「……………」
はぁ、と溜息をついてしまう。
「…俺じゃなくて、俺のなかにあるジェノバ細胞が、だろう」
「…」
「それがなければ、俺に構うことなんかなかったはずだ」
「…兄さん? 何言ってるんだよ」
「さっきお前が言ったことだ、カダージュ。俺の体に根付いた、ジェノバ細胞に惹かれると」
「違う、そうじゃない!!」
勢い良く身を起こし、馬乗りになるカダージュ。
「俺のなかのジェノバ細胞にはジェノバの良心がある。だからセフィロスもジェノバもお前達も、俺に目をつける。そういう話だっただろう。
なら俺の中のジェノバ細胞が消えれば、俺はお役御免ってわけだ」
「違うって言ってるだろ!!」
「見ろ。俺の星痕は治った。もうジェノバ細胞も浄化されてしまって、消えたかもしれな」
最後まで語ることを許されず、クラウドはカダージュに噛み付かれた。…唇に。
ぎょっとして目を見開く。だが、既にカダージュはがっちりとクラウドの体に抱き付いていて、それはもう引き剥がす労力は無駄だと
言わんばかりの力で。
まったく、本当に駄々っ子みたいだ。
諦めるような気分で目を閉じるクラウド。
―――――だが。
「!?」
ぎくり、と目を開く。同時に長い銀髪がさらりとクラウドの脇腹に触れた。
目の前にある顔は、カダージュではない。
反射的に、自分の上から圧し掛かっている男を突き飛ばそうと手を伸ばす。だが男の肩で引っ掛かったクラウドの手は、そのまま
身動きが取れなくなった。
「…『私』が現れた途端、拒むのか。傷付くな…クラウド」
「………セ、フィロス…!? なぜ……っ」
「これは私のよりしろとして生まれた存在…そして一旦はリユニオンを果たした存在だ。何の不思議もあるまい」
いや、疑問だらけだ。
そう答えてやる余裕などない。本能的な恐怖に背筋が凍る。
すぅ、と彼の冷たい右手がクラウドの頬に触れた。
「まったく…母も困った弟を創り出してくれたものだ。躾がなっていない。長兄のものに手を出すとは…」
「…誰が、あんたの…っ」
「お前は私のものだ」
どこまでも不遜に宣言するセフィロス。その顔に浮かべる微笑は、以前の彼とはまったく違う。
それがクラウドには悲しくて、顔を背けてしまう。だが、彼はそれを許さず、グイと指を顎に食い込ませて無理矢理その角度を元に
戻させた。
「お前も、相変わらず甘い。まさか誰にでも、こうして気を許しているのではないだろうな」
「…」
「星を守りたいのならそれも良かろう。…だが心は裏切るな」
「…っ!! あんたが…!!」
カッとなったクラウドは、強引に首を捻ってセフィロスの指を振り払った。
「あんたがそれを言うのか!? あんただって…っ、離せ!!」
振り払った手を逆に掴まれてしまう。ぎりっと奥歯を噛み締めたクラウドは、反対の手で思いきりセフィロスの肩を叩いた。
「確かにあんたは世界に裏切られたのかもしれない! けどあんただって!! あんただって俺を裏切った!!」
彼の出生の秘密は、確かに世界から彼への裏切りであったのかもしれない。セフィロスにとっては、それこそ世界の全てがひっくり返る
ほどの衝撃だったろう。だが、それが何故ニブルヘイムを滅ぼすことに繋がる。何故、何の関係もない両親が、多くの罪の無い人々が
殺されなければならなかった。
敵対するものには容赦しないが、ザックスのように認めた同志には、目をかけてくれた自分に対しては、優しい一面も持っていた。
お前だけは特別だと好意を示してくれて、いつかここまで上がって来いと励ましてくれた。
憧れて憧れて憧れた、英雄セフィロス。その彼が手の届く距離にいて、自分を好きだと言ってくれる。自分の好意に応えてくれる。
…まるで奇跡のように嬉しかったのに。
それなのに彼は、突如として豹変してしまった。
苦しみも憤りも何もかも共有させてくれなかった。わけがわからないまま突き放され、拒絶され、刃を突き立てられた。
少し前に彼は、絶望を贈ろうと言った。…それなら、あの時にもう貰った。要りもしない、味わいたくもなかった絶望を。
想いの通じ合った相手から殺されることがどれほどの絶望か。
裏切ったのは、貴方のほうだ。
無言のまま微動だにしないセフィロスの体。悔しいのか悲しいのか分からないまま、クラウドは顔を伏せた。
「………還れよ」
「…」
「どうせあんたは、その気になればいつでも出て来れるんだろう。ちゃんと、自分の体で。…その体はカダージュのものだ。
…カダージュに返してやれ」
しばらくまた無言が続く。
不意に、小さく笑うような気配がした。
「……………妬けるな」
懐かしい声。
あの頃のセフィロスの声。
えっと顔を上げた途端、ドサリとカダージュの体が落ちて来た。
―――――……fragmentary period.