-+『第十四楽章と第十五楽章のあいだの間奏曲』(1)+-

第十四楽章と第十五楽章のあいだの間奏曲

(1)









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「オリン…それは…穢れた鏡…。歪んだ音しか…返ってこない……」


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「痛っ」
 ノートの頁をめくろうとしていた指先に、鋭い痛みが走った。
 軽く顔を顰めてシャープペンをノートに転がし、溜息をつく。
 付けっぱなしにしているテレビからは、今週ヒットチャートの上位に飛びこんだというアイドルの新曲がかかっていた。彼女は、この アイドルグループが嫌いだった。
「ああもう…ムカつくなぁ…」
 ちょっと紙が擦れたくらいで切れなくてもいいのに。嫌いな算数をやっつけてしまおうと思っていたときに、水を差さないで欲しい。 なんで分数の計算ってこんなに面倒くさいんだろう。
 とりあえずバンドエイドでとめておこうと、慣れた手付きで引き出しを開け、ポーチから一枚取り出し、先にポーチを引き出しに戻す。
 封印を破り、テープから紙を取って、痛みの源である左手の薬指に巻き付けようとして。

「………何。これ」

 一筋の傷口。
 だが。

「こちらは、政府広報です」
 びくっ、とテレビからの声に肩が震える。
「青い血をもつ人は、ムーリアンです。ムーリアンは人類の敵! 恐るべき侵略者! 青い血をした人を見かけた方は、ただちに最寄の 警察、消防署、政府の機関へお知らせ下さい。人類の敵、侵略者ムーリアン達を撲滅しましょう!」
 がくがくと震える。
 体全体が、震える。

「………やだ………何……!?」


 ぽたりと落ちた血が、ノートに青い染みを作った。



「それじゃお母さん行ってくるわね」
 がちゃっ、と突然開いた扉。ひょいっと顔を出す母親。慌ててノートに切った指を挟み、体で隠す。
「っもう!! ノックしてって言ってるでしょ!!」
「ああ、ごめんごめん」
 もうそんな事言い出すようになったのね、なんて能天気に笑う母親を、ぎゅっと睨みつけて。
「明日の朝はパン買い置きあるから。お弁当はいつものとこね。戸締りちゃんとして寝るのよ」
「うん……あっ、ママ!」
「?」
 そのまま扉を閉めて行こうとした母親が、もう一度ひょいと顔を覗かせる。
「…あのさ…あの…、…マ、ママの働いてるとこって、どんなとこ?」
「え?」
 いきなり何を神妙に言い出すのかと、きょとんとする母親。だが、すぐにくすっと微笑んで、扉を少し開いて半歩部屋に入る。
「TERRAっていうところよ。大きなところでね、ママが働いてるのは、私達の敵、ムーリアンと戦っている人達を手助けする仕事を 担当するところなの」
「…」
「なあに? あ、さては課題の自由研究ね?」
「あ…う、うん、そんな感じ。あのさ、…ムーリアンって…ほんとに、血…青いの?」
「ええそうよ。ああ、何ならお母さんの職場に社会見学に来れるように相談してみましょうか」
「え!?」
 そこまで話が広がるとは思わなくて、ぎょっとしてしまう。
「ムーリアンは恐ろしい侵略者なの。わかる? 私達を、みーんな殺してしまおうとしているの」
「………それが、青い血のひと…?」
「そう」
 母親は、力強く頷く。
「ムーリアンについて調べるのはとってもいいことよ。もしものことがあったらいけないもの。あなたくらいのうちから、そういうことは きちんと知っておかないとね。…ふふ、お母さんの仕事に興味持ってくれて嬉しいっていうのが一番だけど」
「…」
 歩み寄って優しく頭を撫でてくれる。
 だけど、ママは知らない。
 ノートの間に挟んだ私の手から、青い血が出てきたことを。

「…ねえ…それじゃさ、…青い血のひとがみつかったら……どうなっちゃう…の?」
「お母さんはそこまでは知らないわ。あんまり偉くないからね。でも、まあやっつけちゃうんでしょうね。なにしろ悪者なんだから」

 やっつけちゃう。
 ………ころされる………?

「ああ、いけない。それじゃ行ってきます」
 パタパタと出かけていく母親。
 部屋の扉が閉まる音と、玄関の扉が閉まって鍵がかけられる音が、妙に大きく響いた。


 恐る恐る、ノートを開く。
 染みはやはり青かったし、指先の傷口は、青黒く固まっていた。



 いやだ。
 死にたくない。
 だから、言えない。絶対に誰にも。


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「…やった…」
 バーベム財団から送り込まれたTERRAの新兵器・ヴァーミリオンのコクピットで、操縦桿を握るエルフィは呟く。
「やったぞ…ラーゼフォンがなくったって勝てる…!」
 目の前で敵の超兵器ドーレムが青い液体を撒き散らし滅びた。
 自分のこの手で、滅ぼした。
 エルフィの声はやがて、歓喜の色を帯びてゆく。
 それは憎き仇敵に打ち勝った喜びか、それともやはり、もう綾人を戦わせなくてもいいという安堵なのか。…それとも、これで奴らの 同類、ムーリアンである綾人を排斥できるという喜びなのか。
「戦いに…あいつはもう必要ない!!」
 あるいは、その総てか。

「僕は…………」
 その声をラーゼフォンの中で聞かされた綾人は、最後の意味で受けとめた。
「………必要…ない……」



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「…今…変な感じがしなかった」
「酔いが回ったんじゃないのか。君もそろそろ独りに慣れるべきだ。自立というやつさ。俺がやったことは、君の時間を早めただけだ。 いずれこの時は来たのさ。俺達の時代がな」
 樹と一色がそんな会話を静かに進めていた中、不意にテラスの久遠が立ち上がった。

「降り注ぎし青き血。滅びの音色。不完全な癒しの音を包み隠し、彼の地に平穏をもたらす…」


「ダメ。この音はだめ……」


 ふ、と。

 シャンパンを傾ける二人。テラスからは、久遠の姿が消えていた。


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 佇む、三嶋玲香。
 現れる、如月久遠。

 中央には、神殿の柱のような、台。その上に乗せられたエッグスタンド。
 そこに収められた、黒い卵。

「イシュトリ…」
「…」

 見つめ合う、二人。

 微笑む玲香。

「わたし、卵を抱きたかった…」
 卵に歩み寄る久遠。
「抱きたかったの」
 優しくそっと手を伸ばし、手に取る。
「それはあなたのものよ。オリン」
「わたしの…たまご…」
 いとおしそうに微笑んで、卵を頬へ。
「…らら?」
 だが、卵は勝手にふわりと浮いて久遠の手から逃げ出し、エッグスタンドへ戻って柱と共にずぶずぶと地面に沈みこんで行く。
「あっ、あっ」
 取り戻そうとする久遠。だが、柱の前には金髪の女。
「だめよ。久遠。これはまだあなたのものじゃないの」
 くす、と微笑む。
「悪戯しないで」

 女に鋭い視線を送る玲香。
 女は玲香を目だけで振り返り、にこりともしない。

 卵が地中に沈み消えた時、ヘレナの姿ももうなかった。

「…わたしの…たまご…」
「大丈夫」

 玲香はそっと、久遠を抱き締めた。

「あれは確かにあなたのもの」
「わたしの…」
「調律の時は確実に近付いている。オリン」
「…わたしは…オリン…」
「そう。そして、私はイシュトリ。ラーゼフォンをヨロテオトルへと導くもの」

「わたしは…」

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「オリン」
「え?」
 はっ、と振り返る。
 司令室の入口に、久遠が立っていた。
「綾人くん? どうした?」
「え、あ」
 振り返ると、八雲の不思議そうな、だが少し緊張した表情があった。
「あの、久遠に呼ばれて」
「え? 久遠なら、今如月博士と一緒のはずよ」
「…、だって、そこに」
 怪訝そうな遥の言葉に、再び振り返ると。
 久遠の姿はなかった。
「…綾人くん…大丈夫?」
「…はい」
 返事は返す。
 だが、遥の顔は振り返れなかった。
「…」
 遥も、複雑な表情で俯く。

 功刀司令官から戦闘配備解除の指示があり、綾人は逃げるように立ち去った。




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