-+『第十四楽章と第十五楽章のあいだの間奏曲』(2)+-

第十四楽章と第十五楽章のあいだの間奏曲

(2)









line

「あ…」
 エレベーターから降りた遥は、正面から歩いて来る友人の姿を見つけて立ち止まる。
「お疲れ、小夜子。こっちも今……」
 だが、彼女は険しい表情のまま、遥を無視して通りすぎてゆく。
「小夜……」
 振り返り、呼び止めようとして。

 だが、止められなかった。




「………」
 冗談じゃない、と小夜子は眉間にシワをよせる。
 冗談じゃない。よりによって、今一番見たくない顔とでくわしてしまった。
 嫌い。嫌い。嫌い。この世で一番嫌いな女。久遠も嫌いだけれど、遥はもっと、比べ物にならないくらい嫌い。あの人に想われている のに、気のないふりをしてずっと彼の心を縛っている、何も知らない馬鹿な女。望むように友達の顔をしてあげているのに、何も引き出せ ない。使えない。顔を見る度にあの取り澄ました顔を引き裂いてやりたくなる。
 ……違う。
 わかってる。馬鹿なのは私。一色の甘い言葉と一時の快楽に騙されて、彼を窮地に陥れてしまった。何も任せてくれない彼に苛立って、 久遠のお守りばかりさせられて、遥に嫉妬して、…もっと彼の傍にいたくて。だから、久遠の血液サンプルが連合に渡れば彼の功績が認め られて、もっとやりがいのある、権威あるところで働ける、それが彼のためだろうという一色の言葉を信じて、あのサンプルを渡したのに。 私も一緒に配属してやるというから、体を重ねてまで協力したのに。

『僕は誠実な男だよ』
 あの大嘘吐き。まさか、あれがバーベム財団に渡るなんて。
 ……それも違う。
 仕掛けたのは一色。騙されたのは私。私は誘惑に負けただけ。
 私はただ、彼に愛されたかっただけ。
 久遠よりも、遥よりも、私を見て欲しかっただけ。
 どうして、どうして私は見てくれないの。私をないがしろにするの。何も言ってくれないの。何も聞かせてくれないの! 何も教えて くれないの!! どうして私を愛してくれないの!!! あなたのためにこんなにまで
『僕のため? 自分のためだろ』

 どうして!!?




あたたをおもってしたことなのにあな『違う』たをあなただけをあなたのためを『違う、本当は』おもってし『図星』たことな 『だけど』のにこんなにこんなにお『この気持ちも本当』もっているのにあ『どうして?』な『振り向いてくれない』たのた『私が どんなに』めにあ『あなたを想っても』なたのた『あなたは』めにあなたのためにあなたのためにあなたのためにあなたのためにあなたの ためにあな『こんなに好きなのに』たのために『愛してるのに』あなたをあいし

line

「あ…」
 エレベーターから降りると、歩き去っていく小夜子の後姿が見えた。
 だが、遥は声をかけられなかった。


『そんなこと。あなたに言う必要、あるかな』
『いくら親しくたって、踏み込まれたくないことって、あるでしょ』
「……そうね。そのとおりだわ」
『仲直りのしるしに、ひとつ教えてほしの』
「ずっといいお友達でいましょうね」

『いつも僕は誰かの代用品』


「………………」
 何故ここで、樹の言葉まで思い起こされたのだろう。
 …小夜子の背中があの時と同じ、関わるなと…言っているように見えたからだろうか。
 逃げてゆく、彼女の背中に。
 あの時の私も逃げ出したかった。どうしてあの腕を振り解けなかったのだろう。そうしたら、綾人に要らぬ誤解をされなくて済んだのに。

「そう、綾人…」
 今はそれどころではない。
 エルフィが操る、新戦力ヴァーミリオン。絶対障壁を単機で突破可能、しかも対ドーレム戦への有効性は、他ならぬ提供元のバーベム 財団の目の前で証明されてしまった。あれの量産機がもっと配属されるようになれば、綾人とラーゼフォンの存在はこのTERRAの中で 微妙な立場になってしまう。
 彼の居場所を守ることが、彼と共に居ることが、私の望み。
「綾人…」
 早く帰ろう。綾人の顔が見たい。彼と同じ空間にいたい。
 …例えまた、視線を逸らされてしまったとしても。
 それでも。一緒に、御飯を食べたい。

 そういえば、財団の使者は不思議なことを言っていたっけ。
 二十分足らずだった筈の戦闘時間を、三十七分と。
 彼女の瞳は、それをまるで疑わず、妙に活き活きとしていたけれど。
 …一体、どういう意味だったのかしら。







 本部を出て帰路についた小夜子は、ほっとしていた。
 今一番見たくない顔を見ずに済んだ。
 綾人の顔も、久遠の顔も、今は見たくなかった。そして何より、遥の顔を一番見たくなかった。
 最低な気分だが、…それでも、まだ「最悪」が加わらなくて済む。
 そうだ、誰かに見つからないうちに早くここを離れよう。
 こんなみじめな思いをかかえたままでいたくない。

 逃げるように車にキーを差し込んだ。


line

「安息の音、途切れながら流れる」

 埠頭の先に立つ、久遠。

「不完全なその音、いまだ調和のときを知らず佇む……」

 だが。

「不完全なおと、不完全なせかい、不安定なじかん……」

 玲香は現れない。

「うたになれないこえ……」



 やがて、久遠の姿も消えた。


line

「え〜!? 算数の宿題忘れてきたの!?」
「やばいよ〜、今日ここの列あたるよ〜?」
「わかってるけど! …しょーがないじゃん、忘れちゃったんだから」
 だってノートを開いたらあの青い染みが見つかってしまう。
 いやだ、いやだ。いやだ。
 あたし、ムーリアンなんかじゃない。
 ママや政府のコマーシャルは、青い血をした人を見つけたら知らせろって言うけど、ムーリアンが見つかって連れて行かれたらどうなる のかってことは教えてくれなかった。
 昨日の夜、ママに聞くまでは。


「やっつけちゃうんでしょうね。なにしろ悪者なんだから」

 ………やだ…。
 やだ。やだ、なんで?
 だって、でもムーリアンって『人類の敵』なんでしょ? よくわかんない悪いヤツのことなんでしょ? えっと、そう、『侵略者』って いうののことでしょ? なんで? あたし生まれてからずっと鹿児島から出たことなんかない。パパもママも普通に人間だし、あたしだって そう。それに今まで何度も自分の血なんか見てきたけど、ずっと普通に赤かったのに。
 なのに、なんで?
 なんで昨日急に青くなるの!?

「あれ、指どしたの?」
 不自然にびくっと震えてしまったのを、彼女は気付いただろうか。
「う、うん、昨日切っちゃって」
「うわっ、そんじゃ血ィ出た?」
 やめて。
「うん。なんか、結構ざっくり切れちゃって。ちょっと痛かったよ」
「うわ、痛そう痛そう〜」
 いやだ、いやだ、はやく話題変えてよ。
「あ、ヤバい来た来た先生来たよ!」
「え!? うそ、早! それじゃ、後で答え回すからね」
「うん、ありがと」
 ほっ、と胸を撫で下ろして、しかしハッとそれが不自然だったと気付いて姿勢を直す。

 大丈夫、落ち付いてれば大丈夫。いつも通りにしてればケガなんかしない。血が見つかることなんてない。
 こうやって、隠れて隠れて隠れていればいい。ずっとずっと隠れていればいい。
 健康診断の日は休めばいい。注射も点滴も絶対逃げちゃえばいい。

 …青い血をした人間は、人間じゃない。人類の敵。
 だから、捕まえて、みんな殺しちゃうんだね。

 絶対にいや。
 だって私は、昨日指が切れるまで、ずっと普通に赤い血の人間だったんだから。
 ムーリアンなんかじゃない。

 そうよ、ムーリアンなんかじゃないんだから。
 だから、絶対、捕まってなんかやんない。




BACKNEXT
RETURN TO XEPHON TOPRETURN TO itc TOP