プロローグ〜ルーク&アッシュ
【一万年前】
二人の目の前で、二人の大事な親友が、血溜まりの中に崩れ落ちた。
「………………ガイ………?」
表情のない『戦士(ソルジャー)』によって後ろ手に腕を掴まれたルークが呆然と呟く。アッシュは二人から数歩離された場所で背後を
ヴァンの剣に牽制されながら、信じられないと目を見開いた。
「………ガイ……ガイ!! 嘘だ!! ガイ!!!」
がむしゃらに暴れて拘束から逃れ、ガイの肩を揺さ振るルーク。だが、既に彼の眼からは光が失われ、ついさっきまで握っていた暖かな
手はみるみる鮮血に染められてゆく。ここにいちゃいけないとルークの手を取り、そして、お前もだアッシュと差し出された手が。
まだ間に合う。ルークは両手をガイに翳し、自分の持つ特殊な魔力を発動させようとした。だが即座に数発の銃弾が指先を掠める。
「!」
咄嗟に指先を引っ込めた途端、また『戦士(ソルジャー)』に体を拘束されてしまった。
「うわっ! くそ、離せ!! 離せよこのヤロー!!!」
「無駄よ。彼はもうこと切れているわ。それから、『音素(フォニム)』の無駄遣いも止めて貰いましょうか」
冷徹な女の声。ヴァンの右腕的存在、リグレットだ。
唇を噛み締めるルーク。悔しさに顔を歪め、「畜生!!」と叫んで顔を背けた。
「…っ」
アッシュも込み上げてくる悔しさと怒りで奥歯をギリッと鳴らし、手のひらに爪が食い込み傷付くほど強く両手を握り締める。
「…ヴァン…貴様ぁっ!!!」
「大人しくせいアッシュ。これがどうなってもよいのか」
振り返って、背後に立つ男を超振動で消し去ろうとしたアッシュの動きを、しわがれた初老の男の声が止めた。ぎくりと視線を走らせると、
ガイに致命傷を与えたまま突き立てられていた剣が抜かれ、その血を滴らせたままルークの喉元に突きつけられていた。
「こちらが指示するまで動くな」
その傍らには、現在『プロジェクトジェノバ』の事実上の総責任者である、宝条博士の姿。
「っ………」
「くそっ…! 離せ!! 離せよ!!」
王国の誇る屈強な『戦士(ソルジャー)』に左右からがっちりと拘束され、ルークは身を捩る。しかし暴れようとすればするほど抑え
込まれてしまう。
チッと舌打ちをして、アッシュは超振動を発動させようとしていた手を降ろす。
「それでいい。リグレットも言っただろう。『音素(フォニム)』を無駄遣いしてはいけない」
「うるせぇ!! 俺達に何をさせようっていうのか知らねぇが」
「あの中枢クリスタルを超振動で消滅させようというのだよ」
アッシュの言葉を皆まで聞かず、ヴァンはすっと正面を指差した。
その先にあるのは、美しいクリスタル。湖の水面を切り取ってきたかのような薄いクリアブルー、だがところどころ深海の深い青を
称えてもいる、不思議な輝き。ヴァンの三倍はあろうかという高さと、大人五人が輪になってやっとその内側へ囲い込めるほどの幅。
煌煌と生命力や魔力を強く放つこのクリスタルは、今や大陸中にその枝を伸ばしたクリスタルラインの中枢。そして、この王国のあらゆる
エネルギー供給を支える大黒柱でもあった。
遠慮無く眉間に皺を刻み、怪訝と顔に書くアッシュ。
「…最悪の発想だな」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
「あんたが今の国王に見切りをつけてることは分かってる。あのプロジェクトを潰したがってることもな。…そのプロジェクトのひとつを
担うてめぇが、なんでここにいてヴァンに荷担してやがる」
横目で宝条博士を睨みつける。博士はフンと鼻を鳴らした。
「納得のいく理由が欲しいのかね? ならばくれてやろう、簡単なことだ。ユーレン博士の計画を破棄し、奴の研究体が生命活動を始める
前に完全に破壊する。そのために、ヴァン将軍の計画は好都合だったのだよ」
「な…、そんな対抗意識で国ごと潰そうってのかよ!」
ぎょっとして声を荒げたルークに、ぎろりと冷たい目を向ける宝条。
「王国を加護する神はセフィロス一人でよい。中枢クリスタルが消え、ライフラインが止まり、情報が停滞して混乱に陥った王国を、
ジェノバの力を覚醒させたセフィロスが再建する。そして獣人共を地上から駆逐して、人々を次のステージへ…真の楽園へと導くのだ」
「…」
その窪んだ眼の中にらんらんと光る狂気を見て、ルークはぎくりと身を強張らせてしまった。だがすぐにキッとヴァンに顔を向ける。
「ヴァン師匠(せんせい)、…いや、ヴァン! あんたは神なんかいらないって言ってたよな! 利害は一致してないんじゃねーの!?」
「クリスタルライン停止と共に、性根の腐った選民階級どもを一掃するため、一度王都を破壊する。いかにセフィロスが強いとはいえ、
王都の壊滅に巻き込まれれば無事では済むまい」
つまりヴァンは王国崩壊と同時にセフィロスを葬り去れると読んでいるのだ。大事な息子であり研究成果であるセフィロスと崇拝する
ジェノバとを甘く見られ、必ず宝条は反論してくる。そこから生じる不和に現状打開の隙を作れると踏んで挑発したルークだが、宝条は
クッと喉を鳴らして笑っただけ。どうやらヴァンの読みをはなから有り得ないと切り捨てているようだ。
「おしゃべりはそこまでだ」
凛としたリグレットの声を合図に、『戦士(ソルジャー)』の構える赤く濡れた剣がルークの肌に触れた。
「っ…」
「さあアッシュ。ルークの命が惜しければ、ヴァン将軍の命令に従いなさい」
「ダメだ! 絶対ダメだぞ、アッシュ!!」
「うるせぇ!! レプリカごときに言われなくても分かってるんだよ、黙ってろ屑が!」
アッシュは容赦なくルークを怒鳴ってから、眉間に盛大に皺を刻んでヴァンを睨みつける。
「てっきり俺が思い通り動きそうにないからレプリカを作ったのかと思ってたぜ」
「いざという時の保険だったのだがね。強大な生命力と魔力に溢れるクリスタルを消滅させるには、レプリカの超振動では力が足りない
のだよ。やはり『被験者(オリジナル)』のお前でなければ果たせぬ使命ということだ」
「それで使い道を人質に変えたってわけか」
「全く想定していなかった使い道だがな。まさかレプリカが『被験者(オリジナル)』に懐いた挙句、『被験者(オリジナル)』ばかりか
ガイラルディアまで懐柔するとは思わなかった」
懐柔、という言い方に不快感を表すアッシュ。だがヴァンは涼しい顔だ。お前がそんな反応をするからこそルークは人質として使える
のだ、と言わんばかりに。
「けっ! バッカじゃねーの? 劣化レプリカの俺が、アッシュの人質になんかなれるわけね……」
なれるわけねーだろ、と最後まで吐き捨てることはできなかった。
ガイの血で濡れた剣が、おもむろにルークの左肩を貫いたのである。
「っ………」
「レプリカ!!」
ルークの背中から突き出た剣先を伝って血が滴り落ち、アッシュの顔色が変わる。だが慌てたのは彼だけではなかった。
「博士、何を!? 人質は生きていなければ意味がない!!」
「フン…生きておればいいのだろう」
耳元で怒鳴るリグレットを煩そうに一瞥して、ひょいと顎をしゃくる宝条。ルークに剣を突き立てた『戦士(ソルジャー)』は、そのまま
回復魔法を数回重ね掛けした。
当然、傷は剣を癒着したまま塞がる。
「おお、いかん。剣が食い込んだままになったわい」
白々しい宝条の言葉に答えるように、『戦士(ソルジャー)』は剣をぐいと引く。
「ぐ…っっ!!」
刀身に癒着した肉が引き摺られ、やはり癒着したまま再生された血管が破れて血が溢れる。
激痛に耐えて歯を食いしばり、そんな顔をアッシュに見せるまいとひたすら地面を睨むルーク。
「やめろ!!」
「やめさせたくば、さっさとクリスタルを消すのだ。いらぬ手間をかけさせるな」
「っ、宝条てめえ…!!」
アッシュと宝条のやりとりの間にも、『戦士(ソルジャー)』は黙々とまた回復魔法でルークの傷を塞ぐ。そして今度は剣を押して
傷口を広げ、また回復魔法。これでは『戦士(ソルジャー)』ではなく拷問執行者だ。
「やめろ貴様!」
「うるせぇ!! …別に、全然、なんてこと…ねぇから…、いいから逃げろ、アッシュ…お前一人なら…っ」
必死に耐えていたルークだが、不意に『戦士(ソルジャー)』は柄の握り方を変えた。そして、突然鍵を回すように無理に捻られ、
骨が砕けて肉が抉れる。ごりっぐぢゅっ、と厭な音がやけに響いて血飛沫が飛んだ。
「あああああ!!!」
「レプリカ!!!」
「……お………俺…は、へいき…だから………せんせ…の……いうこと、きいちゃ、ダメだ……!」
浅く荒い呼吸の隙間から、ダメだアッシュ、となかばうわごとのように繰り返すルーク。いっそ気を失えばまだ楽だろうに、ただ必死に
耐えている。
わなわなとアッシュの拳が震えた。
「くそ…!!」
「…宝条博士。悪趣味だ」
さすがのヴァンも顔を顰めて苦言を零すが、宝条にはどこ吹く風。
「私に言わせれば、将軍の方が甘いのだ」
非効率な、とでも言わんばかりにそう答えただけである。そしてアッシュに目を向ける。
「いつまでレプリカを苦しませるつもりかね。自分と同じ顔が苦しんでいるのを見続けるのは、そう愉快なことでもなかろうに」
「っ、よくもぬけぬけと! この下司野郎が!!」
「……まったく意固地な。仕方がない」
溜息をつくと、宝条は白衣の内側から何かのケースを取り出した。
「ヴァン将軍。これは人質としてあまり効果がないようだ。そちらにとっても出来損ないのようだし、私が検体にしても構わんだろう」
「何? どうするつもりだ」
「レプリカというのが少々気に入らんが、まあ準備実験だと思えばいい」
ケースから取り出したのは、特殊な形状の注射器。さっきから碌でもないことばかりだが、まだ更に悪い予感がする。
「超振動という無二の能力を操る力と、未知の魔力『音素(フォニム)』を宿す体。それを併せ持つお前がジェノバ細胞を会得した時に
一体何が起こるのか…。実に興味深い」
にやり、とマッドサイエンティストが嗤う。
「やめろ!!」
思わず駆け寄ろうとするアッシュだが、ヴァンに腕を掴まれ、後ろ手に拘束される。
「やめさせたければすぐにクリスタルを消すのだ!」
「ダ、ダメだっ!! ダメだからなアッシュ!!」
「うるせぇ黙れ!!」
振り解こうと暴れるが、ヴァンとの間にある体格差も力の差も歴然としていた。
「畜生ッ、離せ!! 宝条貴様、やめろと言ってるのが聞こえねぇのか!!」
いくつかの封を解かれ、注射器の先端が姿を現す。
「―――――――っわかった!!! クリスタルを消す!! それでいいんだろう!! だからやめろ!!」
「アッシュ!? ダメだ何言って」
「てめぇは黙ってろ!」
先端をルークに向けていた宝条が、探るようにアッシュに視線を戻す。アッシュは忌々しさを隠そうともせず、力の緩んだヴァンの手
から乱暴に自分の腕を解放した。
「やればいいんだろう…やれば…!!」
「アッシュ!!」
「うるせぇっ!! …てめぇも知らねぇわけじゃねえだろう。『プロジェクトジェノバ』の実験台になった連中が、どんな末路を辿ったか」
―――お前をあんな『化け物(モンスター)』になど、させてたまるか。
血の気の引いた真っ青な顔で戸惑うルークごと、宝条を睨む。フンと鼻を鳴らし、宝条は注射器を降ろした。
「最初からそう聞き分けていればいいものを。なんという時間の無駄遣いだ」
くっ、と悔しさに詰められた息がアッシュの喉から零れる。
「………さあ、アッシュ」
「…」
苦々しい気分で、促されるままにクリスタルへ向き直り、両手を翳した。
「……………ごめん、アッシュ…」
涙声の呟きと共に、『音素(フォニム)』が揺れる。
「!?」
アッシュはまだ超振動を発動させていない。なのに、この『音素(フォニム)』の揺らぎは何だ。『音素(フォニム)』を操れる者は、
自分の他にはルークしか―――――。
ぎくりとして振り返ったアッシュの目に、すぅ、とルークの体が透けてゆく光景が飛び込んできた。
「な…っ、てめぇ何してやがる!? よせ!」
「最初っからこうしとけばよかったんだ…」
「ルーク!?」
「やめなさい! 何をする気!!」
焦るヴァンとリグレット。『音素(フォニム)』を扱える者にしか見えない『音素(フォニム)』の流れが、アッシュの目に映る。
思わず駆け寄るアッシュだが、ルークの腕を掴もうとした手は空しく握り締められただけ。
「!!」
「ルーク!」
悲壮な叫びと共に手を伸ばすリグレット。だがその手はルークの肩をすり抜け、空を切った。その様子を、ヴァンは呆然と立ち尽くして、
宝条は懲りもせず興味深そうに眼鏡を押し上げて見ていた。
「アッシュ、逃げてくれ。お前だけでも」
ルークは超振動を内側に向かって発生させ、自分自身の中に宿る『音素(フォニム)』を肉体から切り離そうとしていたのだ。それは
『音素(フォニム)』を生命維持の重要な要素として内包する彼にとって、生命的な死と物理的消滅を意味していた。
「やめろ!! 戻って来い!!」
ルークの体から『音素(フォニム)』が陽炎のように立ち昇り、乖離してゆく。ルークをルークとして構成しているものがすべて解かれ、
消えて行く。
「俺の言うことがきけねぇのか、この屑!! やめろ!!」
ルークが完全に消滅する、その寸前。
「ルーク!!!!!」
寸前、アッシュは癒しと再生の力である『第七音素(セブンスフォニム)』を全力で解き放った。
彼らが覚えているのは、ここまで。
暖かい。
とても暖かくて優しいものに包まれている。
ああ、このぬくもりがずっと恋しかった。こうして包まれてみたかった。
幸せににんまりと微笑んで、頬を摺り寄せる。
『気がついたのか』
え? と顔を上げる。そこには半透明のアッシュの顔があった。
『…あれ、アッシュ?』
『あれ、じゃねぇこの屑が!! 何をいきなり勝手に消えようとしてやがる!!』
途端に怒鳴りつけられ、肩を竦めてしまう。
『ごっ、ごめん! ごめんなさい!!』
はー、と今度は呆れたような溜息。
『…ったく…。お前の構成『音素(フォニム)』かき集めるのにどれだけ手間がかかったと思ってるんだ』
『ごめん………。…って、あれ?』
今更に気付いて顔を上げる。どうやら自分はアッシュに抱き締められているようだが、そのアッシュも半透明。自分の手を掲げて見て
みれば、それもまた半透明。
『消えかけたお前をもう一度構成し直すのに、『音素(フォニム)』を消費し過ぎちまったんだよ。今俺達は両方とも、実体を保つ力がねぇ』
『ええっ!? な、なんで!?』
『…。てっめぇ、俺の話をどう聞いていやがった!? お前を再構成するのに』
『いやそれは分かった分かってる!! だから、そうじゃなくて!』
実体がないのに叩かれそうな気がして、思わず頭を抱えてしまったルーク。だが、きゅっと唇を引き結んでアッシュの目を見つめ返した。
『…お前、俺のことずっとうざがってたろ。勝手に作られたレプリカって、自分のレプリカのくせに出来損ないだって、すげぇ嫌われてるっ
て分かってたし…。ガイがいなかったら俺、口も聞いてもらえてなかったと思う』
『…』
『なのに、なんで…俺のこと助けてくれたんだ?』
真っ直ぐで純粋な視線がアッシュを囚える。
『………嫌われてるって分かってた、か』
『…』
悲しそうに目を伏せ、俯くルーク。
アッシュはそっと手を伸ばし、半透明のルークの短い髪先に触れた。
『だから髪も切っちまったのか』
『…だって…』
覚えている。劣化ってのは髪の色まで劣化するのか、目障りなんだよ。何がきっかけだったのかも思い出せないような他愛ない口喧嘩の
はずみ、それともたまたまアッシュの虫の居所が悪かったときだっただろうか。そう言い捨てたことがあった。
ビロードのように深い赤であるアッシュの髪色に比べ、ルークはきらきらと光を宿す明るい赤。長い髪の毛先はオレンジで、その境目は
グラデーションのように綺麗だった。けれどレプリカの存在に納得いかず、己の置かれた環境に納得いかず、とにかく不満を燻らせていた
当時のアッシュがそれをぶつけることができる相手は、ルークだけしかいなかったのだ。
今にも泣きそうな顔をしたルークに、しまったと思った。だが口から出た言葉は取り消せない。居心地悪く舌打ちをして立ち去った
アッシュが次に見た時には、ルークの髪はもう短くなっていた。幼い頃はアッシュもそうだったのか、襟足で外側に跳ねる癖っ毛。そして、
オレンジ色だった毛先は勿論、グラデーションの部分も全部切り落とされて失われてしまっていた。彼はそれ以来、髪を伸ばそうとしない。
やるせない気持ちになって、アッシュはそっとルークの頭を抱きこむ。
『七歳児に察しろっていうのは、無理な注文だったか』
『…今度はいきなり子供扱いかよ』
『実際ガキだろうが。…俺は別に、お前を嫌ってたわけじゃねぇ』
『…でも、レプリカとか屑とか愚図とかばっかりで、今まで一度だって名前呼んでくれたことねぇし』
『呼んだぞ』
『え、嘘! いつ!?』
『さっきお前が消える直前』
しれっと答えられて、ルークはちょっと呆れてしまった。
『………聞こえてねーよそんなの…俺ほとんど消えてたのに』
『フン。俺に断りなく勝手に消えようとするからだ』
『だってあのままじゃお前、ヴァン師匠(せんせい)の言うこと聞いてクリスタル消しちまってただろ!? …あっ』
やっと思い至って、がばっと顔を上げる。
『王国は!? ジラート王国はどうなったんだ!?』
くいっと顎で下を示すアッシュ。アッシュが展開した『音素(フォニム)』の球状バリアに守られていた二人は、王都の上空を漂っていたのだ。
眼下に広がる光景に、ルークは息を飲む。
『……………そんな』
そこはもはや、王都と呼べる場所ではなかった。
破壊の限りを尽くされた廃墟。
都も、街も、見渡せば近隣の町まで、なにもかもが焼け落ち、砕かれ、陸地であった場所さえ削られて地形を変えていた。千年王国と
称えられたジラート王国の栄光の面影は、唯一大地を走るクリスタルラインだけ。それも所々で瓦解し、完全に寸断されてしまっている。
『この様子じゃ…生き残った民はいねぇだろうな。いたとしても、獣人やアンデッドに襲われる前にどこかに落ち延びられてるかどうか…』
『…なんで…? 俺を助けてくれたんなら、アッシュは結局…何もしてないんだよな? なのに、なんで、こんなことに…』
『さぁな。…俺も『音素(フォニム)』だけの状態になっていたし、言ったとおりお前を再構成するのに必死だったんだ。
その間に何があったかまで知るか』
あれほど必死に守ろうとしたのに。
ガイがあの廃墟の地下で眠っているのに。
それでも二人は、悲しい、とは感じられなかった。
『………ただ………どうやらセフィロスの仕業らしいってのは、分かったけどな』
『……知っちまったのかな。『プロジェクトジェノバ』のこと』
『そうじゃなければここまでブチ切れねぇだろうよ。ヴァンもここまでやる気はなかっただろうからな。…プロジェクトを潰したかった
だけで、ジラートの民を根こそぎ滅ぼすつもりじゃなかったはずだ』
二人の間に流れるのは、空虚感。
ただひたすらに空しい。
プロジェクトジェノバも、そしてヴァン将軍の企みも、王国の繁栄と存続、そして世界の平和を思えばこそだったはずなのに。
それともこれが、自らの力で神をも創り出そうとした人間達への、天罰なのだろうか。
『………なぁ…これからどうする?』
『とりあえず、落ち着ける場所で足りない『音素(フォニム)』が蓄えられるまで大人しくしてるしかねぇな』
『落ち着ける場所ったって…そこらへんじゃ絶対獣人に見つかるぜ。まぁ、実体ねーんだからダメージも受けないだろうけど』
『馬鹿。一日二日で済む話じゃねぇんだ。そんな日向ぼっこみたいな場所で適当にぼけっとしてられるかよ。…デルクフの塔、だな』
ふわり、と球状バリアが揺れる。
ルークとアッシュは、廃墟と化した王都に背を向けて、デルクフの塔へと飛んだ。
デルクフの塔。
元は獣人との大規模な戦闘を想定して作られた前線基地であったが、戦線の変化と共に要塞としての役割は薄れ、やがて放置されて
魔物や巨人族の徘徊する危険な場所となってしまった。だが、この塔には他にもう一つ役割があった。
『さすがにクリスタルラインの独立予備回線だけあって、ここらは無事みたいだな』
『うん、ほんとだ』
通常の方法では入り込めない完全な独立ブロックとなっている地下フロア。ここにまでは魔物も入って来れない。魔物には入る方法が
ないというのも一因だが、何より魔物が入ろうという気にならないからである。ここには魔物達の嫌う、生命力溢れるクリスタルがあるからだ。
ここは二人がヴァンと宝条に脅されていた部屋と似たつくりになっており、中央にクリスタルが鎮座しているところまで同じである。
正、副、予備、独立緊急予備と四回線あるクリスタルラインのなかで唯一、王都の外に配置した別の中枢クリスタルからエネルギー供給を
行なうラインだ。但しこちらのクリスタルはかなり小さいもので、二人と同じくらいのサイズでしかない。
小さいとはいえ、クリスタルの傍ほど安全な場所はないだろう。
二人はここで、しばらく冬眠することに決めた。
『…あのさ、アッシュ』
二人の意識がまどろみはじめた頃、ふとルークが話し掛けた。
眠りに入ろうとしていたアッシュは、ぼんやりと目を開ける。
『さっきさ、俺のこと、嫌ってたわけじゃないって言ってくれたじゃん?』
『…それがどうした』
『すっげー嬉しかった。俺、嫌われてるってばっかり思ってたから』
『…』
そこまで徹底的に通じていなかったのか。確かに名前をまともに呼んだことはない…いやそれどころか屑呼ばわりし続け、他にも散々な
扱いをしてはきたが、それでも時折好意を示したこともあったのに。
…いや、好意を示すと言うにはひねくれすぎていたか、と思い直すアッシュ。愛情の裏返しとはよく言うが、アッシュの場合、裏返した
上に封を剥がして出てきたものをためつすがめつして検分しなければ分からないくらい分かりにくかったに違いない。特に受け取る相手が
七歳のお子様であれば。
レプリカなのだから見た目は完全に同じ、同い年に見えるのに、ルークはこの世に誕生してからまだ七年しか経っていないのだ。ガイが
根気強く一から育てているのを間近で見てきたのに、時々そのことを失念してしまう。
『…だから…嫌ってるわけじゃないと言ってるだろう』
『うん。…すげー嬉しい』
ふわ、とほんのり微笑むルーク。
『大好き』
咄嗟にどんな顔をしてしまったのかは分からない。だがルークはアッシュを見つめ、更に幸せそうに笑顔を深めた。
『俺は大好きだよ。アッシュのこと。アッシュが好き。一番大好き』
臆面なく好意を伝えられるのは、逆に七歳児の強みだろう。
『…ああ』
ゆっくりと睡魔の波がやってくる。
分かりやすく想いを示すチャンスは、多分今しかない。アッシュがルークを抱き寄せると、ルークもアッシュの背中に手を回して体を
寄せた。
『俺も、お前が好きだ。ルーク』
半透明の唇を重ねたのは、ほんのひととき。
そのまま二人は、一万年の眠りについた。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
えー…宝条博士の出番はここでオシマイです(笑)
やってることはともかく、存在感とかキャラ的にはおいしい人なので勿体無い気もするんですが。