01・試験管で見た夢
(2)
さて、キラセンサーに期待されて飛び出してきたのはいいが、いざこの時間にキラが行きたがる場所となると、すぐには見当がつかない。
とにかく家の周りやゲームセンターを探して回るが、よく考えてみればこんな時間にゲームセンターにいたらとっくに補導されているに
決まってる。
『ゲームセンター? 近くのめぼしいゲームセンターはもうカリダが捜してるわよ』
最初の定期連絡でそう言われ、がっくりと肩を落としてしまった。そうだ、ゲーム好きなキラがゲームセンター、という発想なら、
母親であるカリダさんだって当然するだろう。
『うっかりあなたが補導されないでね』
「そこまで要領悪くありません」
『よろしい。…気をつけるのよ』
電話を切ってから、はぁ、とため息をついてしまう。
キラ…こんな時間に、一体どこへ。
……………こんな時間?
この時間でなければ行けない場所。
カリダさんに許可を取れないような、こっそり出て行かなければならないような場所。
人目を忍んでこっそり行かなければならないような。
俺も誘わずに秘密にして、一人で。
「………まさか…」
呟いて、俺はまた走り出した。
ぱしゃん、と水音を聞いた時には、ホッとするより先にガックリしてしまった。
まさか本当にここだったとは。
屋内のプール場へ土足のまま入り込んで、すたすたとプールサイドへ歩いていく。
やがてキラが気付いた。
「……!? あれ!? アスラン!?」
「…………。『あれアスラン』じゃないだろ! 何考えてるんだ!!」
暢気なキラのリアクションに一気に怒りが込み上げてきて、その勢いのまま怒鳴りつける。キラは水の中でびくっと震えた。
「……だ…って」
「だってじゃない!! みんなどれだけ心配したと思ってるんだ!!!」
足元の非常灯しか灯されていない屋内プールには月明かりも届かず、キラがプールの中のどこにいるのかわかりづらい。だが、水面から
ぽこんと浮かんだ丸い影がキラの頭だということはわかる。
それに向かって叫ぶと、頭はすいっとこちらへ近づいてきた。
「……ごめんなさい」
プールの中から俺を見上げて、大人しくそう言った。
しおらしい声に、俺もヒートアップしていたテンションが少し落ち着いてくる。
「………ここんとこ学校のコンピューターに侵入していたのは、この準備ってわけか」
「…うん…」
「で、警備システムを止めて?」
「ううん。さすがにまだそこまで出来なかったから、システムの死角になってるところの壁よじ登って入った」
なんだ、結局俺と同じ方法で入ったのか。
「アスランこそ、どうやって…」
「お前と同じ」
「……よくシステムにひっかからなかったね」
「お前も調べたんなら分かるだろ。ここの警備システムは死角だらけなんだ。それを指摘して警備会社に突き付けてやろうと思って、
調べてたところだ」
「へぇ、そんなことしてたんだ」
「ああ。………キラ」
「もうちょっとだけ」
帰るぞ、と言われる事を察して、キラが俺の言葉を遮る。
「キラ」
「お願い、母さん達にはちゃんと謝るから。二度とこんなことしないから、もうちょっとだけ」
「……」
懇願。
そんな言葉がぴったりの表情で、キラは俺を見上げる。
それこそ捨てられた仔犬のような瞳で。
「………もうすぐ母さんから電話がかかってくる。その時にキラを見付けたって報告するから、それがタイムリミット。いいな」
「うん。…ごめん、ありがとう」
つくづく甘いと思うけれど、キラにどうしてもとせがまれたら、断りきれない。
とにかく、無事だったんだから、いいことにしよう。帰れば嫌でもカリダさんのお説教が待ってるんだし。
キラに甘い自分にため息をつくと、キラはもうプールの中央まで魚のように泳いで行っていた。とぷん、と頭が沈んだと思うと、水が
動いて、キラの泳いでいる方向がかろうじてわかる。
息継ぎに顔を上げる以外は、ずっと水の中。
「…ほんっとに水が好きだな、キラは…」
ぽつん、と呟くと、丁度キラが水面に上がってきた。背中を水につけて水面に浮かび、漂う。
ふと、頭から斜めに沈むように潜水。
器用な潜り方をするな、なんて思っていたが。
……………とぷん。
そんな小さな音が響いて、微かに水面が弾ける。
「…」
水はそれっきり、動かない。
「……………キラ?」
浮かんでくる気配がない。
「キラ!!!」
思わず叫んでジャケットを脱ぎ捨て、プールに飛び込んだ。
床に背中がつくスレスレの場所で、キラは丸まっていた。ぐいっと肩を引くが、目を閉じたまま反応なく、ゆすられるまま、水に
動かされるままに体が揺れる。
すぐに水の中から引き上げて、プールサイドに仰向けに寝かせた。
「………っ」
心拍はあるが、呼吸をしていない。大分水を飲んでいる。迷わずキラの口を開かせると腹を押し、胸を叩いた。
ごぼっ、と口からも鼻からも塩素臭のする水が溢れる。
そのままゲホゲホと蒸せ込み始めるキラ。どうやら人工呼吸の必要はなさそうだ。
ほっとして、息を深々と吐き出してしまった。
「……あれ? おかしいな…」
やっと落ち着いてきたと思ったら、自分の状況に気付き、そんな独り言。
「キラ!!」
「っ、ご、ごめ」
びくっと驚いたキラの体を、抱き締めた。
「…………く…るし」
「我慢しろ」
「そんな無茶苦茶…っ」
無茶苦茶なのはどっちだ。
まったく、いつもいつも心配ばっかりかけさせて。
こっちの息が止まるかと思ったじゃないか。
「…何やってるんだよ、お前………」
げほっ、とまたキラが咳き込み始めたので体を放したアスラン。そのままキラの楽な姿勢にしてやりながら、ぽつりと尋ねた。
「うん、……あのさ」
話しかけて、また咳き込む。
楽になるように、背中をさすってやって。
「……冗談とか、そういうんじゃなくて。なんか、普通にさ。あのまま溶けていけそうな気がしたんだ。水の中に」
落ち着いてから続けた言葉に、思わずアスランは眉間にシワを寄せてしまう。
「だから、いいわけとかじゃないってば」
「わかってる、そんなこと」
「…じゃなんでそんな顔するんだよ」
「………人間が水に溶けるわけないだろう」
「わかってるよそんな、っ」
また蒸せ込んで。
俺もまたキラの背中をさする。
「……理屈じゃないんだもん」
とろんとした声で、拗ねたように呟く。
「あのまま水の中にいられそうな気がしたんだ」
「………」
「あのまま、水に溶けて、ずーっとあのなかに…いられ……そ、な………かえれ…そ……な……………」
「…寝るなよ」
「う、ん」
一応頷き返してはくるが、瞼はとろんと閉じて行く。
結局そのままキラは眠ってしまって、母からの連絡で携帯が鳴っても目は覚まさなかった。事のあらましを話すと、母は余裕で速度
オーバーと思われるスピードでエレカを飛ばしてやってきて、救急病院へキラを放り込んだ。
暢気に眠っているキラを起こしたのは、母から連絡を受けて先に病院についていたカリダさんの叱り声。いや、泣き声だったかもしれない。
さすがにそれ以来、キラの長湯はぴたりと止まった。カリダさんに心配をかけないようにと、自分なりに反省したのだろう。
「…そのようなことがあったのですか…」
カラになったマグカップを、コトンと木の机に置くラクス。
「………そんな前科があるのでしたら、アスランにそう危惧されても仕方ありませんわね。キラは」
「………………」
クスッと苦笑するラクスに、アスランも苦笑いを返した。
「…もう、忘れたと思っていたんですが…。あの時と、同じ目をしていたから。それで、…少し、心配で」
「大丈夫です」
無意識に沈んでゆくアスランの声を、はっきりとラクスが遮った。
え、と顔を上げると、微笑むラクスの顔。
「…大丈夫ですわ。貴方が、ここにいるのですから。アスラン」
「…………そ」
「ただいまぁ〜!!!」
それはどういう意味で、と重ねて尋ねようとした声は、勢い良く扉が開けられる音と子供達の声によってかき消されてしまった。
「ラクスおねーちゃん、ただいま!!」
「おやつおやつ〜!!」
「まあ、いけません。先にお洋服を着替えて、お風呂に入っていらっしゃい。ほら、砂だらけ」
「はぁ〜い!!」
バタバタと今度は浴場に足音が移動していく。
クスと微笑んで、カップを持って立ち上がる。
「ありがとうございます。後は片付けておきますから、キラを迎えに行って下さい」
「…ええ」
アスランが流しへ立とうとしたのを通せんぼして、その手からマグカップをするりと自然に奪い取るラクス。
仕事を奪われれば、立っていてもただのでくのぼう。アスランは元婚約者の配慮に感謝して、開け放たれたままの玄関へ向かう。
子供達の一団がすっかり戻ってきた後ろから、キラが戻ってきた。カガリは更に後ろから、マルキオ導師と一緒に歩いてくる。
「…ただいま。アスラン」
ほんの少し、唇と目の端が動くだけの微笑み。
これが今のキラの精一杯だと、知っている。
「お帰り。キラ」
手を差し出す。
彼は、そっと自分の手を重ねた。
ぎゅっと握り締める。
大丈夫。
俺がいるから。
海になど、水になど、渡しはしない。
事情を聞いた母が血相を変えて、すぐ行くからと言って電話を切った。
あんなに切羽詰った母の声など聞いたのは久しぶりだ。先日青魚を食べた自分がじんましんを出したときだって、冷静なものだったのに。
「みんなキラに甘いんだから…」
その最先端が自分だということは棚に上げ、呟く。
腕の中には、眠り込んでしまったキラ。
すやすやと寝息をたてて。
後ろに見えるプールの水面が重なって、まるで水面で眠っているかのよう。
………渡さない。
水の中へ溶けていけそうな気がしたなんて、帰れそうな気がしたなんて、そんなこと、二度と言わせない。
吸い寄せられるように、キラの唇に自分の唇を重ねた。
それは誰も知らない秘密のキス。