++50 title「場の勢い」2++

07・場の勢い
(2)








「………………なんですか、この惨状は………」
 空気清浄機能は働いているのかとばかりに顔を顰めるアスラン。
 部屋に篭るあからさまな酒の匂い。
 しかも、ベッドの上でワインのボトルを抱きかかえたままごろんと横になっているキラは、顔どころか首まで真っ赤になっている。
「さすがにコーディネイターだけあって強いわね、と言いたいところだけど」
 ふふ、と優しく笑う、少し前までは宿敵だった女艦長。
「まだまだ子供ってことかしらね」
「…いえ、俺が尋ねているのはそういう意味ではなく…」
「……キラくんがね。思い詰めた顔して、大人になるってどういう事ですか、って聞いてきたのよ」
「は? 大人って…」
「私もうっかり忘れそうになってしまうけど……、最近は特に、大人びて見えることが多いけど…。………やっぱり、まだ十六歳の子供 なのよね。キラくんも、あなたも」
 優しく微笑んでそっとキラの髪を撫でるマリューは、艦長というよりもキラのお姉さんのよう。
「…ん……んん…………………」
 喉を鳴らしてもぞっと体をよじるキラ。その拍子に、ナイトドレスの肩紐がするりと腕に落ちた。
 どきっとして顔を逸らすと、小さな苦笑が聞こえた。
「アスランくん。悪いけど、エターナルに彼女連れて帰ってあげてね」
「はあ…そのつもりですけど、…この格好…」
「私が貸したのよ。後で返してくれればいいって、目が覚めたら伝えてくれる?」
「……よくこんなもの持ち込めましたね」
「女っていうのは抜け目のない生き物なのよ」
 ふふっと微笑して、キラからワイン瓶を取り上げるマリュー。
「キラくん。キラくん、立てる?」
「ンっ…ふぇ? も〜あさ?? よりゅ?? ひりゅ??」
「…ちょっと深酒させすぎちゃったかしら…ほら、起きて」
「ふぃ〜」
 瓶を取り上げられ、気だるそうにベッドに上半身を起こし、左手でベッドをついて体を支える。ぽや〜っとしたまま眼を擦る様子は、 大変心臓によろしくない。
 そもそもマリューの貸したナイトドレスはキラと全くサイズが合っておらず、ちょっと油断したら肩口や脇から胸が見えてしまいそう になる。
「ん〜、まりゅーひゃん? ぼくろ〜ひたんらっけ…ンン〜っ」
 ぐーっとのびをしたかと思うと、ぽてん、とまたベッドへ上半身を落としてしまう。
「ああ、もうキラ!」
 見ていられないというか、目のやり場に困ってしまって仕方がない。
 アスランは着ていたザフトの赤服を脱ぐと、起き上がらせたキラにさっさと着せて、しっかり前のホックボタンを止めた。
「すみませんでした。それじゃ、俺はこれで」
「ああ、アスランくん」
 そのままキラをお姫様だっこで担ぎ上げて出て行こうとしたアスランを、マリューは呼びとめた。
「はい?」
「…あなたもキラくんと同じ、まだ子供なのよ。たまにはそれを思い出して。ここには、それを咎める大人は誰もいないわ」
「……………は、い…」
 微妙に意味は分からなかったが、真摯な表情に、思わず頷いてしまう。
「それじゃ、今度こそよろしくね」
「あ、はい」
 にこにこと微笑んで手を振るマリュー。アスランは寝惚けたキラを抱え直して部屋を出ると、会釈を返した。
 瞬間ふと興味が沸いて、扉が閉まる寸前マリューの部屋をサッと見渡し、空き瓶を計算した。キラが抱いていたワインと、テーブルの 上にも一本。床には更にもう一本と、ブランデーと芋焼酎の空き瓶がそれぞれ一本ずつ。
 ………どういう艦だここは、一体どこに隠してあったんだ、という頭痛と、抱えていた一本はキラが飲んだんだとして、まさか残りは 全部マリューが飲んだのか、という眩暈が同時にアスランを襲った。

 ちなみに、デスクの影にジンの空き瓶が二本隠れていたのだが、丁度アスランからは死角になって見えていない。
 マリューから見ればまだ子供とはいえ、キラももう十六歳。十三歳で成人とみなされるコーディネイターは、その歳で飲酒喫煙も解禁に なる。多少は口をつけたことがあり免疫ができていたらしく、さすがにワイン一本だけであそこまで潰すことはできなかった。実際には 計七本を二人で半々といったところだったのだが、アスランがそこまで気付けるはずもなかった。

 …どちらにしろ、とんでもない量であることに変わりはない。



 だらん、と落ちていた腕が、不意にアスランの首に絡み付いてきた。
「ン〜〜〜」
 という酔っ払いのやたら色気ムンムンな唸りと共に。
「………」
 ああ。大変心臓に悪い。体にも悪い。
 一瞬ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。アルコールの匂いが少々混じっていたが、それが更に甘さを引き立てていた。
「…キラ、香水使うようになったのか…」
 今まで気付かなかった。
 カッと顔が赤くなってしまう。さっさと部屋の扉を開けて、中へ入ってキラをベッドへ寝かせた。
 はぁ、と少々情けないため息。そのまま体を離そうとするが、首に絡みついた腕が離れない。
「…?」
「いや〜〜〜」
「起きてたのか? …おいこら、キラ。離してくれ」
「いや〜〜〜」
「…あのな…これじゃ動けない」
「いや〜〜〜〜〜〜〜」
 …この酔っ払い。
 どうしてくれようかとこめかみにタコマークを浮かべるアスランだが、しかし。

 とろりと開いたキラの瞳。
 涙で潤んで、揺れて滲む。

「………いっしょにいて?」

 ――――――硬直。

「いっしょにいて。そばにいて。いかないで」
「キ……キ、ラ」
「…おねがいだから…いて」
 涙が頬を伝う。
 キラは酷く淋しそうに微笑み、それからギュウとアスランの首にしがみついて、顔を埋めた。
「どっかいっちゃわないで」
「…キラ…?」
 考えてみれば、いくらマリュー艦長にすすめられたからといって、キラがこんなに潰れるほど酒を飲むなんて、らしくない。
 ラクスと話をして落ち着いたと思ったのだが、あのポッドに乗る人物を救出できなかったことがまだ尾を引いているんだろうか。
 それとも。
 ムウは頑として口を割らないし、マリューも何かを知っているようで何も口にしないが、やはりメンデルで隊長と対決したという あの時にキラが受けた心の傷は、彼女がこんなに自暴自棄になるほどの大きなものだったということだろうか。


「大丈夫」
 ぽんぽん、とあやすように背中を叩いて。
「大丈夫。俺はずっとキラのそばにいる」
「…ほんとに?」
「ああ」
 グスッと鼻を鳴らし、キラはやっと体を離した。
 そして。
「――――――――ってこらお前なにしてるんだ!!!」
「あ〜つ〜い〜」
 嗚呼、やっぱりこいつは酔っ払いだった。
 おもむろに赤服を脱ぎ始めたキラの手を慌てて止めると、さっさと描け布団をかぶせて横にさせる。
「もう、わかったから寝ろ!」
「ん〜。そこにいる〜?」
「わかったわかった、いるから」
 とは言うものの、さすがにこのまま泊まり込むわけにはいかない。キラが眠ってしまったら自分の部屋に戻ろう、と考えている間に、 キラは布団の中でごそごそと動いていた。
 よいしょ、と布団を蹴っ飛ばし、結局脱いでしまった赤服を丸めてぎゅっと抱き締める。
「やくそくだよ〜。コレものじちだからね〜」
「…はぁ…??」
「おやしゅみ……………」
 こてん。

 あっさり眠りに落ちたキラの無邪気な寝顔に、どっと疲れが押し寄せてきた。
「…まったく……」
 布団を掛け直してやろうとして、ぎくっと手が止まった。
 さっきまで自分が来ていた服を、ナイトドレス姿のキラが抱き締めて眠っている。
 その姿やシチュエーションが、妙にエロティックで。
 しかも絶妙なタイミングでふわりと濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。


 引力に、逆らえず。
 アスランはそっと、キラの肩にキスを落とし。
 一箇所だけ、背中に花弁の跡を刻んだ。



 翌朝。
 とりあえず服は着替えたものの、案の定キラは頭痛を訴えて沈没してしまった。アスランは後先考えずにガバガバ飲むからだとお説教を しながら部屋へ送って、また彼女をベッドへ寝かせた。
「昨夜ごめんね、制服しわくちゃにしちゃって…」
「そんなものどうとでもなる。どうにもならなければ、またモルゲンレーテのジャンバーを借りればいいし」
「…でも、なんで僕アスランの服抱き枕にしてたの?」
「………。覚えてないならいい」
「ええ!? 何それ、気にな………いたたた」
「大声出すからだ」
 クスクス笑うと、ぶすっと唇を尖らせて布団を頭からかぶってしまう。
「もう少し休んでおいで」
 ぽんぽんと撫でて、部屋を出る。



 はぁ…、と思わず深いため息がこぼれた。

『え? …あら、何もなかったの?』
『…誠実なのもいいけどさぁ。きみ、据え膳食わぬは男の恥って諺、知ってるか?』
『なっっ、そ、それは諺じゃないです!! 何を言うんですか!!』
『全然何もなかったの?』
『あっ、あるわけないじゃないですか!! 艦長まで悪乗りしないで下さい!!』
『勿体無いわねぇ、せっかく一番セクシーなナイトドレス貸してあげたのに…』
『な、な、な、』
『冗談抜きで。いつまでオトモダチでいる気だ? 女の子が「女」になるのなんて、あっという間だぜ。そん時に横から誰かに取られても、 知らねぇぞ?』
『な……っっ』
『きみ達の場合、友達でいる時間が長過ぎたからな。一線超えるには、勢いってのも必要だぜ』
『そういう事よ。複雑な情勢だけど、だからこそ…今の気持ちを大事にしてほしいの』

 今朝早く、通信で交わした艦長とムウとの会話を思い出し、更にまたため息。
 経験豊富すぎる厄介なアドバイザー達の助言は、確かに的を得ている。
 実際昨夜も、あのまま手を出してしまいそうだった。恐らくは艦長の狙いどおりの方向へ、突き進んでしまいそうだった。

 それでも、思いとどまったのは。

 苦しげな寝顔か張り詰めた寝顔しか見せず、人の気配ですぐに飛び起きてしまうような状態が続いていたキラが、酒の力を借りてのこと とはいえ、ようやく安らかな寝顔を見せてくれたからだ。
 安心しきった、無防備な、昔と同じ寝顔。
 それを乱すことは、したくなかった。まだまだ緊迫した状況が続くのなら、せめて今夜だけでもゆっくりぐっすり眠ってほしかった。

 僅かな香水の残り香。
 きっとみるみるうちにキラは「女」になってしまうのだろう。しかも、とびきり魅力的な。そうなれば周囲の男どもが放ってはおくまい。 だから、その前に掴まえておけという二人の言葉はよくわかる。
 でも。
 今はまだ、もう少し。
 もう少しだけ、自分がキラにとっての安心できる場所でありたい。

 できればこの戦いが終わるまでは。




―END―

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